3−4.小学校の環境と担任の女子びいき

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 前項で述べたように、男子・女子間の不和は、担任の「女子びいき」とも取れる管理ミスによるものである、と考えられる。しかしあの小学校には、当時、女子びいきにならざるを得ない環境が存在し、結果としてあの事態を招いたのである。
 ここでは、担任の「女子びいき」について焦点を当てたいと思う。
 あの小学校には、私が転校してくる前から、男子の優等生と女子の優等生がそれぞれ一人ずついて、彼らは児童たちの尊敬や人気はもちろんのこと、教員たちや親たちの信頼も勝ち得ていた。中でも女子の優等生は、教員たちと親たちの信頼を一手に集め、いわば「カリスマ小学生」として君臨していた。今考えれば、男子の優等生は優しい性格で、どちらかというと調整役的な面があった。その男子は女子からの人気も高く、つまりは女子の意志が全体として教員たちに通りやすい環境にあった。私はそんな学校に、それも男子と女子両方の優等生がいるクラスに入ることになったのだ。
 私は国立大学付属の実験校あがりで、非常に変わった性格の、それも攻撃的な性格を持っていた。「郷にいれば郷に従え」という言葉は私には無く、自分の思いつくままに行動していた。あちこちで衝突してはケンカを繰り返し、クラスの平和を破壊していた。そんなわけで、担任にも当然目を付けられ、クラスの連中にとってもある種の厄介者だった。
 1986事件の発生と制裁措置の発動で、優等生の女子をその中心として私に対する迫害は一気に学年全体に広がった。小学校の「カリスマ」である彼女にとって、教員たちや親たちを自分の味方に引き入れ、迫害を合法化するのは簡単だったろう。
 しかし、3・4年の時には、まだ同じクラスに男子の優等生が存在した。体育面でも勉強面でも学年のトップであり、誰からも尊敬を受ける存在だった。彼のおかげで、女子の言い分が通りやすい環境にあったとしても、間はうまく調整され、「女子びいき」が深刻な問題を引き起こすことはなかった。私はただの「過激派」だったのである。
 クラス替えの後、学年トップの男子は別のクラスにうつり、女子の優等生だけが残った。男子側に調整役が存在しなくなったため、男子側の「女子びいき」に対する不満は少しずつ高まっていった。そしてそこには私という「過激派」がいたのである。
 しかも私は中学受験勉強の知識を利用して、テストの成績だけはよかったが、体育がよくなかったし普段の素行も悪かったから、別に尊敬や人気を集めはしなかった。一方で、体育の出来る男子もあまり素行がいいとは言えなかった。つまり「クラス1成績のいい男子」が「いい子ちゃん」ではなくなってしまったのである。おそらくこれが、担任の男子全体に対する評価を低めてしまったのではないか、と思われる。
 全体的に見て一番成績のいいのは女子の優等生であり、彼女は小学校の「カリスマ」である。こうして彼女の言い分、すなわち女子の言い分は正当なものとして担任に認知され、男子の言い分は切り捨てられる傾向にあったのではないだろうか。
 そして女子びいきを最も如実に示した「訴訟」では、原告側に立ったのは「過激派」の私で、被告側は「カリスマ」である。担任は何であれ、私の言い分を正しいと認める気にはなれなかっただろう。

 私が「女子びいき」を感じた理由の一つに、男子と女子の場合に執行される罰が全く違うことがある。
 これはどの教員でもやることなのか、女性教員や公立学校の教員に多い傾向なのかはわからないが、女子はえてして「呼び出し」、男子はその場で叱られたり正座させられたり、というパターンで、「訴訟」後に女子が話していたのを漏れ聞いたところによると、当時の担任による「呼び出し」は、個別に油を絞られる結構厳しいものだったらしい。しかしその情報は男子にあまねく知られているわけではない。
 一方で男子に与えられる罰は、クラスの全員の目にさらされる。例えば女子とケンカをした時、私は他の男子と一緒に黒板の前に正座をさせられた。この時も担任は私の意見をどこまで聞いてくれたか怪しいところだが、私にも非はあったのでしかたがないとは思っている。
 ちょっとケンカしただけの私を公衆の面前でさらし者にしておきながら、校則を2度も破った女子がなぜ呼び出しだけで済むのか、全員の前で厳罰に処されるべきではないか。私には理解できなかった。
 男子と女子で最も効果的な罰を処する、というのがその理由だろうが、果たして「呼び出し」が女子に満足な効果を与えたのだろうか?女子は明らかに教員たちをなめきっていた。「呼び出し」に効果があったとはとうてい考えられない。
 この点もおそらく、男子に「女子びいき」と感じさせる要因になっていたであろう、と思われる。

 また、口のうまい男子というのもおらず、議論に強いのはやはり女子の優等生だった。こうした議論構築の巧拙もまた、担任を「女子びいき」に導いた一つの要因であるだろう。

 男子校に入ってまずうれしく思ったのは、この手のひいきがあまり無かったことである。成績や素行などで色眼鏡で見る先生はいたが、そういう先生はえてして嫌われていた。人気のある先生は、全員を相応に等しく扱い、生徒の言い分をちゃんと聞いてくれた。こういう先生がいたことで、生徒は先生を信頼することができ、不満も解消することが出来たのである。
 もっとも、こんなことをする余裕があるのは、私立の先生だけかも知れない。

(00/8/3初出、01/1/25加筆修正)
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