2−37.男の磨き方

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 去年の夏に別れて以来、元カノから言われたことは、私にとってどうしても解決しなければならない「問題」となっていた。これらの問題を解決することで、きっとステキな女性と恋ができる、そうして元カノを見返してやろう、そんな気持ちでいた。
 だが、実際には元カノに先を越されてから、むしろ過去の失敗の後悔と幸せな時間への未練、自分も早く幸せな恋をしなければおいていかれるという焦りにさいなまれ、男を磨くどころではなくなってしまった。
 これ以上元カノのことを思い出すようなことをしていては、ストーカーになりかねない。そう判断して、私は「恋愛感情論」ごと、男を磨く件についても封印した――男を磨くには元カノとの生活や失敗した時の事を、どうしても思い出さなければいけないからである。
 その後、直接好きだと言ってくれる女性が現れたが、私はその人を受け入れることができなかった。元カノへの未練を断ち切れずにいたこともあるが、そもそも他人との接し方、考え方ということ自体に問題があったこともある。今回の失敗は、前回と同じことが原因となっていることも少なくない。
 そこで、恋愛感情論も復活させたこともあり、「男の磨き方」についてもう一度考えてみたい。

 まず重要なのは、「自分が何者か」を知って、受け入れることである。
 元カノに先を越された件で、自分の失敗を後悔し、自信を全く失った私は、「およそ女の子から好かれないであろう」自分自身の個性のすべてを破壊しようと試みた。私はそれまで持っていた趣味のすべてを捨てた。話す時はその場の雰囲気や相手の興味・関心だけを重視し、自分の興味についてはすべて否定し、相手にあわせるような話し方をしたし、相手の興味のあるものだけを趣味にするように努めた。
 どんな時でも自己を殺し、相手を立てること。これが元カノとの付き合いで私が「失敗した」と思っていたことであり、飲み会の幹事の仕事でやらされる経過で得た「人との付き合い方」だった。
 しかしその結果、私には趣味も情熱もこだわりも、何一つなくなった。普段の生活に楽しさはなくなり、相手が何を言ってくるか、それに対して自分はどうあわせていけばいいかばかり考える、ストレスのたまる日々が続いていた。
 チャットでも、話の輪の中に入ってはいけるが、自分から話題の出せない人間になっていた。自分の話す内容に一貫性は無くなり、人に合わせてばかりで本音を隠しているのがあからさまになった。心にも無いことを平然と言ってのける自分がいたが、それも男を磨くための苦行の一つだと思っていた。
 結果、私は人にばかりあわせて、信用の無い人間だと思われるようになった。好きになってくれた女性からは、私の気持ちが別のところにあることを知るや「ナンパ師」呼ばわりされ、たぶらかされたと非難された。私はたぶらかすつもりなどなく、彼女に喜んでもらいたくてしただけだった。そして自分でも、自分のすべてを否定してでも、彼女のことすべてを受け入れて好きになろうと努力した、その結果が「ナンパ師」だった。
 こうなってしまったのも、自分の感性や気持ちをムリに否定しようとして、自己を見失い、言動と気持ちに一貫性がなくなったためである。明らかに言いつくろっている、その場その場で態度の変わるカメレオンのような人間を信用しようと思う人はいないだろうし、例え信用しても、何かの瞬間に「裏切られた」と感じるだろう。
 たとえ自分の感性が、どれだけ女の子に受け入れがたいものであったとしても、その気持ちにムリに逆らうようなことをしても、自己を見失うだけである。それに、そうして仲良くなった女の子のことは、絶対に好きにはなれない――本当の自分を受け入れようとしてくれない人だから、である。
 まずは自分が、自分自身を受け入れること。オレはこういう奴なんだから、とりあえず今はここまでしかできないし、するつもりもない、ということを、自分自身が受け入れることである。
 男を磨くということは、自分を「女の子にモテる」ように作り変えることではなく、自分自身が一番力を発揮できる状態を認識して、より力を出せるようにすることである。その結果として目の前の女の子から嫌われることになったにせよ、そんな人は相手にする必要は無いのである。
 どんなにできた人であれ、その人と一緒にいても、疲れるだけなのだ。

 次に、指摘されたことの何を取り入れて何を捨てるかを検討することである。
 確かに言われたことはもっともで、すべてができればかなり「いい人間」として、女の子からの受けもいいだろう。
 しかし、誰しもそんなにできた人間ではない。すぐできるもの、当分ムリなもの、絶対認められないもの、という風にわけられるかもしれないが、さしあたり「できること」を選び出し、その部分だけ取り入れればいい。1つでも取り入れられれば、それだけ何かしら「改善」できたことになるから、間違いなく今までの自分とは成長しているだろうし、女の子から少しでも好かれるようになっているだろう。

 最後に、少しでも何か改善できたことを評価する、そういう姿勢で臨まないと、途中で力尽きる。
 実のところ、男を磨くことと女の子に好かれることは、あまり関係が無い。男を磨いたときに女の子に好かれる確率が増えるというだけで、確率は確率でしかない。確率80%でも外す時は外すし、確率20%でも当たるときは当たる。男を磨かなければ好かれない、というわけではないのだ。
 従って、男を磨くことよりも、むしろ数多くの女性と会う努力をしたほうが、新しい彼女を見つけられる可能性は高いかもしれない。
 だからといって男を磨かなくてもいい、とは言えないのだが、成果が出なかったからと言って悲観することもない。ダメなものはダメ、それも自分だと受け入れていかないと、また自己を見失ってしまう。
 改善点が無いなら無い、そういうワガママ言って自分を受け入れてくれない人とは付き合っても疲れるだけ。そういう開き直りも大切だろう、と思う。

(03/5/11)
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