2−24.趣味の違い

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 彼女との付き合いで悩んでいたことの一つに、メインとしている趣味の違い、というのがあった。

 彼女はJ-POPSが趣味で、音楽関係には一家言ある人だった。ラジオを聞き、これはと思うアーティストがいれば、そのアーティストを徹底的に調べる。ライブへと参加する。参加したライブを通じて、いろんな人と交流する、という積極的な趣味を持っていた。
 一方、私はゲーマーである。それもあの時期は『リネージュ』一色で、長時間プレイを続けてはいたが、真の「廃人」さんたちには情報も遅く勝てないので、攻略ページなどは作れない。せいぜいプレイ日記を書くのが関の山、といったところだろうか。
 私は彼女の音楽の趣味を理解しようと、曲を聴いたり一緒にライブに出かけてみた。しかし、女性ばかりのライブの雰囲気に戸惑うばかりだったり、曲も私の心に100%ヒットする、というものでもなかった。
 一方で彼女を『リネージュ』に誘ってもみたのだが、回線の状況が悪かったり、私自身が複数人でのプレイに慣れてなくて魅力を充分に伝えられなかったこともあり、結局2人で遊ぶ、ということにはならなかった。
 こんなことがあって、私は彼女の趣味を何とか取り込もう、そうでなければ2人の接点がなくなる、と焦っていたが、結局果たせなかった。

 実を言うと、お互いの持っている趣味、というのは、恋愛関係の維持にはあまり関係が無い。
 というのも、二人とも似た価値観と考え方、感じ方を持っているから、いくつかある趣味の中で、必ずどれか興味を持って一緒に楽しめるものが存在する。あるいは片方がどちらかの趣味についていく、という場合もあるだろう。もちろんメインとする趣味が同じであれば、それを中心にして楽しい時を過ごすことができるだろう。
 それに何より、本来恋愛関係にあれば、お互いのことに一番興味を持っているはずで、自分の趣味よりもデートを優先し、お互い話をすること、一緒にいることを優先する。あくまでも趣味は趣味であって、生活のメインとなるのは「二人の時間」なのである。
 しかし、これが当てはまらない場合が存在する。
 片方が「廃人」…つまり、一つの趣味に没頭しすぎて周りが見えなくなるタイプの場合、である。

 私はそれほどのレベルではないが、当時『リネージュ』にどっぷりつかっていて、他の趣味はもちろん、大切な恋人すら見えなくなっていた。
 これが遠距離恋愛でお互いが自由な時間を持っていた場合には何の問題もなかったが、1週間2週間と同じ場所で生活をするとなると、弊害を生む。例えば彼女を放置してネットゲームにはまり、彼女はすぐ後ろのベッドに座ってマンガで暇つぶしをせざるを得ない。彼女がいい邦画のビデオを借りてきても、私は家に戻ってすぐネットゲーム。なまじっか目の前に相手がいるだけに、一緒の時間を過ごせないのは、実はかなり心苦しいのだが、自分の趣味を優先させたいがために彼女を放置する――これが「廃人」である。
 彼女はある程度、暇つぶしで我慢はしてくれる。しかしそれはあくまで「いずれ構ってくれる」まで待っているだけである。ネットゲーム、それもRPGのように手間のかかるものを何時間も続け、平日の夜など深夜まで彼女を放置しては、彼女も我慢できなくなる。そうして甘えてきた彼女を「うるさい」と突き放して泣かせてしまう――「ネットゲーム廃人」の間では大変よくあることである。

 もちろんこんな「廃人」でも、恋人を作ることは可能である。
 自分がハマってるものと同じ趣味を持つ異性を恋人にするか、あるいは恋人を自分のハマってるものに引き込めば、「廃人」化した趣味を共通のものとして、二人で楽しむことができる。
 恋人を趣味のページや集まりなどで見つけた場合には、この点では前者にあたるので問題は無い。しかしそうでないところで恋人となった場合――私と彼女の場合は、出会いはごく普通のチャットである――「廃人」が自分の趣味に相手を引き込む必要がある。

 では、私は彼女を『リネージュ』に引き込む努力ができたかと言うと、それは大変疑問である。
 パーティープレイもうまくいかず、回線も切れやすい状態で、快適にプレイできずにいた彼女に対し、私は、「ゲームは一人でやるものだから」と言って自分から遠ざけた節がある。  一方で、私が彼女の趣味を理解しようと努力できたかと言うと、それにも疑問がある。
 元々「廃人」で周りが見えてないのもあるが、私には「食わず嫌い」という悪癖があって、先入観にとらわれて、やってもみないうちから「つまらん」と判断してしまうことがある。
 たとえば邦画にしても、彼女に紹介されて何本も味のあるいい映画を見ていながら、ミニシアターで邦画、と言われると、その魅力に疑問を持ったりしていた。例え興味の湧いた映画であっても、映画監督を調べてその作品を探したり、という手間は取らなかった。
 音楽にしても同じである。歌詞もいい、と薦められていたにも関わらず、私は歌詞研究はせず曲を聞き流していた。ラジオもチェックしていなければ、ライブ情報も見ていない。彼女がはまっている趣味について、その醍醐味を理解しようと努めた、とは言いがたいものがある。
 つきあって1年も経つのに、いっこうに知識も興味もついてこない私に、彼女はおそらくイライラしていたのだろう、私の初心者レベルの質問に対して、おととし12月のライブでは冷たい返事しかしてもらえなかった。

 恋愛関係において、趣味、というものをどう考えたらいいだろう?
 これについて、先日当ページの読者の方とお話をした時、大変重要なヒントを得られた。
 他人の持っている趣味、というのは、例え自分が一緒に楽しめなくても、貴重な情報源である。これを知識として持っておくだけでも、人間としての幅が広がり、話題も増える。
 何か一つ、没頭できる趣味を持つことは、決して悪いことではない。しかし、全てがその趣味に支配されてしまうのでは、人間的に幅が狭くなり、面白みの無い人間になってしまう。
 大好きな恋人の持っている趣味なら、とことんまで研究して、一緒に楽しめるものなら楽しむ、そうでなくとも自分を高めるための知識として吸収する。

 好奇心を幅広く持ち、そして二人で楽しめるものを見つける。これが、もともと他人である恋人とのギャップを埋める、一つの指針となるかもしれない。

(03/1/15)
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