ぶっこ旬報
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1999年9月・10月のブッコです。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

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〜1999年〜  


9月のブッコ(9/19〜9/30)

9月19日
 ジオシティに登録、仮入居。いろいろ考えたり見て回ったりしたすえ、ハートランドコミュニティのひまわり通りに居を構えることに。

9月20日
 25日の卒論中間発表に向けた勉強もせず、19日に購入した「ポップンミュージック2(PS版)」に浸ってしまう。ジオシティーズに自作のHPをアップロードしようとしたが失敗。ウィザードを使って表紙を急ごしらえする。

9月21日
 サークルにて尺八の合奏練習。リズムの取りにくい難しい曲にかなり苦労する。
 HPの方は、一人の友人にしか知らせていないにも関わらず、カウンターが一日で30以上も回っていたことに驚く。いったい何が…。

9月22日
 ひたすら卒論の中間発表に向けての勉強。時折ゲームで気晴らしをするが、だんだん気晴らしの時間の方が長くなってくる。危険だ。

9月23日
 「ブッコ学会」の集まりがあったが欠席して、午前中にNOVA、午後は卒論の勉強。徹夜になりそうな状態で、この日のサークル棟常駐の仕事も欠席した。

9月24日
 徹夜の甲斐あってか、夕方には完成にこぎつける。あとは人数分の印刷と、発表手順のシミュレートを残すのみ。ほっと一息。

9月25日
 卒論の発表初日。午後から、教授の学生時代の恩師である先生がお見えになることになったため、発表内容がマクロ経済学理論で勉強熱心な二人を、先生のいらっしゃる時に発表してもらうことにした。内容は中央銀行の独立性に関する問題と、投資理論の考察。質の高い発表に先生も満足しておられたようで、一安心。

9月26日
 先生がいらっしゃるのは昨日だけのはずが、今日も午後からおいでになるということで、発表の順番をまた話し合い、租税理論をやる私と、公的規制問題を研究しているもう一人が午後に発表することにした。
 しかし先生は私の発表を見ただけで、用事があるということでお帰りになられた。(おそらく私の発表が貧弱だったからではあるまい……そう思いたい!)昨日からの先生の論評は議論を受け入れつつ、それでいて的確に要点を突いたすばらしいもので、今後の研究の大きな参考と励みになった。
 次回の11月の発表もお見えになるということで、多少めんどくさい、という気持ちがなきにしもあらずであるが、満足のいくレジュメを作り、先生に論評していただくのを心待ちにしていたりする。

9月27日
 昼から夕方まで、NOVAでテストとレッスンを受ける。夜半を過ぎて、新しく制作したホームページのアップロードをしようとしたが、転送がはかばかしくゆかずに途中であきらめる。テレホタイムはさすがに混雑するようだ。テレホを使っていない私には昼の方が有利である。

9月28日
 昼にアップロード作業を完了、10月1日アップロード予定のこの「旬報」以外のすべてのコーナーに記事を掲載することができ、一応の完成を見る。今後は暇を見つけてアップロードをし、記事を増やしていくだけである。

9月29日
 情報処理の勉強を漫然とこなす。気晴らしはゲームとホームページ制作。

9月30日
 昼間は情報処理の勉強、夕方にNOVAへと向かう。最近女の子と会わなくなってしまったのが、少し寂しいものがある。
 この夜の試合で、ついに中日ドラゴンズ優勝。中日ファンの友人は神宮に行っていたようだ。

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10月上旬のブッコ(10/1〜10/10)

10月1日
 授業開始の日だが、翌日・翌々日と休みなので行く気がしない。夕方まで無為な時間を過ごした後、NOVAへ赴く。本業が大学生なのかNOVAの生徒なのかわからなくなってきた。

10月2日
 午前中にNOVAの授業を済ませ、昼から箏曲の先生のお宅でレッスン。午後4時半から一時間、尺八を吹く。
 レッスン終了後、ブッコ学会会長と某会員の3人で飲むために国分寺にとって返す。2時間の飲みの間、某会員が昔の恋話(?)をやたらとぶり返す。というのも彼のいるゼミに、昔私が密かに興味を抱いていた女性がいるせいである。
 その後歩いて家に戻り、『いただきストリート(PS版)』を一戦やりつつ、the brilliant greenと浜崎あゆみのCDをMDに焼く。二人を車で送ったはいいが途中でガス欠になり、24時間営業のGSを捜したがなかなか見つからない。
 10キロほどうろついてようやく出光を見つけ、レギュラーを1000円分、10リッターほど入れ、川崎市北部の某会員の自宅へ向かったが、ゴール寸前で道に迷う。結局某会員宅に着いたのは0時半を過ぎ。しばらくそこで一休みして、午前1時過ぎに出発、家に着いた時には午前2時を回っていた。

