2−3.恋人となるべき人

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 いろんな人の恋愛体験、いわゆる「おのろけ話」のたぐいを見たり聞いたりしているうちに、あることに気がつく。
 それは、恋人のすることは何でも許す、という意識である。
 もちろん、ここが直ればいい、といった欠点は存在するが、そうした欠点も含めて、相手のすべてを受け入れ、つきあっているのである。恋人でない相手に対する評価とは、その基準も方向性も全く違うのである。
 極端な話、普通の人であれば「かっこつけすぎ」「下心が見える」「偽善的」と評価されるような行為でも、好きな人のすることなら「かっこいい」「やさしい」「尊敬できる」ということになる。いわゆる「恋する者は盲目」というものである。
 ということは、逆に言えば

自分のありのままを見せて、それで嫌がられたら脈がないと思えばいい

ということになる。恋人になってくれる人なら、かなりのことは許してもらえるはず。ほんのちょっとしたことで極端に嫌がる態度を見せるような人とは、恋愛はできない。よっぽど変なことをしない限り、自分の行動を積極的に受け入れてくれる人、肯定的に受け止めてくれる人、それが「恋人」なのである。

 ただし、無反応、というのは慎重に解釈するべきである。照れ屋の人は”甘い言葉”はなかなか言えないし、無口な人は基本的に何も言わない。私のように、「そんなことを言ったら『あんたに言われなくてもわかってるわよッ!』と怒られるかも」と恐れている者もいるだろう。そういう人にはいろいろと話しかけて、ともかく何かしらの反応を得るしかないだろう、と思っている。数少ない返答から、何かをつかむしかないだろう。

そう考えると、恋人探しにおいて、私は何一つ恐れる必要はない。普段の私の行動に対して嫌がるようであれば、相手がどんなにすてきな人であっても、何をやってもムダだとあきらめた方がいい――というより、そんな人を「すてきだ」と思ってしまった方が間違いだと考えるべきなのだ。こちらがきちんとした態度を取っているかぎり、本当に「すてきな人」は、相手の気持ちを壊滅させるほどひどいことはしてこない。変な嫌がり方をするような人は「幼稚な奴だ」と切り捨てるべきなのだ。
 そしてもちろん、周囲の取り巻きも相手にするべきではない。女性の集団は思想的にかなり強く結びついているので、取り巻きの考え方も似たような物である。相手にする必要などない。
 逆に相手が好意を持ってくれるなら、多少積極的なことをしても逆に喜ぶかもしれない。「夜討ち朝駆け」の電話にしても、好きな相手からなら喜んで相手するだろうし、旅先から絵はがきが届いたら、大切に取っておくかも知れない――もっともある程度の親密度は必要になるかもしれないが、たとえ取り巻きが騒ぎ出しても、おのろけの一つでも披露するかも知れない。悪いことにはならないだろう。
 従って、おおよそ常識に沿った行動を取っている限り、多少親しげな態度を取っても問題はない。

 しかし、好きだからこそ嫌われたくない、という気持ちがある。
 実は”嫌われない”ために最も有効な方法は”つきあわない”ことなのだ。赤の他人には、好きだという気持ちも起きない代わりに嫌いだという感情もまた起きない。見事なまでの”リスク・ヘッジ”なのである。私が取ってきた態度が、それである。
 好きな子は、教室の隅から、誰にも気づかれないように(ここがミソである。気づかれれば即”ストーカー”となる)、こっそり見ているだけ。相手にも周囲にも、自分の存在を気づかれるようなマネをしてはならない――その時点で「好き」「嫌い」の評価が出てしまうからである。待ち伏せや尾行といった卑劣な行為はしてはならない。あくまで、同じ授業をたまたま取っていたとか、そういう「合法的な」機会に、遠くから見ているだけにとどめておくのだ。こうすれば、「嫌われることなく」好きだという気持ちを温存できる。
 しかし、これはあまりに不毛である。もしこれを相手もやっていたら、せっかくお互い興味を持っているのにすれ違っておしまいである。誰もがこれをやっていたら、恋愛は成立しない。

 好きだと思った人には、自分のありのままをぶつけてみる。反応を見て、嫌がられたらそれでおしまい。積極的に受け入れてくれる人こそが、恋人となるべき人なのである。よく言われる「自然に接する」というのは、こういうことを言うのではないだろうか?
 気取らず、自分の思うとおり、最低限のモラルを守って接する。それで嫌がられるようならそういう人とはつきあわなければいいだけ。「使えない奴」と思ってしまえばいいのである。

 では、自分の行動が受け入れてもらえたから恋人にできるか、というと必ずしもそうではないだろう。相手が度量の広い人物だったとか、我慢強い人だとか、立場上あえて黙っている、ということもあるかもしれない。友達になれる人、恋人になれる人、どちらにしても自分の行動にはある程度の理解をしてくれ、大目に見てくれるし、厄介なのは自分のほうが立場的に上の場合、さらに見分けがつきにくくなる。そのあたりを見分けるには、もうちょっと別の知識と経験が必要となるだろう。

……などと偉そうに言ってきたが、私はまだ女性に対して心を開くことができずにいる。女性に嫌われることで、小学校の悪夢を再来させてしまいそうだ、と感じてしまう。嫌われたらそれはそれで、と割り切ることは、なかなか難しいのである。そんなわけで、私はどうしても、「嫌われないため」という意識が先に立ち、女性と接するときは及び腰になってしまうのである。
 それに、自分はそう簡単に受け入れられる、つまり「モテる」人間ではない(モテるのならこんなことで悩んではいないだろう)。となると、たとえ面と向かって「あなたが好き」と言われても、そう簡単には信じられない。すごく勘違いされてるんじゃなかろーか、実は私にはわからない利権があったりして……と、マユツバものの怪しい奴だと勘ぐってしまう。一体私のどこがいいんだ、と聞けば、理想的な相手ならきっと「全部」と答えが返ってくるだろうし、そんな答えにもなってないような根拠を信じるわけにはいかないのである。

(99/10/26初出、00/6/10加筆修正)
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