1−5.女性恐怖が崩壊するとき

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 私の女性に対する意識は、小学校卒業の当時と比べて大きく変化した。ホームページを開設した時に持っていたかすかな恐れもなくなり、私の女性恐怖症は消滅した、といっても差し支えないだろう。
 このような心境の変化がどうして訪れたかについて、考えてみたいと思う。
 高校3年の8月に起きた事件は、私の女性に対するイメージを崩壊させた端緒である。
 小学校の同窓生だった女子と道ばたで偶然会ったのだが、その女子が「あのときは、ごめんね」と謝ったのだ。彼女は女子の集団の中では”中ボス”クラスで、6年の最後の同窓会で私が訴えた女子の一人である。「あのとき」が何を指すのか、といったことは別項に譲るとして、その言葉は私に大きな衝撃を与えたのである。よりによってあいつが、この私に謝るとは!!
 しかし、この時点で既に、私の女性恐怖症はだいぶ落ち着きを見せている。というのも、彼女に呼び止められて、それに応じているのである。中学一年の夏にも、夏祭りで彼女に呼びかけられたことがあったが、その時は徹底的に無視した。ということは、高校3年8月以前に何かあった、ということになる。
 その1ヶ月前、小学校の同窓会があり、私はそれに出席している。そこでも当時私を迫害した女子と会い、話をしている。ここでも私は女子に対する拒否反応は起こしていない。とするとその前、女子との交流が0だった男子校時代に、なにかあったことになる。
 それは――中学で受けたいじめだった。

 男子校でも陰湿ないじめを受けた私は、幸いにして深刻な人間不信には陥らなかったものの、人間に対して失望感を抱いていた。結局男子も女子も、私を迫害することに代わりはなかった。私が頼れるのは数少ない友人たちとごく少数の先生だけで、私はそれでも十分だった。私は人間との交流そのものに興味を失っていった。
 そんなとき、悪友が持ってきたのが、当時('91年頃)一世を風靡した、某少女アニメである。初めは大して気にもとめていなかったのだが、その悪友がやたらと強調するので、試しに見てみることにしたのだ。以来、私はその世界におぼれることになる。
 今改めてみてみると、女子の嫌なイメージがあちこちに散見され、当時の私がよくこんなものを見ていられたものだ、と感心してしまうほどの内容である。しかし、登場人物にしてもその心理にしても、現実離れするほどに美化され、かわいらしく表現されている。単純だった私はそれを鵜呑みにしたのだった。
 そうして、私は現実世界から目を背け、仮想世界に浸ることになる。仮想世界では何もかもが美しく理想的な形をしていた。当時私が”3D(3次元)”と呼んでいた現実世界は、煩わしいことも汚らわしいことも多いが、仮想の2D(2次元)の世界なら、清く正しい物はそれ相応の位置にあって、何もかもが美しい。もう”3D”の世界など見たくもなかった。小説を書くのもそうした現実逃避の一つだった。
 それでも私が完全に2D世界の住人にならなかったのは、「ブッコ学会」の存在のおかげである。私は「ブッコ学会」を通じて現実界とつながりを持つことで、うまくバランスを取って生活していたのである。
 その結果高校3年の時点で、”3D”の女性に対する興味はかなり薄くなっていた、と思われる。”3D”の女性は私の生活圏外の存在で、それが私にどんな評価を下そうと、別に構わなかったのだ。
 結果として、小学校の同窓会では当たり障りのない対応を取ることとなった。女子は敵としてすら認識していなかったから、怒らせることも無視し続けるのも面倒だったのである。
そんなところに、8月の事件が起きたのである。

 大学に入った当初、私はまだ従来の女性に対するイメージをまだ引きずっていて、女性に対する恐怖は健在だった。そうして入ることになった語学クラスは、40人近い生徒のうち女性は6人。少ない数だが、私にとっては十分な数だった。それに他の授業に出れば、女性の数はもっと増える。私は男子校ののどかな生活から、突然敵味方入り乱れる戦場に放り出されたようなものだった。
 しかし、女性たちは案外と友好的だった。数学のクラスでたまたま隣になった女性は、昼食に誘ってくれ、それから何度か彼女と食事を共にした。体育や語学のクラスで一緒の女性たちも、仲良く接してくれる人がいた。そうして新たな情報が入るたびに、私の女性に対するイメージはどんどん変わっていった。
 一方で、従来のイメージにぴったり合った行動をしてくれる女性たちもいた。発言内容や、彼女たちの反応に至るまで、小学校の時の女子に非常によく似ていた。私は彼女たちがとにかく嫌いだったが、接しなければいけない立場にあったのでしかたがない。彼女たちの存在によって、女性に対するイメージが元に戻されることはなく、私はむしろ一種の「例外」と認識した。何しろこの女性たちはある場所に限定されていたし、その女性たちの話を他の人に話すと「ああ、あそこの人たちは……」という返事が返ってきたためである。新しいイメージに合うやさしい女性たちのほうが圧倒的に多かったこともある。
 こうして、私は女性に対するイメージを大きく変えることとなる。人によって大きく左右されるものの、きちんとした考え方を持った、尊敬できる女性がいることがわかったのである。そしてその中でも、自分の意見と合う人と合わない女性がいたから、必ずしも「意見が合う」=「尊敬できる」という身勝手な印象をもったわけではないだろう。