10月3日
 なんだか知らないが妙に眠い一日。朝は10時すぎまで、昼も3時頃から9時まで寝て、夜も午前2時頃には眠くなった。前日の疲れをすべて持ち越したらしい。

10月4日
 午前8時にとりあえず目を覚ます。学校に行くつもりだったが結局あきらめ、二度寝。午前10時半にもう一度起きる。『はなまるマーケット』を見、『どーなってるの』を11時まで見て、学校へ。
 未だに成績表が手に入らないので、授業の戦略が立てられない。午後の授業を一つ出て、図書館で2時間、NOVAの復習と情報処理の勉強に費やす。

10月5日
 基本的に、早く起きようという気力がない。いつものように12時少し前に学校へ。ひさびさにゼミの仲間と会って、立ち話。パソコンルームで昼まで時間をつぶし、3限から2コマ授業に出て、午後5時にNOVA。

10月6日
 この日も授業にひとつも出ず、サークルの練習へ。定期演奏会の曲目『鼎』『虫の武蔵野』を合奏練習。

10月7日
 気合いを入れて、1限から授業。ガイダンスだけでどれも早めに終わってしまうので、後の時間をコンピュータルームで過ごす。

10月8日
 翌日のOBによるの召集、そしてそこで予想される『つるし上げ』が気になり、自分でも何をしているのかよくわからない。

10月9日
 OBの召集を受けて、都心の某所へ。現役と師匠の間の問題をOB会の問題に無理矢理からませ大事にした張本人、某老登場。老の目的はOB会の指揮権の掌握にあるのだが、それに何の意味があるのかまったくわからない。
老はえんえんと昔話を披露した上で、さっそくOB会の話を持ち出したが、若手OBの方に
「今はそのようなことを話す場ではない」とことごとく諭され、完璧にただ座ってるだけの爺と化していた。この方の活躍がなければ、ことは丸く収まることはなかったろう、と別の若手OBの方が後におっしゃっていた。
 ともかく、師匠にこれまでのご無沙汰を謝罪し、今後一所懸命に取り組みますとそれぞれ宣言して終了。去年の部長として、4年としての責任問題を追求されるかと思いきや、就職活動が完璧な免罪符となってしまい、ほとんど何事もなく終わる。
 その後、水道橋駅近くの天狗で、若手OB3人と飲む。最も身近で頼りになる3人の先輩である。そうやって、的確に仕事をこなし、人から頼りにされる存在になりたかったが、今の私にはまだ精進が必要らしい。

10月10日
 当面のやっかいごとがとりあえず片づいたので、来週に控えた情報処理への勉強にはげむ。

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10月中旬のブッコ(10/11〜10/20)

10月11日
 朝から久々の喘息に苦しむ。かかりつけの病院が休みなので、「富山のくすり」に入っていたたんを取る薬を飲んでじっとしていることに。熱はないがともかく苦しいのは困る。

10月12日
 病院に行ったら2時間待たされた。大病院では無いのだが、人気があるのだ。薬を3日分もらって、家でじっとしていることにした。――しかし、この暑さはなんだ!?

10月13日
 前日と同じく、昼間やたらと暑い。南西にある部屋は妙に日当たりが良く、こういう日は暑くて困る。この時期にクーラーをかけるとは思わなかった。
 5時ごろ、津田に原稿の届け物をして、練習もせずに家に帰り、また寝込む。

10月14日
 前日の津田への往復が負担になったのか、今ひとつ回復しない。翌日の昼には薬も尽きる。直りの悪い風邪である。

10/15
 なんとか小康状態を保っているので、情報処理の過去問に手を着けてみる。思ったより簡単で一安心。
 薬はなくなったが、のどの調子がまだよくない。翌日の練習にはなんとか間に合わせたい。

10月16日
 結局カゼは十分に治ることなく、練習も午前中で切り上げて家に戻る。
 夜、碓井から電話。27日にレッスンを行うことが決定したという。よくぞここまでこぎ着けた、と感心しきり。

10月17日
 情報処理技術者(2種)の試験で明治大学・和泉校舎へ。
 昼休み、キャンパス内を探検していると、ある建物から純邦楽では最も有名な曲『六段の調』が聞こえて来るではないか!
どうやら明治大学のサークルが練習しているらしい。この曲は純邦楽でも基本の曲で、多くの大学では1年生が演奏会で演奏する。おそらくそれも1年生の練習なのだろうが、うち(都山会・箏曲部)の1年とは比べようもないほどうまい。――我々の演奏会、もしかして非常にマズいのではなかろーか??
 試験の方は、そこそこの手応えはつかんで帰ってきたものの、午後の試験に不安が残る。合格点の7割を超えた、と断言できるほどの自信がない。考え方のミスがあった、と思い修正した枝問が2つあるのだが、これが裏目にでなければいいのだが……。

