小学校3年のある日、学年すべての女子の態度が一変した。
「あいつにさわると菌がつく」
それは、あっというまに学年中に広がった。
確かに、アレルギー性鼻炎の鼻をぐずぐずさせているにもかかわらず、ハンカチやティッシュを忘れてきたりしていたし(そんな時小3の男の子が何をするか、おわかりになるだろう)、整髪料が使用禁止の小学校で、私の癖毛はどんなにくしを通しても1時間後にはぼさぼさになるため、ろくに髪をとかさずに学校に行っていた。風采の上がらない、かなり汚い小学生であったことに、間違いはないのだ。
しかし、女子の態度はこの日を境に豹変したのだ。私の行くところ、女子は大げさな声と身振りで避けてゆく。日直などの事務作業にも支障を来すほどだった。
−−原因はともあれ、私は女子に嫌われている。事務作業の度に冷たい視線を受けるのは嫌だ。それなら初めから、近づかないようにすればいい。私は、嫌がる相手に好きこのんで近づいてゆく気はないし、私が近づきさえしなければ女子は嫌な思いをせずに済むだろう−−
私はこうして、自ら女子と距離を置くことにした。しかしそれで、女子の態度が変わったわけではない。そして当時の私にとって、私を嫌う者はみな敵であった。
こうして、私は女子を嫌うようになった。
クラス替えが行われた5年以降、女子の態度は若干緩やかになり、事務作業に支障が出るほどでは無くなっていた。しかし私にとって女子は敵であることに変わりはなく、何度と無く小さな衝突を繰り返した。給食で班ごとに机をくっつけるというときには、わざと女子との空間を作ったり、林間学校のフォークダンスでも「女子と手を取らずに踊る」方法をあみ出して実践した。そしてできる限り女子とかかわりあいにならない生活をし、女子とのコンタクトが必要な仕事の時には始終不機嫌だった。敵との共同作業はしたくなかったからであるし、相手への不要な嫌がらせとなる共同作業をしたくなかったのだ。
しかし私が本当に女子嫌いになった原因は、このような日々の細々した事件だけではない。ある学級会での出来事が、私の女子嫌いを決定づけたのである。6年の終わり頃、「学校にマンガを持ってきてはいけない」という規則を破った女子が、学級会でやり玉にあがった。クラスの問題児で、クラス全員の目の前で正座をさせられるまでになった私としては、重大な違反をした彼女たちにはそうとう厳しい「おとがめ」があるだろうと思っていた。
しかし担任は彼女たちに呼び出しをかけただけだった。それどころか女子の発案である「雨の日の持ち込み許可」を受け入れた(正確には多数決で決定したのだが)のである。これは卒業間近ということでの寛大な措置と言えたが、女子の行動を若干でも正当化することが、私は許せなかった。
その数日後、晴れの日の休み時間、女子がマンガを読んで教室にいたのを目撃した私は、彼女たちを学級会で告訴した。「晴れの日にはともかく外に出る」ということは全校的な規則になっており、それに違反した彼女たちは厳しく処罰されるはずであった。
しかし、学級会での担任は、またも彼女たちを個別に呼び出すだけにとどまり、それどころか女子の「マンガ持ち込みの解禁」案の発案を容認したのだ。規則違反について責任をとり、クラス全員の前で謝罪するどころか、自分たちの行動すら正当化する行為に及んだのだ。私は女子の正当化を阻止するべく、徹底的に争った。
学級会での採択は男子18名全員:女子17名全員という結果で、本来この案は否決されるべきであった。しかし、ここで担任が横やりを入れたのだ。男子と女子が仲違いしていることを非難し、涙まで流した。実際、自分のクラスの不仲を目の前にして、担任としてはやりきれない思いがあったのだろうが、なぜ私が反発したか、なぜ女子全員が私に味方しないか、そして男子の中でも異端であった私に男子全員が味方した理由を考えれば、そのような非難と行動が意味が無いどころかむしろ「女子びいき」として反発を生むとわかっただろう。
その結果、一部の男子が自らの利益を求めて賛成側に回った。それを満足そうに眺めていた担任の顔を、今でも忘れない。口下手で、言葉での表現ができなかった私は、ともかく騒いで泣き叫ぶより他はなかった。担任によって、私は「敗訴」したも同然であった。以来、私は女子を憎むようになった。集団で、口のうまさを利用して、自らの責任をすべて回避した上、規則さえもねじ曲げる。もっとも今なら「それも世渡りの一つ」とあきらめがつくが、当時の私には理解できなかった。
−−規則を守ることが間違いであるとは思わない。規則は秩序ある生活をしていく上で必要である。憎むべきは規則を守らないどころかそのねじ曲げすら行い、自らの行動に責任を持たない女子である!こうして、私は「女子嫌い」となった。
当時、私はつらい中学受験を終え、第一志望だった私立の男子校へと進学が決定していた。女子のいない学校に通えることに、私は心から喜びを感じていた。一刻も早く卒業して、女子とおさらばしたかったのである。男子校ではそのような「規則のねじ曲げ」はなく、規則遵守を前提とした上での改革が行われる自由な気風だった(生徒会の活動で制帽・制鞄・制コートが廃止されたほどである)。もちろん何でも自分を正当化して言いくるめようとする奴がいないわけではなかったが、彼が特別にひいきされたりすることはなかった。非常に平等ですじの通った秩序が存在していた。
そうして6年が経ち、私の生活の中からは「女子」は完全に排除された。かつてほどの憎しみは無くなっていたが、「卑劣で傲慢」という女子に対するイメージは小6の当時と変わることなく、できれば関わり合いになりたくない、恐ろしい存在だった。大学に入ってからしばらくの間、女子を避ける傾向は続いていた。クラスの女子とは滅多に口をきかなかったし、サークルの夏合宿でも女子との合奏練習でも「どうせあんたがたは合奏なんてやりたくないんでしょう」と反発した。しかし、クラスの話好きで親切な女子が声をかけてくれたり、サークルの女子に親切にしてもらえたり、2年の時に取った人間関係のゼミで自分のことを話したりすることで、必ずしもすべての女子が、憎むべき卑劣な存在ではない、ということがだんだんとわかってきた。
1年の秋頃には親しい女子との会話ができるようになり、2年以降は自分からも話しかけることもできるようになった。少人数の授業やレッスンなどで出会った初対面の女子と話ができるようになったのは、今年(99年)になってからである。私の女子嫌いについては、日頃の生活態度や私の自己表現能力に根本的な問題があったこともあり、一概に当時の女子や担任のせいで、女子に対して歪んだ感情を抱くようになった、とは言えない。私はただ、このような経緯で私が女子に憎しみを抱き、女子嫌いになった、という事実を述べているにすぎないのである。
実はこの女子嫌いにしても、一概に悪いとは言えない。女子嫌いが男子校の私立中学受験における最も大きな原動力になったことは間違いなく、おそらく女子に嫌われていなければ、第一志望に合格することは無かっただろうし、受験前に挫折していたであろう。
これは私が私であるための運命として、避けて通れないポイントであった、と思っている。