2−32.総括〜いままでのこと、これからのこと〜

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 彼女と別れて、約半年。それまでの間にわかったこと、気づいたこと、それに基づく反省を踏まえて、去年の失敗を考えてきた。個別の分析が一通り終わったところで、まとめてみたいと思う。

 今回の失敗の最も大きな原因として、お互いのコミュニケーションが少なすぎたことで、気持ちが彼女に伝えられていないことがあげられる。
 遠距離恋愛で実際に出会う機会が限られていることもあるが、私が素直に彼女に自分の意図を伝えられなかったことが最も大きな原因である。その要因として、過剰な自己嫌悪により、自分の気持ちを素直に示すことで嫌われるかもしれないという恐れを抱いたことと、彼女が自分といることで幸せな思いをしていることすら信じられなくなってしまったことが挙げられる。
 この点については、幸せを感じていなければ女の子は絶対についてこないということ、仕事その他の失敗と女の子に幸せをもたらすことにはそれほど直接的な影響はないこと、一度は好きだと言われたのなら何かしらの長所があるはずだということ、そして彼女を幸せに出来るのはおそらく自分だけだろうと信じ続けることで回避できる。ただし、あくまで彼女がついてきてくれていることが前提である。

 彼女が最終的に私を嫌いになった原因としての「コドモっぽさ」には、一つには落ち着きがなくうろたえやすいこと、言っていることとやっていることが全然違うこと、すぐにヤケを起こして機嫌を損ねることが挙げられる。こうしたことは普段、落ち着いてリラックスしていればまず起こさない――周囲の人には私が焦っていることはすぐにわかる――ことなので、いかに焦らないかが重要なカギとなる。  なんでそんなに簡単に焦るか、というと、心配性で小心者だから、ちょっとしたプレッシャーや悪条件にひるみやすい、というところがある。大抵落ち着いてやれば何事もなく終わるモノなのだが、余計に怖いもの、厳しいものだと考えすぎて身構えてしまう。それが焦りを生み、自滅するのだ。
 こうして焦るのは、自分の置かれた立場や状況をわかっていないために、物事を重大に取りすぎて起こるらしい。従って何か恐ろしそうな物事がやってきた時、状況をきちんと把握して道筋が見つかるまで絶対に動かない、という立場でいけば、焦った状態で何かを始めて自滅してしまうようなことは少なくなる。道筋さえ立てば焦りは消えるので、落ち着いて物事に取り組める。
 言動の不一致も、物事の把握が不十分なことから起こることで、これも同じように改善できる。
 焦らないようになれば、ヤケを起こすことも当然少なくなる。
 これを日々実践していくことで、少しずつ、焦ることのない落ち着いた男になれるだろう。
 幸い、仕事のおかげでこれは実践せざるをえなくなっていて、ことにこの2ヶ月は気をつけてやってきていたので、去年と比べてだいぶ落ち着いてきた――気がする。

 当時不安に思っていたことの一つとして、趣味の違いが挙げられるが、これは必ずしも二人の関係に決定的な影響を及ぼすものではなく、むしろ価値観があう、考え方が似ている、相手の行動や心情がなぜか手にとるようにわかることで、一緒にいて心地よい感覚を味わえることが重要である。従って一緒に趣味を楽しめなくとも、別の形で一緒にいられるようにすれば、何の問題もない。目的は一緒にいること自体にあって、手段は趣味だろうと何だろうとかまわないのである。

 最後に、彼女と別れて本当によかったのか――
 これが今の私にとっての一番大きな問題であり、ふと思い出しては泣き出したくなる。
 結論から言うと、はっきり言って別れるべきではなかった、というか「捨てる」べきではなかった。
 確かに「一人身」は自由だった。彼女との電話やチャット、デートに割いていた時間を全て、自分ひとりのために使えるようになった。この差は本当に大きく、しばらくは恋愛というものをすっかり忘れていた。
 しかし、一旦愛を受けたものにとって、完全に愛を失うことはそれ以上に辛い。恋をする前では想像がつかないくらい、ともすれば死んでしまいたくなるほど辛く悲しいものだった。
 それに、性格もよく声もかわいく体型も普通の状態を維持していて、かつあれだけ私のことを純粋に愛してくれる人とはそうそうめぐり合えるものではないだろう。彼女にあれだけ尽くしてもらった恩義をあだで返すような真似をしたことも、本当に残念でならない。悔しい。
 だが、あの時の私が、恋愛関係というものを維持していけるだけの精神状態でもなければ、精神的に成長していたわけでもなかった。例えどんなに素敵な人がいたとしても、私と恋愛関係を維持していくことは不可能だっただろうし、もしあの時踏みとどまって恋愛関係を維持していたとしても、私は明らかにムリをしていた。そして自分の欠陥に気がつかないまま、愛がゆっくりと冷えていっただけで、別れるという結果に変化はなかったかもしれない。
 おそらくそういう別れ方をしたら、私は本当に恋愛というものに全く興味を失っていただろうが、幸い「傷の浅い」うちに別れたことで、人を愛する気持ちだけは忘れずにいることができ、同時に自分自身をも見直す機会を得ることが出来た。
 従ってこれも、女子に迫害された経験と同じように、私がまともな大人の一人として生きていく上で絶対に必要な通過点だったのではないだろうか。次に私に振り向いてくれるどこかの誰かを、永遠に本当に幸せにしてあげられるようになるために、絶対に必要な試練だったのではないだろうか、と思うのである。

(03/1/31)
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