前項に述べたように、私はこの23年で6件もの、女性に好かれたとおぼしき事例を経験し、うち2件は本当に好かれていたようである。これが続くとすれば、33歳までに恋愛を経験し、結婚相手を見つけることは不可能ではなさそうだ。
これだけの事例を持ちながら、私が「もてない」と言い切ることは傲慢なのではないだろうか。もちろんとうてい「もてる」とは言い難いレベルとはいえ、酒が飲めず繁華街が大嫌いで、ナンパも合コンも経験無し、という生活を送ってきたにしては、比較的恵まれた数字であるように思える。少なくとも、自分で思っていたよりもずっと恵まれた環境にあったようだ。電車の中で見知らぬ女子高生に声をかけられるという栄誉に浴したにもかかわらず、「私は女性に好かれないから……」などと言うのは、おこがましい気がする。
私が「女性に滅多に好かれないたちだ」ということを前提条件と考えるなら、この程度は私ですら経験したのだから、他の人にはもっとたくさんあるだろう、といえる。それでもなお、2件の否定しづらい事例があることは間違いなく、それが私の身の上に起こる、ということが説明できない。「およそ滅多に女性に興味を持たれることがない」のなら、このような事例は10年に一度でも起きるとは思えない。
何よりも問題となるのは、もし、当時の私が相手の気持ちをきちんと認識していて、しかるべき行動を取っていれば――特に高2の時の事例では、きちんと女子高生に応じていて、話をしているだけで、もしかすると一緒に学校に通う仲になれてしまったかもしれない、ということである。私は何の労力もなしに、17歳で初めての彼女を作れた可能性が十分にあった。にもかかわらず、現在彼女がいないのを「もてない」せいにすることはできないのではないだろうか??しかし、「もてないわけではない」と考えるには、大きな問題がある。彼女たちがそもそも私のどこに興味を持ったのか、全くわからないのである。
性格的にもひがみっぽく気分屋で、およそ人気者になるような性格はしていないと思う。外見も、体型の面では昔はやせていたから別として、顔立ちは無用に彫りが深かったり、目つきが悪かったりで、あまり女性に興味を持たれるとは思えない。
しかし、6つの事例で、私の性格を熟知するほど仲良くしていた相手はほとんどいない。1986事件にしても転校直後のことで、それまでその女子とは話をしたことすらなかったし、サークルの事例においても、新歓コンパで会ったのが初めてである。小2の事例にしても、これまで一度も話をしたことのない女子だった。NOVAでの事例も、初めて会ったその日に起こったことである。
こう考えると、私の外見に何らかの問題がある、という可能性が高い。何だかわからないが、私の外見に女性に訴えかける何かがあったのかもしれない。
しかし、外見こそ、私にとっては一番のコンプレックスとなっているところである。若干日本人離れした顔立ちで、子供の頃は必ずハーフだと言われ、これをネタにいじめてくる馬鹿者ももちろんいた。誤解を招き、結果周囲から浮いてとけ込みづらくなる原因を生み出すこの顔は、私にとってロクなものではなかった。体型に至っては、鍛えてもいないのに肩幅と胸板が厚く、そのくせ自転車の使いすぎで足がかなり太い。顔は小さいほうで、こないだ計ったら7.4等身近くあったのだが、肩幅の広さの割に背が小さく、バランスが悪いだけである。近年の「腹回りオジサン化」という危機的状況はともかく、やせていた頃にしても、決してかっこいいプロポーションをしていたわけではない、と思う。
この点をハッキリさせるには、私の子供の頃からの写真を公開して、女性の方々にその男の子がかっこいいかどうかを判定してもらえばいいのだが、とてもそんなことをする気にはなれない。
この問題については、あまり深く追及しない方がいいかも知れない。かっこいいという判定が下されて、変なナルシシズムに陥ってもまずいだろうし、全然ダメでしたということで自己嫌悪を強めてもしかたがないのである。6つの事例に共通して言えることは、私は自分から積極的な態度に出たことは一つもない、ということである。女子高生は無視したし、サークルの後輩にも滅多に話しかけなかったし、NOVAの人にも連絡先一つ聞いていない。
もちろん、私自身が相手にさほど強い興味を持っていなかった、ということはあるかもしれない。しかし、それにしてもあまりに何もしなさすぎる。特にNOVAに通い始めた頃には恋愛にも興味を持つようになり、自分に興味を持ってくれる人なら受け入れよう、という意識は持っていた。にもかかわらず、連絡先一つ聞かずにそのまま会わなくなってしまう、というのはあまりにひどい。親しい友達としての態度すら見せていないのである。
なぜ私はこのように消極的な態度を取ったのであろうか?
まず一つには、相手の気持ちを全く認識しようとしていかなったからである。原則的に女性は「私に敵対するもの」という前提があり、自分が好かれることについては想定外にあった。これは前提が覆されるようになった大学以降でもほぼ同じで、相変わらず自分が好かれることは数少ない例外であると考えていた。私にとって、目の前の女性が自分を好きだと思っていてくれるか、という例外的なことについていちいち判断するのは、あまり実入りのいいことではない。従って相手の気持ちを細かく判断するということはせず、「敵と思われているか」「そうでないか」という程度の区別しかしなかったのである。これが女性が私に興味を持ってくれている、という認識をできなかった理由である。
次に、自分が興味を持たれていると認識したとして、何をすればいいか全くわかっていなかったことにある。相手のことをほとんど知らないワケだから、そのために親しい友達としてつきあうなりしてデータを集めるべきなのだが、そのために何をすればいいのか、全くわからない。連絡先を聞いてしまっていいものやら、聞き出した連絡先に電話してしまっていいものやら、その時自分のことを何と言えばいいのやら、全くわからない。「今度一緒に遊ぼう」と言われても、いつ、どのように、どこへ誘えばいいのか全くわからない。結果、私は何もできずにじっとしているだけ、女性からかかってきた電話やメールに応対するだけ、自分の連絡先も聞かれれば答えるだけ。自分からは何もしない、というかできないのである。
――ある女性が、私に強い興味を持ったとする。かつては仲良くしようとしても反発されたり無視されたりで、何の進展もなく終わった。
最近は、親しく話はするのだが、連絡先も聞かれなければ、自分から言ってもくれない。どこまでも友達、というかほとんど知り合いに近いつきあいが続く。どうやらこれは脈がなさそうだ、と思われてあきらめられてしまう。
たとえお互いの連絡先を交換したとしても、電話がかかってくることは一切ない。自分からかけると愛想良く対応してもらえるが、デートに行こう、みたいなことをほのめかしても「そうだねー」と言われるだけで、具体性のあることは何も出てこない。これは脈がない、と思われて終わる。
このパターンで、私はすべての機会を棒に振っていたのである。このように、これまで私に彼女がいなかったのは、女性が私に興味を持つことがほとんどないことよりも、むしろ私自身が無意識のうちに、女性との親しいつきあいを拒絶するような行動を取っていたところに問題があるようだ。
従って、彼女が出来ないことについて、「もてない」ことを理由にすることはできない。まずは私自身が、女性との親しいつきあいを受け入れ、積極的に行動するようにしなければ、例え「もてる」外見をしていても「もてる」性格を持っていても、何にもならないのである。
(00/8/18)