 私の女性に対する恐怖は、「女性そのものが持つ恐怖」と、「自分が受け入れられないことに対する恐怖」の2つがあった。この時点で、前者の恐怖はだいぶ取り除かれていたが、後者の恐怖は健在だった。私は自分から女性に話しかけようとすることはなく、相手から声をかけてもらわないと会話が出来なかった。
 女性がこれだけ新たな性質を持っている以上、自分が受け入れられるかどうかという点についても、従来の結果とは違った結果が出てくるかもしれない。これについて明らかにしたものが、大学3年の3月に行った「IFA実証」である。「IFA」というのは「アイソトープ同好会」の略で、その時スキーに行った友人と勝手に名付けたグループ名であるが、全員が実験にアイソトープ(正しくは単なる「同位元素」という意味だが、感覚的に「放射性同位元素」という意味で使っている。)を多用しているわけではない。「アイソトープ」というところに深い意味があるのだが、わかりにくすぎるので割愛する。
 これは、スキー旅行で同じスキーレッスンにいる女性に話しかけてみる、というものであるが、ナンパ目的では決してない。あくまで「会話が成立しうるか」という問題であり、結果として友人が増えるのであれば、それに越したことはない。
 IFAのメンバー全員が同じレッスンに組み込まれるという状態だったが、他のメンバーの助けもあり、私は2つほど年下の女性と話をすることが出来た。礼儀正しく接すれば、自分から話しかけても応えてもらえるのである。
 さらに私は、宿の乾燥室でスキーを片づけている見知らぬ若い女性に「今日、お帰りですか」と声をかけてみた。すると、そうです、と快く応じてもらえた。私もその日に東京に戻ることになっていたから、「僕もそうなんですよ。」と話を続け、短い間だったが会話を成立させることができた。
 また、その後のホームページ開設やメール友達掲示板の利用、今年の就職活動などで多くの女性との交流を持ち、恐怖感を取り除いていくこととなった。
 そして現在、女性全体に対する恐怖感も嫌悪感も、ほぼなくなっている。

 さて、以前の女性のイメージは、小学校当時の女子にはよくあてはまっていたのに、6年経って当てはまりが悪くなるのは、なぜか。
 私は、おそらく反抗期における女性のイメージが、以前の女性のイメージなのではないか、と考えている。小学校5年ぐらいの女子が、父親を嫌がり始めたりする、という話を耳にするが、おそらくその時の女子の多くが、あのひどい特徴を色濃く持っているのではなかろうか。
 ともあれ、12歳の女子は、18歳の女性になる間に性質を大きく変化させるようである。過半数の女性が新しい性質を獲得するのはいつかということは、個人差が大きくハッキリとは言えないだろうが、18歳を過ぎたあたりの女性ならば、多くの人が新しい性質を身につけているようである。
 こうして女性たちが新しい性質を身につけているにも関わらず、私が大学入学以降も強い女性恐怖症を維持し、女性との交流を拒否し続けていたとしたら、女性が新しい性質を獲得したことに気づくことはなく、誤ったイメージを土台とした女性恐怖症が存続し続けることになっただろう。
 友達となりうる女性たちがたくさんいることに気づかないまま、彼女たちを敵として認識しつづけるのは、残念なことである。たとえ女性と手を結ばないと固く心に決めていたとしても、大した敵でもない相手に余計な気を回すことは、エネルギー効率上よくない。実は女性に復讐したい場合も、表面上愛想良くしていることは大きな利益になるのだが、あまりに非人道的な行為をすることになるので、とても書けない。
 小さい頃の記憶が元で女性恐怖症になっている方には、是非、20代の女性と話をしてみることをお勧めしたい。その上で改めて判断を下してみると、きっと面白い結果が得られるだろう。
 もちろん、その結果はあくまで「友人・同僚として」の話で、恋愛関係になるとまた別であることを、読者の方からもご指摘頂いている。女性と話が出来たからと言って、すぐに彼女が出来るようになったり、告白がことごとく受け入れられるというわけではない。
 しかしながら、女性の性質は間違いなく変化しており、反抗期の女子に対するイメージとは大きく異なっている。新しいデータを取り入れ分析することは、決してマイナスにはならないだろう。

(00/7/4)
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