3−0.実証分析の厳密性

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 このCapter3では、BUKKOの経験に基づく実証分析を行う。実際私が経験したことと、それが与えた影響についてミクロ的に考察するつもりである。
 実証分析の元となるデータには、私の記憶や、高校の時に記していた小学校当時に関する文章などであるが、これらは分析をする上で大きな問題を抱えている。
 まず、私の記憶がどれだけ正確であるか、である。最も重要な小学校の時の記憶も、10年以上が経過してだいぶ薄れてしまった。一番古い文献でも高校3年の時に記した物で、小学校当時に卒業記念で記した自叙伝には、ある種「嫌な記憶」である迫害の内容については一切触れていない。多くの部分で忘れてしまったことがあるだろう。
 次に、すべてを自分の記憶にゆだねていると言うことは、主観的な立場でしか当時の状況を想像・分析出来ない、ということである。特にまだ女性恐怖症が残っていた高校時代の記述や、当時私が感じていた気分も、女性恐怖症によりゆがめられた結果生まれたものかもしれない。当時の女子の間で何があったのかは、それこそ推測するしかない。
 従って、いわゆる科学で扱う「実証分析」にはほど遠い内容である。正確さを求めるなら、それこそ本格的に、当時学校が一緒だった女子をあたって、当時の状況について聞き出し、それに基づいて分析するのがいい。が、私はそのような立場にないし、そこまでする必要性も薄いだろう。扱うデータの性質――その中身が大いに主観的であることと、本来あった事実が歪曲されている可能性があることを考慮に入れれば、十分なヒントが得られるはずである。
 それに、データは小学校の時よりも、大学に入ってからのほうが多くの事例が存在し、こちらは信頼性・客観性とも比較的優れている。さすがに5年前に起きたことを忘れてはいないから、十分有為性のある結果 が導き出せるだろう、と思われる。

(00/7/25)
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