幕末ぶらりんこ 03’ 薫風編
歳三忌(2) (5月11日) 歳三忌、ひの新選組まつりに関しては「歳三忌(1)」でご紹介させていただきました。こちらでは当日訪問しました土方歳三資料館、あと歳三生家お隣・土方家でのお話等を少々書きたいと思います。 不思議なご縁で土方家と、そして石田・地名存続のお手伝いがご縁で歳三生家お隣、石田村の名主を務めていらした土方家とも交流が出来、何回となくお宅を訪問させていただきました。そして11日もご挨拶だけ・・とお伺いしたのにも関わらず、両家ともお忙しい中、とても温かく出迎えてくださり、本当に嬉しかったです。(感涙) 当日は、新人物往来社主催の歳三忌がちょうどご命日と重なり、資料館には500名近い来館者があったと聞いています。この日資料館訪問中、印象に残っているお話がふたつ。ひとつは資料館でのご当主による説明の中での事。ご当主が「歳さんの遺骨を故郷に帰す会」の会長さんをご紹介になって、五稜郭内の土饅頭の調査許可が下りた・・という報告をなさいました。この土饅頭に関しては昨年7月、私が函館へ行きました折、五稜郭内で無残な扱いをされているのを確認。帰宅後函館市教育委員会に問い合わせた結果、「調査する予定はない。」というお話でした。「歳さんの遺骨を故郷に帰す会」のご尽力の結果、国の史跡に指定されている五稜郭内の調査に文化庁の許可が下り、数年のうちには土饅頭の発掘調査が行われるとの事でした。ご当主はとても喜んでいらっしゃって、「私が生きている間に歳三の遺骨を故郷石田寺のお墓に埋葬してあげられたら・・。」とおっしゃっていました。大正年間に一度発掘調査が行われた事。近年様々な歴史研究家によって調べられている箱館戦争旧幕府軍兵士の埋葬場所として土饅頭がまったく認められていなかった・・という事に、昨年この件を問い合わせた際、愕然としましたが、発掘調査が行われると聞き、本当によかったと思います。もうひとつは、最近出版された新選組関係の書籍に土方家と私の昨年春からのご縁の事が掲載されているとのお話。とても嬉しくて感激しました。 短い時間でしたがご当主、お嬢さんとお話ができて嬉しかったです。開館後、時間がそれほど経っていないのに来館者が庭に並ぶ様子を見、長居はご迷惑と急ぎ資料館を後にしました。 私と土方家とのご縁、また昨年(02年)の五稜郭散策に関しては「土蔵〜過去のぶらりんこ」をご覧下さい。 |
土方歳三資料館(02’3月20日撮影) | 資料館と矢篠(02’5月12日撮影) |
次に生家お隣・土方家へお邪魔しました。ご主人・土方智さんはぶどう畑にいらっしゃいました。(土方さんは樹木医のお仕事もしていらっしゃいます) 「土方さん」とお声をかけると、にこにこ笑いながら「寄ってくれたの。」とおっしゃいました。ご挨拶だけで失礼しようと思いましたが、「まあ、いいじゃないですか。」と玄関(土方さんのお宅は屋根以外はほぼ昔のまま。この玄関も歳三が腰掛けたかもしれません♪)のところでお茶をご馳走になりました。その際来年1月から始まる「新選組フェスタ」のイベント会場他、日野市が行う新選組関係の事業概要をお話し下さいました。それによると新選組関係資料の展示が行われる万願寺第一公園内に建設される「交流センター」(建物はダンダラ模様を模ったもの)に土方さん宅の新選組関連史・資料(以降、記述は史料で統一)も展示されるとの事。史料は土方歳三の土方隼人(喜六)、土方伊十郎(石田村名主。歳三次兄・喜六の嫁・なかの兄)へ宛てた年賀状、久蔵(伊十郎嫡男。歳三に可愛がられていた。)が歳三から形見にもらった刀、天然理心流目録(久蔵の)、近藤勇が歳三、久蔵に宛てた手紙、近藤が山岡鉄太郎と面談する事を伝えた佐藤彦五郎宛の手紙など。(史料は他にも多数お持ちです。) 土方さんは元々は研究者でいらした為、非常に慎重なご性格、「自分のところが出した史料によって、話が間違った方向に一人歩きしてしまうのは嫌だ。」とほとんど新選組関係の史料はお出しになりません。それが「石田の地名存続が決まりそうなんで、お礼代わりに出す事にしたよ。」と。一緒に陳情書を提出、地名存続がならなかった新井地区の方々に対し、「申し訳なかった。」と折に触れ、おっしゃっています。新井を気遣いながらも、土方さんが石田・地名存続の件を喜んでいらっしゃるお気持ちは史料の展示をOKなさったという事で私にはわかりました。地名のお手伝いで何回か土方邸へお伺いした際、史料の一部を見せていただきましたが、新選組にとっても日野の歴史にとっても貴重なものばかりです。新選組ファンだけでなく、歴史ファンにぜひともこの機会(来年の展示)にご覧になっていただきたいと思います。(歴史上人物の敬称略。尚、名主・土方家所有の史料で何が展示されるかは、日野市が決めるとの事です。) |
土方智さん宅の長屋門 |