2−38.恋愛と幸福

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 去年の暮れ、恋人を「失う」ことの意味をわかって以来、大切な人を手放すことになったことを、ずっと悔やみ、悩み続けてきた。新しくステキな女性と知り合いになっても、あるいは恋人同士の関係になっても、私は悩み続けていた。まるで元カノと同じ人でなければいけないかのように。
 そして、仕事の多忙さや心の余裕を失ったこともあって、出会いも何も作れない状態になって何ヶ月か経ち、ふと、思った。

恋愛してないことは、本当に不幸なんだろうか?
好きな人と相思相愛でなければ、幸せとは感じないんだろうか?

 答えはおそらく「否」であろう。

 考えてみれば、恋人が出来る以前。大学5年目の1年間は、不幸ではなかった。
 もちろん人生で最初で最後の「遊んで暮らせる1年間」ではあったのだが、情報処理試験の勉強に英会話、就職活動にすら充実感をもって過ごしていた。気になる女性が現れたこともあったが、別にその人がいないからと言って、今ほどの絶望感を感じるわけでもなかった。元カノと出会った時も「この人と恋人になれたらステキだな」とは思ったが、今のように「とにかく恋愛を、恋人を」といった意識はなかった。今のように「恋愛をしていなければ幸せになれない」という意識は全く無かったのである。

 もちろん、幸せな恋愛関係というものを経験して、その甘い時間を味わったことで生まれた、という面はあるだろう。
 しかし、では恋人ができたとして何もかもがあの時のように幸せになるかと言うと、そうではないだろう。日々の生活の大部分を占める仕事、そして残りのプライベートの時間。これらが充実したものでなければ、不幸感はぬぐえないのではないか。
 恋人ができると世界の見え方が変わることは間違いない。恋人だけは私の力を信じてくれている、理解してくれている。その思いだけで、おそらく日々の生活からの充実感を取り戻せることだろう。
 しかし、日々の生活の充実感を取り戻す手段が「恋愛」だけに限られているとは考えにくい。恋愛ができなくとも、考え方を変えてみる、やり方を変えてみる、職を変えてみるといった方法で、充実感を取り戻すことはできる。

 恋愛は、私に自信を取り戻させ、日々を充実させるために、大変有効な手段の一つである。しかし、恋愛だけが日々の充実感と幸福感をもたらす唯一の手段ではない。恋愛をしなくても、幸せになる方法はいくらでもあるのである。

(03/10/19)
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