妙高メッセ 蟹江健一寄贈図書を見に行く 2008年5月10日(土)

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故 蟹江健一さんをご存知だろうか。
1970年代、海谷山塊の開拓期から、最近のテレマークスキーによるツアーに至るまで、妙高連峰および海谷山塊を含む頸城山地のパイオニア的な登山者であり、優れた山の文筆家でもあった蟹江健一氏は2002年8月に67歳で亡くなった。
蟹江さんの、思索を支えた書籍の数々が、妙高市、妙高メッセの図書館に展示されている。

今週末は天気が悪そうである。山には入らず、かねてから一度見たかった、蟹江健一さんの書籍の数々を見てきた。
頸城の登山、スキーをリードした、直江津山岳会、直江津雪稜会、高田ハイキングクラブ、アスターク同人などの会報や、創刊間もない、「岩と雪」、
「岳人」などの雑誌、一般に手の入らない遭難の報告書、蟹江氏の遺稿になった「未完の頸城山地散歩」など、頸城に興味を持つものにとっては
「宝の山」である。

わずか2mくらいの本棚であるが、この中に詰まっている情報は、頸城山群に心を寄せるものにとっては、まさに「宝の山」といっていい。


火打山北面の登攀記録が探したかったのだが、これは直江津雪稜会の会報からすぐ見つけることができた。
私は昼ころから3時間半ほどいたが、膨大な資料の一部しか目を通すことができなかった。また時間をとって訪れたい。

静かな図書館であったが、私のほかにもう一名、熱心にここの本を調べていた方がいた。

「妙高メッセ」の入り口には、蟹江さんが愛用したテレマークスキー、ブーツが展示してある。最近では少数になった細板、革靴である。
蟹江さんは、定年を迎える年齢くらいまではアルペンの山スキーを使用しており、テレマークを始めたのは定年前後からと聞いている。
「シンプルさ」を山の装備の美学とした蟹江さんらしい選択と思う。

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