2−26.出会いの大切さを

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 さて、こうして一人身になってみたものの、この先出会いなどおよそ考えられない状態にある。完全に闇の中に突っ込んでしまった、というべきか。
 今の状態は学生時代よりもっと深刻で、時間が無いためにチャットすらままならず、何か新しいものに打ち込もうにもその時間も無い。出会いのきっかけになるような趣味も持てない状態である。
 それがなおのこと、大切な人をあっさり切ってしまったことへの後悔へとつながっている。もはや完全に一人になるために、一生恋愛をしないために彼女と別れたとしか思えない。
 本当にそれだけの覚悟があってやったのなら、今更こんなに後悔はしていない。

 最初のチャットでメール友達になった、という出会い方自体がめちゃくちゃな偶然だったわけで、私はその奇跡を大切に扱うべきだった。多少の問題があったところで、二度と起こらない奇跡だ、と思って大切にするべきだった。もてないならなおのこと、ちょっとしたことで全てを捨てるようなことをするべきではなかったのに。

 しかし考えてみれば、今まで私が何度も切ってきたチャンスのひとつに過ぎない。
 最初は小学校2年、次が3年。5年の時にもあったか。その後男子校に入ったにもかかわらず高2と高3で1回ずつ、さらに大学1年、2年、そして4年の時にようやく、一通りの恋愛を経験するスタートを見つけた。それも初めはそうなるとは思ってなかったものだった。
 考えてみればかなりの数がある上、しかもどれもが奇跡的な偶然の産物である。しかも女は嫌いだと言って男ばかりの環境にいた時代にもあったではないか!それも電車の中って…
 それなら、また何か、これは絶対ありえないだろ、というところからチャンスが出てくるに違いない。それが合コンであれ、チャットであれ、ホームページであれ、市民プールであれ、電車の中であれ、街中であれ、出会いは出会いに違いない。
 逆にいえば、出会いはおよそ予想のつかないところから突然のように出てくる。例えば前の彼女は、もとはただ1回のチャットで出会ったメール友達だが、その間にも何度もチャットをした相手がいたり、ホームページの読者様がいたり、NOVAで会った人がいたり、就職活動で一緒になった人がいたりしたのだ。よりによってそんなスキマみたいなところで出会った人と恋仲になろうとは思ってなかったわけで――
 またぞろ、これはいくらなんでもありえないだろ、という妙ちきりんな出会いのチャンスがでてきて、びっくりするような人と出会うんじゃないだろうか。そういうことなんじゃなかろうか。

 会社で、10歳下の女性と結婚した人がいる。
 今私の年齢から10引くと15歳…中学3年生。今、中3の女の子と出会って恋仲になることはまず考えられないが、もしかしたら10年後にどこかで会うかもしれない。もしかすると前の彼女そっくりの性格だったりするかもしれないし、10年後の私ももっと成長して、女の子にももっと積極的に出られるようになっているかもしれない。
 そう考えると、今回の出会いが本当に最後だったかはわからない。むしろ彼女と結婚までしてしまっていたら、あれが最後の出会い、となったかもしれない。

 でも、次はあってもせいぜい1回。今度こそ最後のチャンスだろう。
 幸いこの失恋で、自分の性格で何が悪いかはわかったし、どうしたら向上できるかもわかった。共同生活で何が問題になるかすら、知ることができた。むしろ彼女と別れることになったからこそ、自分を見つめなおす機会ができたとも言える。
 次は同じ失敗はしないはずだし、別の問題が起きても、そう簡単には関係を壊さないはずだ。
 だから次こそは、大切にする。自分の力でやれるだけの事をできれば、今回のような後悔は絶対にしないはずである。

(03/1/20)
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