2−10.結婚の効用

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 ゲストブックに、結婚についての書き込みがあった。
 そこで、結婚に何の意味があるのか、考察してみたいと思う。
 結婚、というのは、前出「結婚は束縛か」に記したように、恋愛かあるいは共同生活をする必要に迫られた結果である、と私は考えている。だからそもそも「一緒に暮らそう」と思うまでの恋愛をしなかったり、共同生活をする必要性がなければ、全く縁のない話である。かつては男は結婚しないとどうの、と言われたこともあるが、仕事によっては結婚がおもりになる可能性も考えられる。来春私が進むことになるシステムエンジニアの職業では、仕事のある場所に自分が出かけてゆく、という形態を取るので、結婚して家庭を持ってしまうと、家族を日本国中引きずり回すか、それともしょっちゅう単身赴任や出張で家に滅多に帰ってこないようになるかもしれない。これでは一緒に暮らしている、という意味あいはだいぶ薄くなってしまう。
 それに、元々他人だった、それも性別が違う、全く別の世界の住人が共同生活をするのである。すれ違いや衝突が起きないのがおかしいし、必ずしも甘いだけのものではない。
 しかし、結婚はその法的・経済的な便益だけでなく、働きがい、という意味でも、大きな役割を持っている、と思うのである。

 就職活動中のある日、私は大森の会社から日比谷の会社まで、移動時間の問題でタクシーを使うことになった。しばらく走っているうちに、ドライバーとうちとけるようになった。だいぶ前に脱サラして、ドライバーになった方であった。
 その途中、ドライバー氏の携帯電話に、娘さんから電話がかかってきた。学校であったことなどを話しているようだ。たずねると、まだ小学校の低学年だという。このとき、私はドライバー氏の背負っている大きな物に気がついた――家庭、である。
 ここ1、2年の就職活動は厳しく、学生たちに「なぜ働くか」を志望理由として強く求める。そのため「働きがい」「生きがい」ということについて、深く何度も考えさせられる。せいぜい私のような学生が考えることといえば、「その仕事を面白いと思うか」「将来やっていけるか」といった自分のことだけで、家庭を持って子供を持った場合の人生設計まで考えるのは、学生結婚か、卒業後即結婚しようと思っているような人たちぐらいのものである。もちろん私も、恋愛をする相手すらいない身の上、就職活動に臨むのに考える必要はない。
 しかし、そのドライバー氏は、多かれ少なかれ、自分の子供のいる家庭を生き甲斐にして働いている、ということが、娘さんへの口調で感じて取れたのだ。どんな口調であるかは、何とも説明しようがない。言ってしまえば、いいお父さんが仲良く娘と会話しているだけなのだが、私にはドライバー氏の家庭を大切にしている気持ちが伝わってきた。
 彼がまだ社会にも出られないペーペー学生を、本拠地としている大森から都心のど真ん中まで運んでいるのも、彼がその仕事自身にある程度のやる気があることはもちろんだろうが、家庭を守るためである、という面が大きいだろう。あるいは家庭を守るためだけに、お客として乗せた世間知らずの学生の、就職活動話を愛想良く聞いてくれていたのかもしれない。少なくとも、彼の生き甲斐の項目の一つに家庭、というものがあったことは間違いないだろう。
 愛する妻と築いた家庭。間にもうけたかわいい子供たちが、平和に育つための家庭。それを支えるために、多少辛いことがあっても我慢して働く。イヤなことがあっても、妻の顔を、子供の顔を思い出せばなんのことはない。結婚によって、家庭という大きな生き甲斐を見いだすことが出来るのだ。

 むしろ、結婚は男にとっての方が重要である、と思う。自分で出産が出来ない男としては、結婚によって自分の子供を産んでくれる女性を確保することができる。女性にとって出産はかなりのエネルギーを要すること、それだけの苦労をして産んだ子供を、その種の出所だからと言って、好きでもない男に手渡すのはなかなかに難しいだろう。結婚という手続きによって男は女性と家庭を持ち、その家庭の共有として子供を持つことで、男は「自分の子供」というものを自覚できるのではないだろうか、と思うのである。
 逆に女性の社会進出も進んだ現在、「男が働いて妻を扶養し、妻は家庭を守る」といった通念が薄れてしまった。結果、結婚しなくても「自分の子供」を産み、その子供を育てることが可能である。女性たちにとってこそ、結婚という手続きが持つ効用は薄くなってしまっているのではないだろうか??
 しかし、結婚によって出来た家庭は、配偶者という”他人”を含んでいる。自分だけの物ではない。自分の子供だけでなく、配偶者にも責任を果たさねばならない。そういう点で、生き甲斐はより大きなものになるだろう。
 従って、女性にとっても男性にとっても、結婚は大きな生き甲斐を提供し、仕事を前向きにするための活力ともなるのではないだろうか。

 その家庭がつまらないものであったら――例えば妻と子供が癒着して夫をバカにしているような、一部の家庭やCMなどに見られるああいうタイプの家庭では、夫は自分の物という感覚がなくなり、生き甲斐とはできなくなるだろう。そのうちやる気を失い業績が落ち……悪循環である。
 だからこそ、私は本当に好きだと思う女性としか結婚しようとは思わない。その人と共同であたたかい家庭を作り、それを守ること。これを生き甲斐の一つとして、どんなに遠い場所で働くことになってもがんばれるような、そういう結婚でないと、私にとっては何の意味もない。
 本当に結婚という物が生き甲斐にもならないつまらない物であるなら、私は一生結婚などしないが、それが間違いであることは、タクシードライバー氏の口調からよくわかる。生き甲斐となるような家庭を持てている人がいるのだ。自分だってがんばればそういう家庭を持てるはず。たとえそれが何億分の1の確率であったとしても、0%でない以上、求めてみる価値はあるのではないか、と思うのである。そしていい結婚は間違いなく、いい結果をもたらすだろう。

(00/5/17)
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