2−23.愛の力

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 女性にとって、愛の力、というのは大変偉大なものらしい。

 彼女にしても、私を愛してくれていたときは、本当に尽くしてくれた。2度目のデートで私が地元に押しかけたときも、テストがあるというのに私を迎えてくれ、大学までついていくのを許してくれた。毎回バイトを調整してデートの日を作ってくれたし、何より同棲生活をしていた3月は、帰りの遅い私が喜ぶように、と家事をして待っていてくれていた。そんな彼女に私がどんなにひどい仕打ちをしても我慢してくれた。
 他の人の話を聞いても、女性は本当に惚れた男には、徹底して尽くす、という性質があるようだ。(個人差はあるようだが)

 これを逆の立場から考えてみると、彼女の愛を信じていれば、男は自分の行動を不安に感じる必要は無い。仕事が忙しくて彼女に何もしてあげられない、実は趣味に没頭したい、ゲームやりたい、土曜日寝てたい…それでも彼女は愛の力でそれを受け入れてくれる。あるいは家事を手伝ったり料理を作って待っていてくれたり、協力してくれる。
 従って、男は自分のやりたいようにしていればいい。自然体でいれば、彼女が本当に男を好きなのであれば、絶対ついてきてくれるし、尽くしてくれるのである。

 ただし、条件が一つある。
 彼女に思いのたけの愛を与えてあげること、である。それによって、自分が愛されていることを確かめた女性は、よりいっそう男への愛を強める。そうして尽くすための愛のエネルギーを蓄えているようだ。
 それまで静かだった彼女の態度が変わったのは、私が自分のことでいっぱいいっぱいになって、彼女へ愛の気持ちを十分に表せなくなってからだった。
 しかし私はそれに気がつかず、急に変わった彼女の態度を疎ましく思った。私は愛を注ぐことをやめたばかりか、彼女の態度を責め、愛がなくなった、と告げた。それが6月の終わりごろ。
 彼女はそれでも、残り少なくなった愛の気持ちで、私の気持ちが戻るのを待ってくれていた。彼女が別れを切り出すまで、なんと1ヶ月!私は彼女に愛をささげる準備は整っていたにもかかわらず、彼女の真の意図と、真の価値を図りかねて、自分の意思を決められなかった。「やっぱり君しかいない」と告げることがどうしてもできなかった。
 これは、愛の力がどれだけ強いかを示していると同時に、男が女性に愛を注がなくなった場合に、態度を変化させることと、いままで蓄えていた愛が消滅すると同時に、愛する気持ちを失ってしまうことが考えられる。

 彼女に対して愛を注ぐ場合には、当然のことながらムリをする必要は無い。なぜなら男の性格もひっくるめて好きだという気持ちをもっているから、自然体でいるほうがむしろ、彼女の愛する気持ちを維持できるだろうし、自分も消耗しない。男が自分をすり減らして、明らかに無理な形で彼女に愛を与えても、彼女は決して喜ばない。彼女にとっても男は大切な存在であって、その存在が自分のために苦しんでいるところを見たくはないのである。
 その上で、彼女にとって何が一番嬉しいか、を考えて行動する。
 音楽好きであれば、CDを買ってプレゼントするのもいいが、むしろ彼女の好きなアーティストの情報をいち早く手に入れたり、歌詞やメロディについて語り合ったり、タイプの似ている新人アーティストの情報を持ってくるほうがうれしいかもしれない。映画好きなら映画に連れて行ったり、映画情報を収集して、それに基づいて話をしたり。ショッピングが好きなら面白い商品の情報や、雰囲気のいいショッピングモールの情報を収集して話すのもいい。あるいは、単に一緒にいることが、彼女が一番望んでいることかも知れない。
 そうして彼女へ愛を注ぐことができれば、彼女は必ずそれに応えて、尽くしてくれるだろう。

 ということは――いくらこちらが愛を注いでも全然尽くしてくれない場合には、次の点に問題があると考えられる。

 まず、彼女の趣味趣向から、彼女への愛の注ぎ方や表現方法を検討する。問題があるかどうかは自分である程度わかるところもあれば、わからないこともある。わからないことは、本当は彼女の友人と親しくなり相談するのが一番いい――彼女と別れた後友達づきあいを続けていた頃、彼女の友人と交わした一言で、交際当時不安に思っていたポイントが一つ解決した経験もある。なので、彼女ができた場合、彼女の友人とも親しくなり、友人としての意見を求められるようにしておくと、自分のためにも役立つ。

 次に、誰か別の人に愛を注いでいることがバレている可能性である。
 基本的に恋愛というのは独占欲の塊で、自分にだけ愛を注いで欲しい、と思うのは当然のことであるし、もし別のところに気持ちが「流出している」ようなら、なんとかそれを全部自分の所に持ってこようと必死になるか、あるいはこれ以上尽くしてもムダだと思って去られてしまうだろう。
 私の場合、浮気などしてもバレるだけだし、2人に愛を注ぐなんて疲れてやってられないのでしないのだが、する場合には絶対にばれないように、かつ相手の気持ちをつなぎとめるだけの愛を注ぐ必要がある。
 しかし、上記のように浮気については「ブッコ」の行動から明らかに外れてしまうため、割愛する。誰か2人の人を好きになってしまったら、2人のことをよく考え、どちらにするかを決めるだろう――まぁほとんどの場合、それまで付き合っていた彼女のほうに戻るだろうが。

 次に、彼女の性格を考える。
 性格的に相手に尽くすということを知らない人、というのはいる。そういう人だとわかってて、それが自分に合っているということで付き合うなら、それもいいだろうと思う。
 この部分は本当に個人差があるから、あくまで程度の問題であるが、彼女の性格を知って好きだと思って付き合っているなら、問題ないだろう。

 次に、自分が彼女を愛せなくなった場合。
 初めから好きだと思ってつきあっていたなら、その気持ちがなくなった原因は、無理な交際をして彼女への愛の気持ちを消耗したからであり、それには強迫観念にさらされて彼女に無理なサービスをしていた、愛に飢えた彼女の非常手段に対応できず疲れ果てた、彼女のあまりよくない部分を改善しようとして失敗して消耗した、など、さまざまな原因があるだろう。
 その上で、もしも相手を自分を好きだと思ってくれる貴重な存在として認めるなら、初心を思い出して彼女に愛を注ぎ、蓄えてあげる必要があるだろう。多少ムリが入るだろうが、彼女の自分への愛を取り戻せるまで頑張れば、そのうち大好きだった彼女に戻ってくれるかもしれない。

 最後に、初めから愛などなかった、と言う場合。
 本当に愛があるかどうか、は本人にすらわからないところがあるので、判別のポイントははっきりしていない。
 ともかく一番最初に交際を受け入れてもらえて(あるいは好きだと言われて)それを信じられるなら、この場合には当てはまらないだろう。
 しかし、全てのポイントを考えても問題なし、疑うとしたらこの部分しかない、となった場合には――私なら、あきらめる。どんなに性格も外見も申し分の無い人だとしても、自分に興味を持ってくれないのならどうしようもない。そんな人を振り向かせようとして努力をし、例え運良く振り向いたとしても、その時の自分を維持するのに消耗してしまったら、いつしか自分の愛はなくなってしまう。
 そんな不毛な努力をすることになるぐらいなら――あきらめて別の人を捜したほうがいいだろう、と思う。自分に合った人で自分を好きになってくれる人は必ずどこかにいるはずである。

(03/1/10)
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