2−2.女性との接し方

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 かの有名な「ときめきメモリアル」というゲームがある。単なるゲームなのだが結構凝っていて、一人の女の子と仲が悪くなると、他の女の子全員から避けられると言う恐ろしいシステムになっている。身近にも、まさにそれでひどい目に遭った人を目の当たりにしているし、私自身同じようなことをされた経験を持つ。そう考えると、このような「集団による迫害」の行動は、女性にとっては当たり前の行動なのかもしれない。
 となると、女性というのはますます近づきがたい存在であるように思われる。ヘタに親しく接して「なれなれしい」と思われたら最後、その女性はおろか周囲の女性すべてから忌み嫌われ、避けられるのである。
 そんなわけで、私は女性には、自分から親しげな口をきくとか、そういう行動はほとんど取らない。相手が年下・後輩であっても、年間レベルのつきあいがあっても、相当意識しなければタメ口はきけない。常に慇懃な口調である。小学校の時の悪夢を再来させたくはないし、再来の恐れも十分にあるのだ。
 大学に入って半年ぐらいまでは、女性とのつきあいを徹底して避けていた。例えばサークルの夏合宿に初めて参加したとき、女子部員との合奏をかたくなに拒み続け、女子の先輩に説得され、合奏相手の女子が自分から「一緒に合奏しよう」と言ってもらってようやく合奏をしたほどである。そうでもしないと、相手が本当に私と合奏することを認めている、と確認できなかったからである。そこで「合奏しませんか」などともちかけたら、途端に「馴れ馴れしい」と言われて避けられる、と思ったのである。
 今はさすがにそれほどではないが、自分から話しかけることは少ない。相手が話しかけてきたということで、会話が許された、と確認できるまでは、嫌われることを考えるとおそろしくて行動できないのである。

 私の「自分から話しかけない」という傾向は、相手の性別に関係なく存在する。相手が話しかけられて「まあいいか」と思うかどうか、確証が持てないからである。
 私自身、あまり人からなれなれしくされるのは苦手である。親しさに応じた節度、「親しき仲にも礼儀あり」という姿勢でつきあっていくのがいいと考えている。時々、親しくしている友人に対してあまりに無礼な態度を取り、後で反省しきり、ということがある。初対面の相手やOBに対して無礼な態度を取ってしまい、それをとがめられたときなど、どうしていいかわからないほど困惑し、錯乱してしまう。
 だから、初めて同じクラスになった人、同じゼミになった人ともなかなか仲良くなれない。幸いゼミでは「ゼミ幹事」という仕事柄全員と接する機会があり、誰とも親しく話ができるようにはなったが、それがなければ、私はごく一部の気の合う人――初めにそれなりに節度を持って、親しくしてくれた人とつきあいを続けるだけである。それにつきあいの続いた人でも、あまり長い間会っていないと、全然別のところで偶然出会っても、もう覚えていないだろうと解釈して、気づかないフリをする事がよくある。相手に変な顔をされたくないのだ。もっとも、メールや手紙といった物の場合、出された時点で相手が自分を覚えていると確認できるから何の問題もないわけだが……。

 このように、私の性格上の問題もある。しかし、男性と女性で大きく違う点が一つ、ある。
 それは、周囲への影響の大きさである。
 男性の場合、たとえ一人に嫌がられたからと言って、そのグループ全体から嫌がられることは少ない。その二人の問題、ということで、別の人とはつきあいが続く。たとえ周囲に影響したとしても、その範囲はとても狭い。グループ単位というよりも、その人と性格が合うかどうか、という点に評価基準がある。
 しかし、女性の場合は違うように思われる。もちろん女性とて相手との性格が合うかどうかで判断しているだろうし、変に「群れる」のを嫌がる人もいる。しかし、女性の「仲良しグループ」というのは男性のそれよりも、ずっと思想的に影響を及ぼし合う、より密な関係と言える。だから、そのうちの一人に嫌われると、周囲の女性たちがそれに同調し、目の敵にする。直接的なダメージを与えなくても、「仲間の一人が攻撃された」というだけで袋叩きにされるのである。
 そしてもし、相手が自分の行動を受け入れてくれたとしても、それが周囲の人、いわゆる「とりまき」の神経を逆撫ですれば、やはりグループから攻撃を受け、近づかせてさえもらえなくなってしまう。
 これは恋愛に関することだけではなく、事務的で必要最低限の会話においても当てはまる。グループから嫌われてしまえば、事務連絡でさえ「とりまきの許可」を得るか、「とりまき」を通してしかさせてもらえなくなる可能性があるのだ。
 そんなわけで、私にとって女性に声をかけると言うことは、かなり勇気のいることである。嫌がられたときの”リスク”があまりに大きすぎるのだ。

 しかし、このような私の態度が、女性との間に”壁”を作っていたのではないだろうか。Capter1−3で述べた、サークルの後輩にしたところで、話をしたのは一番最初の新歓コンパの時だけ、その後はロクに口もきいていない。彼女ももう少し気安く声をかけてくれればよかったのに、という気がするが、滅多に女子部員とは口もきかず、演奏会での共演者とごく事務的な会話を交わすだけだった私には、気安く話しかけられない雰囲気があっただろう。逆に私がもっと積極的に彼女と言葉を交わしていたら、もっと違った展開になったかもしれない。
 気の合う女の子と一緒にいることは、嫌なことではない。むしろ楽しいことでもある。きっとどこかに、ずっと一緒にいたいと思えるような女性がいるのだろうし、誰かをそう思える日も遠くはないだろう。あるいは私と一緒にいたいと願う女性が現れたとして、そうした女性をはねのけるようなまねをしてしまっては、せっかくの気持ちがもったいないし、その女性にも悪い。

 ということで、最近は知り合いの女性に自分から声をかけたり、いろいろな話題を持ち出したりすることで、女性とのつきあい方を探っている。どの程度の親しさで、どれくらい踏み込んだ話をしても嫌がられないのか、どういう風な態度で臨めば、相手とのつきあいを深められるのか、そういう基本的な部分から”研究”しているところである。
 今年、10月の初め頃、英会話学校でよく会う女性と中央線でばったり出会った。
私は自分がこれからサークルの合奏練習に行くのだ、と話した後、
「今日はこれから、お買い物ですか?」
と聞いたら、そうです、と快く返事をしてくれた。てっきり
「何でそんなこと聞くの、あんたには関係ないでしょう。」
とあからさまに眉をひそめられるだろう、と思っていた私にとっては、驚くべきことであった。
 おそらく、私が先に自分の用事について話したこと、その会話の流れに乗って余計な力を入れずに話したこと、誰の目から見ても明らかな(どこかに用事があって電車に乗っていることは明白である)ことについて、当たり障りのない質問をしたことがよかったのだろう。これが
「これから彼氏とデートか何か?」
などと言ったら間違いなく嫌がられただろう。それこそ「関係のないこと」である。

「紳士的に対処すれば、相手がちゃんとした女性なら、嫌がられることは絶対にない。」
 しかし何が「紳士的」で、何が「紳士的でない」のか。トラウマにとらわれてすべての目安を破壊してしまった私としては、実際にいろいろな人と話をしてみるしかないのである。

(99/10/26初出、00/6/10加筆修正)
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