趣味が一般男性の持つものと比べて極端に偏りかつディープである――いわゆる「オタク」が恋愛をできるかどうかについて、今一度考えてみたい。
結論から言えば――趣味の種類は、恋愛の可能性には何の影響もない。ここに2人の男がいる。
この2人に、女の子が一人ずつ出会ったとする。
- 一人はウィンタースポーツが趣味で、スノボもスキーもプロ級の腕前である。
- 一人は鉄道旅行が趣味で、全国のJRの在来線はほぼ完乗、鉄道のノスタルジーを全て心得ているようなヤツである。
スノボの男に出会った女の子は、男と一緒にしょっちゅうスキー場にでかける。ゲレンデではスキーを教えてもらい、夜は彼がでかけたスキー場の話や技術論に花をさかせる――かどうかは別として、まぁカッコイイ男である。
鉄道の男に出会った女の子は、男と一緒に鉄道の旅に出かける。まずめったに乗らない夜行列車の旅情、景色をのんびりと眺めていられる在来線の穏やかな時間は、日々時間を追われて過ごす社会人の女性たちには、一服の清涼剤になるに違いない。車窓からの景色だけでも十分だということは、『世界の車窓から』が番組として成立していることからもわかる。そうした時間で心身をリフレッシュさせてくれた男に、女の子が好意を持ってもおかしくはない。
要は、その女の子が自分の持つ趣味に興味を持ってくれるかどうか、である。
ウィンタースポーツと鉄道旅行の趣味人口の問題があって、どうしてもウィンタースポーツ人口の方が多いものだから、出会いの確率が低くなり、恋愛ができないような感じがする。
しかし、女性の性格は男性の性格以上に広く、評価に感情が影響されやすい女性の場合、その性格の幅による評価の高低もそれだけ幅広く出てくる。つまり、鉄道オタクに興味を持つ女の子も十分にいる、ということである。
これについては、ネットゲーオタしかり、少女漫画オタしかり、である。確率はスポーツ類に比べ極端に低くなるが、趣味を理解してくれる人、というのはいるのである。では、この2人にもう一つ特徴を加えてみる。
こう考えた場合でも、上記の女の子たちが感じるものに差はない。相手の男の容姿を「受け入れるかどうか」にかかっていて、これもまた女性の性格によりけり――男にはどうしてもかっこよくあって欲しいか、別にかまわないと思うかによる。この許容範囲も人によりけりで、「ちょっとこれは…」と思う風采のあがらなさでもなんとかなってしまう場合、「こんなにかっこいいのに」と周囲に言われつつ恋人が誰もいない場合、とさまざまである。
- ウィンタースポーツが趣味の男は、容姿抜群でスタイルもよく、大変おしゃれである。
- 鉄道旅行が趣味の男は、小太りでやぼったいスタイルと汚れためがねをかけている。
つまり、容姿も実はあんまり関係ない。外見がよければ確率が高くなる、というぐらいである。さらにもう一つ特徴を加えてみることにする。
ここだけ「どちらも」にしたのには理由があるのだが、その理由は後述するとして。
- どちらの男も、原則的に人嫌いである。
どちらがひきこもり気味だったにせよ、スキーの技術論だったり車窓の風景に何か変わりがあるわけではない。それが楽しければ、その男と一緒にいることで何か楽しみがあれば、男が無愛想であることは別にどうだっていいのである。むしろ騒がしくないクールな男、と思われるかもしれない。
従って、人間嫌いのひきこもりである、という属性すら、恋愛できるかどうかについては無意味である。もちろん後者になるに従って確率は低くなるが、女性の性格の幅を甘く見てはいけない。
さらに言うと、女性は何も容姿や外見だけで男を決めているわけではなく、そいつと一緒にいて楽しいかどうかを総合的に決めている。つまり、野暮ったくひきこもりがちな鉄道オタでも、何か別の面で女性をひきつけるモノがあれば、それで十分なのである。
自分の性格を全て把握し、その良し悪しを全部言えるかというと、私には全く自信がない。そしてそれを女性がどう評価するかというと、全くわからない。いいと言われるかどうかわからない、ということは、悪いと評価されるかわからない、ということとほぼ同じなのだ。
世の中の彼氏もちの女性たちに、彼氏のいいところというのを聞いてみて、それを相手の男に尋ねてみてもいいかもしれない。「それはそうかもな」と言う奴もいれば、「そうかな…」と恥ずかしそうにする人、「そんなもんなのかねぇ」と半信半疑な人といろいろだろう。私の場合3番目のパターンである――自分でも気づいていなかったものを、恋人が見抜いていた、ということになる。では、恋愛ができるできないは、何で決まるのか。
私は一つの仮説として、「自分自身が恋人といることを楽しいと思っているかどうか」が重要だと思っている。
これについて、次に述べていきたいと思う。
(04/02/08)