1−2.女性のイメージ

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 小学校卒業直後から大学に入るまで、私が女子に持っていたイメージは、すこぶる悪いものであった。今でも、このイメージに当てはまる女性は(実際は男性にも多く見られるが)多数存在しており、「このような女性とだけはつきあいたくない」という重要な指標としている。
 ここにその具体的内容を掲載することについては、多くの方の気分を害することになるのでは、という恐れもあるし、やめておこうかとも思ったが、私の恋愛観・女性観において非常に重要な点を提供するものであり、あえて掲載することにした。
1.自分が一番偉いと思っていて、男は人間とは思っていない。
2.自分勝手で、自分の利益を追求することしか考えていない。思いやり、自己犠牲といった言葉は無縁である。よって女性の言う男女平等とは、男に手綱をつけて言うことをきかせることであって、決して50:50のことではない。
3.先入観による偏見が強く、何でも外見で物事を判断する。外見が良ければ何をしてもよく、逆に悪ければ何をしても評価せず、「似合わない」の名の下に切り捨てる。
4.評価は気分次第でころころ変わり、信頼性に欠ける。感情的な判断ばかりで理性的な判断はまずできない。
5.性格や考え方にばらつきがありすぎるため、同じことをやって嫌がる人とそうでない人の差が大きすぎる。そのため嫌がられるリスクを考えると、うかつに話もできない。
6.薄っぺらい理屈を振りかざして何でもごまかし、自分を正当化する。旗色が悪くなると解決済みの話を蒸し返し、人の意見をすべて無視する。
7.欠点を指摘されても、絶対素直には謝らない。たいていの場合「私も直すから、あなたも……」と全く関係ないことまで引っぱり出し、どんなに自分が悪くても相手を悪くしようとする。
8.「話し合おう」という言葉は全くの嘘で、単に自分の意見を通したいだけである。意見が通らないとむくれたり逃げ出したりヒステリーを起こしたりする。だから絶対に話し合いにならない。
9.どんなに自分に責任があっても、かならず周囲を巻き添えにしておきながら、自分の非はまず認めようとしない。
10.決まって集団となり、仲間ならどんな悪人でもかくまい、少しでも嫌な奴は集団で襲いかかる。そのくせ一人になると何もできない。
11.普段は威張っているくせに、都合のいいときだけ「女の子」を持ち出し、男を奴隷化する。デートは男がおごるもの、重い物は男が持つ物と決めつけるくせに、「男女平等」を標榜してやりたい放題のことをする。

 このように、私のイメージする女性は、相手の権利と利益を食いつぶし奪い尽くす恐ろしい存在である。いつひどい目にあわされるかわからない。
 友人にこの話をしたところ、
「ずいぶん屈折した見方だな。そういう幼稚な人はいるけれど、誰にも相手にされないよ。」
と言われた。
 しかし、実際かなり独善的で傲慢な女性は数多く存在し、私はそうした女性となるべく関わり合いにならないようにしている。私はこのような女性を最も苦手とし、また軽蔑している。

 このような女性と関わり合いになる際、私は大学入学直後、以下のような方針を取っていた。当時の私はすべての女性は上記の条件を満たしていると考えていたから、すべての女性に対しこの態度を取っていたことになる。

1.理論武装を完全に整えるまでは絶対に話し合いの場につかない。準備が整うまではコミュニケーションを拒否し、いざ話し合いの際には理論武装をフル活用し、女性の意見をすべて粉砕、封じ込める。
2.普段は自分で物事は決めず相手に決めさせる。何かあったら「おまえが決めたことだろ、私は知らない。」とすべての責任を押しつける一方、成功したら「みんなで決めたこと」と称して成果の一部を獲得する。
3.自分の意見の旗色が悪くなったら「勝手にしてくれ、私は知らない」とすべてを相手に押しつける。それに対して文句を言ってきたら「おまえらが反対するからだ。」と相手にすべての責任をなすりつけてしまう。
4.自分にどうしても責任が発生するときには、相手との責任を明確にする。どんな仕事でも女性の仕事は手伝わないが、その分自分の仕事はきちんと片づける。手伝ったり手伝われたりするようなことは絶対にしない。

 これも友人には
「相手と同じ、幼稚で低レベルなケンカをしているだけじゃないか。」
と批判された。
 しかし、このような女性たちから自分の権利を守るためにはこの方法しかなく、さもなくば盲目的な隷属と一方的なぬれぎぬを甘んじて受けるより他無くなるのだ。もちろん日常的に衝突するのだが、この衝突を経ることでようやく相手との平等な話し合い、対等な立場が実現されるのである。相手との関係は良くなりようがないのだが、初めからこのような女性とは仲良くしようとは思わないから、何の問題もないのである。

 知性的で精神的に成熟した大人の女性はこんなことはない。「対等」という言葉の意味をきちんと理解しているし、他者に対する思いやりもでき、言葉の表現も多彩でとげが無く、誰もがすんなりと受け入れられる。
 私はそういう女性に対しては心から尊敬でき、その人の意見を尊重する。そうした人の意見は理性的で的確であるし、私自身、そういう高度な考え方をできるかどうかはあまり自信がないので、尊敬の度合いは強く、そうした女性の意見には素直に賛成できるのである。それがたとえ幼稚な女性の最終的な意見と全く同じであったとしても、そこに至るまでの経緯、考え方が全く違うのである。幼稚な女性と同じ意見だとは言えないのである。

 こうした思慮深い女性たちが周囲に多くいたことで、私は無用な恐怖を女性に抱くことは無くなった。それと同時に、私は改めて女性を、色眼鏡なしに眺めることができた。
 その結果、すべての女性に言えることは

「女性の性格・考え方には、男性以上のばらつきが存在する。」

という点である。男のように、誰でもうまい物を食べさせたり酒を飲ませたりして、ちょっとヨイショしてやれば何とかなるようなものではなく、それぞれの女性に適したきめ細かな対応をしなければ、円滑な関係を構築できないのである。
 これは「相手が自分の行動をどう評価するか全くわからない」という恐れを生むと同時に、「どんなに変わっていても、自分の行動を積極的に評価してくれる女性が存在する」という可能性を示すもので、むしろプラスの面としてとらえるべきである。別にすべての女性と仲良くする必要はなく、かえって一人の女性だけと親しくなったほうが、何かと問題が少なくて済むのである。

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