2−29.卑屈と謙遜

コーナーのトップページへ HOMEへ戻る


 メール友達に、前の恋愛のことで相談に乗ってもらっている時、こんな返事が返ってきた。
「ブッコさん、自分のいいところわかってる?」
 ……返答に困った。一つも思いつかない。

 私は自分の長所について、徹底して懐疑的である。彼女がいた時は一時的に自信がついたものの、仕事がはかばかしくゆかなかったりするたびに、その自信は薄れていった。焦る気持ちと、失われていく自信。私は自分が何よりも嫌いになり、そんな自分を好きでいる彼女の愛を、いつか欠点がバレることで簡単に崩れるものだ、と思った。彼女の愛の深さを疑ったのではなく、それだけ自分が大嫌いだったから、こんな嫌いな奴を好きだなんていうのは、明らかに私がだましているからだ、真実に気がついたらすぐにコケる、と思ったのだ。
 いずれ崩れるなら、さっさと崩しちゃえ…そんなヤケクソな気持ちが無かったとはいえない。そしていつまでも崩れない愛に、やっぱりオレ彼女だましてるよ!本当のことを知らせないと!とますますムキになっていたところがなくはない。こうなるともはや本性でも何でもなく、わざと嫌がらせをしているだけになってしまう。

 自分のどこを気に入ってたんだ、と今更のように前の彼女に聞く権利も能力もないわけだが――
 今まで言われたことのある「長所」について、並べてみようかと思う。

 外見は恵まれているほうだ、と言われている。前の彼女も私を初めて見たとき、ちょっとかっこいいと思ってくれたらしい(爆)。まぁ、ホームページで見た印象が「田口ヒロマサ(デブメガネキャラを熱演する俳優さんの代表格)」で、私はもうちょっとタイプの違う汚さだから、その辺のギャップが「かっこいい」という評価を生んだ可能性もある。
 まぁ、それも今より10キロはやせてた頃の話であって、今となっては微妙である。先日会った読者様には「想像どおり」と言われたし…。やせたら多少は改善されるかな、というぐらいと考えたほうがいいだろう。
 合理的に深い考え方をする点が評価できる、と言われることもある。仕事の影響があるかも知れないが、『恋愛感情論』の書き方がそんなに変わってないところを見ると、考え方として慣れてないわけではないらしいが、言ってしまえば単なる「理屈屋」である。
 資料作り・文章を考える力がある、と言われたこともあるが、もっとすごい人はいくらでもいるわけで、別段誉められるほどのものでもない、と私は思っている。
 そして、一番多くの人に言われるのが「やさしい」という言葉――前の彼女もそれで私についてきてくれたらしい。そもそも「やさしい」という言葉自体、私には理解しかねる。
 辞書いわく「1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。」ということらしい……私は普段やりたいようにしているだけで、別に相手を思いやっているわけでも、穏やかでおとなしいわけでもないのだが、親身になって聞くタイプだということと、愚痴を普通の人ほど嫌がらないことと、親しくしてくれる人には徹底して親切にしようと頑張る、というところで、やさしい、と思われているのかもしれない。ただしこれも、虫の居所が悪いときは全てぶち壊しになる。そうでなかったら大切な恋人にあそこまでひどい仕打ちはできないだろう。

 というように、私はとにかく自分の長所となると徹底して、というか言い訳がましく否定する。ナルシシズムが嫌だと言うこともあるが、それより何より、「それは違うだろう」と他人に言われたくないからである。事前に「大した事は無い、だから長所にもならん」と自分で言い切ってしまえば、他人からの煽り・叩きを食らうことは無いからだ。
 これは、人からの批判を受けたくないから、ということになる。そんなものは役に立たん、大したことは無い、とあっさり言われてへこみたくないのである。
 ということは、自分の長所をここだ、と認識している、ということになる。
 いいかえれば、

俺はやせれば誰よりもかっこよくて、
他の追随を許さぬほど文章書くのがうまくて、
常に理性的で論理的な考え方を追求する、
誰よりもやさしい男だ!
どうだ俺を彼氏にしてみろ!!
幸せにしてやるぜフェフェフェ(謎

と自分で思っている、ということを意味している。それを否定されたくないから、事前に卑下して釘を打っておくのである。

 アンチ・ナルシシズムとしては、正直言って認めたくない感情である。吐きそうになる。
 しかしそれを認めなかったがゆえに、他人に批判されてへこむのだ。初めから自分で「大したことねぇよ」と思っていれば、人から長所を言われて必死に否定などしないし、批判されたところでへこまない。どちらの評価を受けても「ふぅん、そうかもね」と受け流せるはずである。
 それこそが批判を怖がらない大人の態度であって、ひたすら逃げるガキと違うところである。

 なので……とりあえず上の長所について自信があることは、認めようかと思う。
 ただ、トップを見れば大したことはないことを自覚して、よりよく伸ばしていくなりすることを考えればいい。
 卑屈と謙遜が違うのは、自分が長所を長所だと認めている、ということを素直に認められるかどうか、そしてその長所を伸ばしていこうと考えているかどうか、というところにあるのかもしれない。

 …こんな私に興味のある方、メールください(爆

(03/1/27)
このページの先頭へ戻る


コーナーのトップページへ HOMEへ戻る