10月18日
 情報処理試験の答え合わせを、ホームページを3社参照してやってみる。翌日の速報だけあって、会社によって答えが少しずつ違うところがある。午前・午後とも8割を超えていたので、マークミスさえなければなんとかなっただろう。
 HPでは、「いますぐリンク2」に登録、他の方からのリンクを受け付けられる体制を整える。

10月19日
 リンク集を拡張。リンク集の編集方針、「いますぐリンクのページの扱い方などを記したページを「リンク受付のページ」の表紙として作る。早速8つもリンクが張られていて驚く。趣味系ページはいいのだが、”個人ページ”と称してカルト系商品販売ページが載せられているのが困る。また情報提供系ページでも大々的にサイドビジネスが掲載されていたりして、ぶっこ新報社のリンク編集体制に抵触する(「サイドビジネス」というやつは私は一切信用していないのだ)。今のところ「いますぐリンク2」には削除機能がないため、リンク拒否の設定をして消すしかないのが厄介だ。

10月20日
 2限を寝とばし、午後から学校へ。1時間ほどパソコンルームにいて、それから津田へ。尺八の合奏曲『鼎』を練習、部会の後合奏曲『六段の調』を練習。部長の碓井が津田の連中と個人曲練習に入ったので、合奏相手もおらずやることもなくなった。同じ状態で暇になった安中と二人でさっさと帰ってしまった。

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10月下旬のブッコ(10/21〜10/31)

10月21日  授業に出ないでパソコンルームにこもる。一つは卒論のネタ集め、一つはホームページ製作。リンク集を早く整理して、リンク受付処理を進めなければいけない。
 自分のページをGooとInfoseekに登録、ロボットに優先的に来てもらうようにした。
夕方から夜にかけて、部室で1年生の面谷の練習につきあう。

10月22日
 授業のない午前中を利用してホームページ製作、そのあとはマジメに授業に出て、マジメに家に帰って尺八の練習。夜中までホームページの製作・改定とアップ。リンク集は完成したから、あとはお礼のメールを送るだけ。結構苦労したが、思ったよりリンクの数が少ない割に、バナーが多いので表示に時間がかかる。途中で停止ボタンを押されても中身はわかるようになってはいるのだが……。

10月23日
 来週水曜日の、師匠によるレッスンを控え、尺八の練習。越智さん・島村さんもきてくれて、1年生・面谷に教えてくれていた。やはり準師範の資格を持っているご両人、教えかたがうまい。

10月24日
 午後4時から、原宿のNOVAでTOEICテスト。7月よりはいいものの、実際どこまでとれているものやら。せめて600点はマークしたいものである。

10月25日
 「ネットでたのしいガーデン」の存在を知り、入場料を払うためにウェブマネーを買いに出かける。K市のサンクスでは手に入らず、結局新宿まで出ることになった。この夜、自宅でログインを済ませる。

10月26日
 一晩放置しておいたらいろんな人と出会っていた。とりあえず片っ端からカードをかき集め、中身をいろいろと調べてみる。年齢層は比較的高く、ほとんどが20代後半、22の私は若い方だ。もっとも年上だからどう、というわけでもない。わがまま放題のお子さまよりも、常識を持った心の広いお姉さんのほうが好みである。

10月27日
 師匠のレッスンの日。ともかく恐ろしいこの師匠、今日は機嫌が良かった。その割に天気は大荒れ、稲妻が光り、轟音が鳴り響く。そんな天気を透かし見せる窓をバックに座る師匠は、「大魔王」な雰囲気があった。

10月28日
 「ネットでガーデン」がとにかく面白い。いろんな人とメールを交換しあい友達を増やすことができる。朝、昼、晩と、半ば中毒的につないでしまう。

10月29日
 初めてチャットと言うものに挑戦。よくわからない会社員とメールをやってみた。話のタイミングがずれる、相手の人がよくわからないなど、緊張するし、なんとなく怖い。40分のチャットで冷や汗が…。

10月30日
 朝から津田で練習の後、学生会館の夜間自警の当番(「常駐」と言う)で大学へ。練習するつもりがゲームばかりになってしまう。いたスト、DDRといろいろやる。DDRはとにかく疲れるが、面白い。いい運動になりそうだ。
 試しにDDR専用マットでポップンミュージックをやってみたが、どうやらできるらしい。かなり無理な動きを強いられることになるが、曲数が多いだけに逆に面白いかもしれない。

10月31日
 前日の徹夜が堪え、寝るだけの一日。

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