2−13.『恋の芽』の管理問題

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 ある日、前の記事を見た友人が電話してきた。彼は私の周囲では恋愛に詳しい方で、いろいろと相談していた。
「せっかくの気持ちを忘れてしまうのは、もったいなくないか?せっかくの『芽』なんだから、とっておいてもいいじゃないか。」
 彼は同じ大学の同じ学部、つまり経済学部の学生である。その後二人して効用がどうの維持費がどうのという、エセ経済学な方向に突き進んでいったのだが……。

 今回の年下の女性に対する恋愛感情の場合、若干(というかかなり)互いの身分に不相応なところがあるのだが、女性から完全に嫌われたわけではない。比較的友好な関係を維持した状態で、別の要因で交流が途絶えたのである。従って条件さえ揃えばいつでも再出発可能な、友人の言葉を借りれば『芽』ということになる。
 しかし、私の経験上、この手の、再燃型の恋愛感情はあまり好ましくない。
 というのも、かつてこの再燃型の恋愛感情でもって、ふられた相手にストーキングをしてしまったことがある。待ち伏せや尾行などはしなかったものの、初めはたまたま同じ授業を取ることになって、教室の後ろの方からその女性のことを見ていただけだったが、ある日魔が差して、非常に問題のある行為をしてしまった。もちろん相手にはそれは知られていないし、どこにも何の実害も与えていない(はずだ)が、強い後悔の念を覚えた。
 もっとも、ストーキングをしたのは2年前のことで、この2年間は私にとって多くのことを学んだ期間である。だからおそらく、このようなストーキング傾向も無くなってきているのでは、と思うのだが、確証はない。本当ならストーキングをする元凶となった恋愛感情そのものをすべて封印するべきなのかも知れないが、これまでの経験上、恋愛感情だけでストーキングに走る傾向はないようだ。問題は「ぶりかえした」時である。従って、再燃型の感情については出来る限り抹殺し、処理出来なかった場合にもすべての行動を自重するべきである。いつストーカーになるかわからない。それが怖いのだ。

 とはいうものの、もったいないという気がしないでもない。その女性に嫌われている、というわけではない。ただ単に会えなくなっただけである。それを前回のストーキングと同列に考えてはいけないのかもしれない。
 正直なところ、私が「忘れよう」というのは、この『恋の芽』を育てられる自信が無いからである。私は気の利いたことも言えないし、楽しいデートを演出するなんてこともとてもできそうにない。彼女もどちらかというと地味な方なのだが、だからといって私のような男に恋愛感情を抱いてくれる、とは思えないのだ。

 もっとも、これは私の勝手な言いぐさであって、彼女が私を好きだと思ってくれる可能性は0ではないから、完全に忘れてしまうのは得策でない。そう頭ではわかっているのだが、自信のなさがどうしても勝ってしまうのである。

 私が最も恐れているのは、これだけさんざん「忘れるんだ」「消滅した」と書いておきながら、いざ本人と会った時に「やっぱり好きかも……」というスケベ根性を起こしてしまうことである(苦笑)。
 ストーキング傾向よりなにより、このあまのじゃくな性格を矯正すべきかも知れない。

(00/7/26)
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