2−8.実証研究の必要性

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 ここまでいろいろと書き進めてきたが、経験のほとんどない者の考えが及ぶ範囲には限界がある。

 結局のところ、実際経験をしてみないことには、何もわからないのである。実際に女性と友達になってみてどうなのか、恋愛というのはどういう状態を意味し、どう発展していくのか、破綻の状況はいかなるもので、何を原因として、どのような経過をたどり崩壊するのか、その後に起こる状況は、問題点は……これらは実際に経験してみないと何とも言い難い。
 もちろん、他者の経験談を元に推定する、ということはできるが、他者の状況を分析していくと、自分とは決定的に違う何かを見いだすことになり、「そういうことなら以前に恋人がいてもおかしくないやね」という結論に落ち着く。結局「俺の場合どうなんだ!」ということについては、自分で実証してみるしかないのである。
 そう考えると、「ブッコ学的恋愛感情論」もまた、「ブッコ学的」であるために「ブッコ」にしか通用しない、意義の薄いものかもしれない。しかし、日頃言いたかったことを世に出す目的と、読者の方々が自分なりの恋愛感情論を考えるたたき台の一つにでもなれば、と思い、書き進めてきたのだ。

 私の場合、このような「実証分析」は、本当に初歩の段階から始める必要性があった。つまり、同じクラスやら団体やらに所属している初対面の人とどういう風に話をすればいいか、どのような態度が受け入れられるのかを探らなければいけない。なぜなら、私は「女子に嫌われる体質である」恐れがあって、「普通受け入れてもらえる事柄でも拒否される可能性があった」からである。
 そこで、実際に様々な場面で出会った女性に声をかけてみる。反応を分析する。そうして得た結果を思想にフィードバックするのである。
 最終的には、これを実際の恋愛にも応用するのであるが、もちろん、相手が嫌がるような行動をわざと取るようなことはしない。基本的に、相手との仲を進展させるのが目的である。
 進展したらしたで、何が決め手になったかを分析し、今後の参考にする。崩壊したら、その原因を細かく分析するのである。
 こうすることで、すべての経験を元に自分なりの恋愛スタイルが構築できる。おそらく完全にスタイルが確立する前に恋人ができてしまっているだろうが、失敗を放置したり一方的に相手のせいにしたりして、同じ間違いを二度起こすようなことはないだろうし、その分恋人を早く見つけることができるだろう。

 この「実証分析」をどれだけ冷静に、客観的にできるか、が最も重要である。相手の意識を過大にも過小にも評価してはいけないし、取り巻きや周囲の声はあまり参考にしない方がいいだろう――たいがい自分や相手に対する偏見が絡んだ、無責任でいいかげんなものばかりである。かといってまったく自分一人で考えてしまっても、客観性が失われる。
 こうした場合には、他の人の体験談などは若干の手助けになるかもしれない。異性がどのような気持ちの時どのような態度を取る傾向にあるか、といったことは、100%当てはまらないにせよ多少は通じるところがあるだろう。

(99/12/19)
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