2−36.好かれること

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 今まで、私はこの『恋愛感情論』の中では、「相手の女性が惚れてくれること」だけを考慮に入れてきた。というのも次に惚れてくれる女性が最後の一人だ、という意識があったからだ。その人を選ぶ以外に余地はない。
 しかし、考慮に入れるのを忘れていた点がある。
この点から、考えてみたいと思う。

 自分が興味をもてない女性に好きだといわれた時、以前の私であれば、
「一生の中でそれだけ愛してくれる女性は彼女だけだろうから、どんなに嫌でも大切にする」
という結論を出し、その人だけをなんとしてでも愛そうと努力したことだろう。実際、前の彼女とのつきあいでいくつか悩みがあったものの、私にはこの人しかいないから、と必死になっていたところがある。
 しかし最終的に私が彼女との別れを決めたのは、
「彼女に恋人として側にいてもらうよりも、一人になったほうがいい。」
という結論を、いずれ後悔するものだとはいえ、出したからである。
 つまり、
「自分を好きでいてくれる人なら、誰でもかまいません。」
という発言は、ウソとまでは言わないが、守れるものではなかった、ということになる。

 従って、

「自分を愛してくれる女性であっても、自分が興味をもてない場合、恋愛対象にはできない。」

ということになる。
 これは私が最近、ある女性の愛を断らざるを得なかったことと同じであり、今、前の彼女が(例え今の彼氏がいなかったとしても)私を恋愛対象と見なせないのと同じである――といっても前の彼女は元々「自分を好きでいてくれるなら誰でも…」とは思っていないわけだが。
 単に「好かれているから」だけでは、恋愛は成立しないのである。

 興味がもてない理由の主なものとして、

が考えられる。
 相手自身に興味が持てないのは、自分が付き合う上で我慢できないものを相手が持っている――性格面はもちろん、残酷ながら外見的な問題や年齢の問題もある――場合である。この興味を持つかどうかは、おそらく各人がそれなりの基準を持っていると考えられる。もちろん私にもそれなりの基準があるため、やはり「好きだと言ってくれたら誰でもいいです〜」というわけにはいかない。
 相手以外に興味のある相手がいる場合にも、好かれたからと言って興味を移せない。別に大切な恋人がいる場合はもちろん、片想いの相手や昔の恋の未練にさいなまれている場合も同じである。私の場合、未だに前の彼女への気持ちが忘れられないため、忘れさせてくれるほどのものを持った女性が現れるか何かしない限り、新たな恋愛はできなさそうである。

 自分が興味を持てない女性に好かれてしまった場合には、残念ながら断らざるを得ない。その人と一緒にいても楽しくないかもしれない、ということなら、例え相手の気持ちが大切なもので、もしかするともう二度と誰かに好きになってもらえる機会が無いにしても、それはそれでしかたがない、と割り切るしかない。
 例えどんなに好かれていて、その人以外には恋をする機会がないとしても、自分の気持ちを騙して興味のない相手と付き合っていても、そのうち破綻するのである。

 これは、逆の言い方もできる。
 つまり――どんなに私が好きだと言っていても、相手が私に興味を持っていなければ、例え恋人がいなくとも、恋愛対象にはなりえない、ということになる。
 従って、私に興味を失った元カノに私がどんなに気持ちを寄せようとも、元カノは気持ちを受け入れることができないのである。

(03/4/21)
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