火打山北西ルンゼ 2008年5月4日(日)

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火打山の北面に滑降意欲をそそるルンゼがいくつかあることは結構知られている。時おり耳にするのが「火打山北西ルンゼ」である。しかし、火打山頂から影火打のコル付近までの稜線に突き上げるルンゼは3本から4本あり、どれが北西ルンゼなのか、定かでない。
今回滑ったのはもっともピークに近い部分から流下するルンゼで、おそらくこれが北西ルンゼなのではないかと思われる。
傾斜は40度から45度くらいの斜面だが、急な部分が長く、ほぼその傾斜のまま標高差900mを下る。スケール的には小蓮華山直登ルンゼに似ているが、もう少し狭く、うねっていて、いやらしい印象である。


※最近では意欲的なスキーヤーが頻繁に滑るようになってきた。「火打山北面ルンゼ」と発表されているラインはほぼ同じラインである。
混乱を避けるために、初滑降者、1980年の直江津山岳会&ビルエバンス同人の使った「火打山北西ルンゼ」という名称を尊重した方が良いように思うがいかがだろうか?違う名前を使うとしたら、明らかに違うラインをとった、あるいは体系的に整理しなおした場合、全く新しい感性によるスタイルで滑降したという場合に限った方がよいのでは?


メンバー  山川
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5月4日 快晴 

笹ヶ峰(5:40)---黒沢(6:38)---富士見平(8:09-8:15)--高谷池ヒュッテ(8:40-8:55)---火打山(10:15-10:34)---
北西ルンゼ---北面台地(11:30)---焼山温泉(13:30)
バスで糸魚川駅へ そこからJRで妙高高原へ戻り、タクシーで笹が峰へ 車回収

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今日は、早く出発したかったので前夜、笹ヶ峰まで車で入り、仮眠。
連休のまっただ中でもあり、駐車場はほぼいっぱいである。

ここ数日、気温が高かったので雪融けがすすんでおり、笹ヶ峰は前週の半分くらいになっていた。

今日は、天気も安定し、雪もしまったザラメになっている。
条件が悪ければ、空沢尾根にしようと思っていたのだが、その理由はまったくなくなった。

火打の正面斜面を滑る他グループ。
火打ピークまでくると7〜8人の登山者、スキーヤーがいた。
高谷池方面に滑降する人がおおく、北面にはいる人は少ない。
北面を少し覗いてみるが、アイスバーンにはなっていないようだ。

空沢尾根は雪の付き方が悪く、コース取りを上手くしないとスキーがつながらないかも・・・


身支度をして10時34分 北西ルンゼに進入。
数十メートルは順調に滑れるが、すぐに、ブッシュが急斜面に顔を出している地帯が20mほどあり。ブッシュにつかまりながら階段降りをしたが、ブッシュ上はエッジが効かなく、危険である。
ここでひっくり返ると、大滑落になりかねないので注意が必要。
スキーを脱いだり履いたりするには斜面が急であり、いやらしい。

【北西ルンゼ上部から焼山を望む】
このあたりは40度くらいだが、中間部で急になる。

最も急な部分。雪面はきれいだが、ルンゼはこんな感じでうねりながら落ちてい
く。このあたりでは転倒できない。

急なルンゼはあっという間に終わり。ルンゼ通過は標高差900mを正味25分。北面台地の一端に降り立った。

北面台地上から、今日の滑降ラインを見上げる。頂上から落ちるリッジをはさんで右
手にもルンゼがあり、雪がつながっている。

後日追記:火打山の北面について
火打山北面は、スキー滑降は別として、登攀者としての足跡は結構古くからある。
@昭和31年(1956年)8月 高田高校山岳部 「火打の頂にまっすぐ伸びるルンゼを登った。雪渓と急斜面で落石が多く、途中から尾根に逃げて頂に立った。」との記述
文脈から推測するに、途中までは私の滑降ルートと同じで、途中から左手空沢尾根に逃げ、山頂に達したと思われる。
A昭和49年(1974年)5月 直江津雪稜会 残雪期の初トレースを発表。今回の私の滑降ルートと同じラインを登攀。「火打沢奥壁中央左ルンゼ(仮称)」として発表している。
このとき柳賢一氏は、「遠くで見た以上に傾斜は緩い。もう少し巾があったらスキーで滑降できそうだ」と記載している。 
B昭和55年(1980年)5月 直江津山岳会&ビルエバンス同人 スキー初滑降 ラインは今回の私の滑降ラインより向かって右のルンゼらしい。このとき初めて「火打山北西ルンゼ」と発表された。
Cこの他、この流域の雪稜を火打北稜群とよび、何回かの登攀がされている。しかし、中央の登山者の関心はもっぱら海谷や明星山の岩壁に向き、火打は地元上越や、北陸の山岳会の地域研究のターゲットになっていた模様である。
このほか「雪のつながっているところはすべて滑られている」とのことだが、「すべて」という表現がどの程度の過激さを前提としているかわからないので、体系的にまとめた記録がほしいエリアである。

参考文献(妙高市、妙高メッセ:蟹江健一寄贈図書に資料が多い)
直江津山岳会 トレイル4号
直江津雪稜会 笹ヶ峰火打山研究

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