1−3.「どうせ私は嫌われる」

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 「どうせ私は何をしたところで、必ず女性に嫌われる。」
 小学校以来、大学2年の秋まで私がずっと思ってきたことである。
 どんなに愛想良くしてくれる女性でも、そのうち私を嫌うようになる。嫌われることを考えると、恐ろしくて仕方がない。白い眼で見られたくない。だから女性には近づかない。わざと避けて通る。わざと近づいてくる人に警告する。近づいてきた人はきっと何かの利権をもくろんでいるからで、気を許すときっとひどい目に遭わされるだろう。そう信じていたのである。
 しかし、ある話をきっかけに、この前提に疑問が持ち上がった。
 大学2年の秋、サークルの定期演奏会後の打ち上げで、同じ2年の女子から、不思議な話を聞かされた。なんでも、とある1年生の女子が、私に興味を持っていたというのである。
 なんでも、女子だけである女子の先輩の家に集まって、食事会をしていた時。どんなタイプの男が好みだ、という話をしたとき、ある1年生の女子が私の名前を挙げたというのだ。2年の女子によれば、私が1年の世話をやっていたことで『面倒見のいい先輩』と思われていたようで、それがよかったのではないか、ということだった。もっとも、私が1年の世話をしていたのは先輩に教育を頼まれていたからで、別段面倒見がよくて世話好きだからというわけではないのだが、それをいい方に誤解されていたようだ。
 その時にはすでに、その1年の女子には彼氏ができていたから、今更何の意味もない、と2年の女子はクギをさした。しかし残念ながら、私にとって、彼女とつきあうことについては何の興味も持てなかった。私にとって重要なのは、単なるサークルの先輩でしかなかった私に興味を持つ女性がいたかもしれない、ということである。

 もっとも、演奏会の打ち上げという場所ということもあるし、話半分で聞いておくべきだろう。しかし、伝聞ではなく、その場に居合わせた人の話だということを考えると、火のないところにケムリが立った、というわけではなさそうだ。それが本当のことだとしても、もしかすると自分ではそうとは知らない利益があって、1年はそれを狙っていたのかもしれない。
 しかし、私が「必ず女性に嫌われる」なら、その2年が、演奏会の打ち上げなどという場所で、「もうその子には彼氏がいるから」というクギまでさして話す、ということは考えにくい。
 それに、クラスの女子とも話はしているし、現にサークルの女子との演奏会を2回も経験し、そのための練習に時にも、演奏には直接関係のない話をしている。「女子に嫌われる」ということが明らかだった小学校の時とは、状況が全く違っている。
 私は本当に「嫌われる」体質なのだろうか――
 これが『ブッコ学的恋愛感情論』の始まりである。

 以来、いろいろな場所で、さまざまな女性と話をする機会を得たが、結論として。
「必ずしも、私はすべての女性に嫌われるような体質ではない」
 コンパの席でどんなにはしっこの席に座り、自分から話しかけることもなく、ほとんど存在感を消していたとしても、話しかけてきてくれる女性がいる。本当なら周りにだれもいなくなるハズなのに、愛想良く応対している限り、そういう人が現れるのだ。
 だからといって好かれるとは思わないが(ナルシズムは嫌いだから、たとえ好かれるとしてもそうとはと思いたくないのだ)、初対面から全員に嫌がられるような、そういうことはなさそうである。

 小学校で嫌われた原因は、おそらく私の行動や態度の問題だったのだろう。もちろんもともと汚い小学生であったこともあるが、わざと女子を避けたり、学園祭や調理実習のような女子との共同作業でむやみに不機嫌だったことが、女子と自分とを遠ざける一番の原因だったのではないか、と考えている。
 事実、自分なりに愛想良くし始めてからは、女性からさほどひどい目に遭わされてはいない。

 それなりのモラルをもって、友好的に接すれば、初めから拒否されると言うことはさほど多くはなさそうである。

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