ぶっこ旬報
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2003年3月のブッコです。

多忙につき毎日更新はできないときがありますが、折をみてちまちまと書いていきます。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。
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〜2003年〜
3月上旬(3/1〜3/10)
3月中旬(3/11〜3/20)
3月下旬(3/21〜3/31)


3月上旬のブッコ(3/1〜3/10)

3月1日 『号泣』

 Janne Da Arcの最新アルバム『Another Story』に収録されている「Rainy〜愛の調べ〜」。
 愛を失った男が、前に進むケジメとして、彼女との思い出を忘れられないこと、彼女を本当に愛していたことを、最後に捧げる歌として歌い上げている。
 まるで、今の自分の気持ちを代弁しているかのような曲である。

 スキーから帰ると、外は久しぶりの大雨。
 しばらくして、「Rainy」が流れてきた…

 なんだか知らないが、涙が溢れてきた。外の雨音もJanne Da Arcも聞こえなくなるぐらい、大声で泣き続けた。
 ひとしきり泣いて、私は「Rainy」1曲をリピートするようにセットした。そしてサビの部分に来ては、泣き続けた。
 そうして、いつ寝たのだろう――気がついたら、朝になっていた。CDも、きっと無意識にだろう、止めてしまっていた。


3月2日 『自分の気持ちに偽らないこと』

 空は真っ青に晴れていた。
 私は自分の気持ちに、気がついていた。
 自分が本当は何をしたかったのか、それを今まで変なプライドと言い訳でごまかしてきたこと。
 素直じゃない自分。ウソをついていた自分。不自然な、自分――。

 私は自分の思いのたけをメールに書いて、出した。
 結果がどうあれ、私にはもう悔いは無い。


3月3日 『また…』

 10月の時と、全く同じ。僕はまた愛する人を傷つけた。
 だから暴走するなって言っただろ!自分のページ見てる人間誰だか考えたのか!
 素直になる、って言ったのはどこのどいつだよ!!
 気になることは素直に、最初に相手と話をしようって、そう誓ったのに!
 そうやって愛する人のプライドも、愛情も、みんな引き裂いていくんだ!!

 どうしよう……これだけは絶対直そうと思ってたことだったのに。
 あんなに僕を愛してくれた、大切な人なのに…

 よっぽど自分を呪ってやりたいとか思うけど、愛する人が好きだというのに、そんなこと言えない。
 言ったら余計、愛する人を傷つけてしまう。

 あぁ…


3月4日 『そばにいてくれる人』

 愛する人に、謝った。
 愛する人は、僕の気持ちをわかってくれた。そして、許してくれた
 前の彼女はあの時、許してくれなかった。

 前の彼女は、もう僕のそばにはいてくれない。
 でも今は、愛する人がそばにいてくれる。
 遠く離れていても、僕のことをあたたかく、じっと見守っていてくれる。

 愛する人は、僕を僕のままで、愛してくれている。
 ならば、僕は僕のままでいよう。
 ムリをせず、見栄を張らず、あせらず、意地を張らずにいよう。
 意識をせず、ただ落ち着いて、普段どおりに過ごそう。
 ムリをすること、見栄を張ること、焦ること、意地を張ることを怖がるのもやめよう。
 時にあせったり、ムリをしたり、意地を張ったりするかもしれない。
 でも、愛する人はきっと受け止めてくれる。
 ムリしたり、意地をはったりしないで済むようにしてくれる。
 彼女はそれだけ、大人だから。

 だから、意識をせず、今この瞬間を大切にしよう。
 彼女と幸せな時間をどう過ごしていくか、それだけを、考えよう。
 今までの幸せな時間より、もっともっと幸せな時間を過ごそう。

 過去の栄光は、幸せではない。
 幸せは今この時と、そして将来にある…。


3月6日 『素直なその気持ちを』

 自分の素直な気持ちを、相手に正確に伝える。
 前の恋愛から得た、一つの大きな課題である。

 しかしもう一つ、大きな課題がある。
 「彼女の素直な気持ちを、正確に聞き出すこと」である。

 10月の彼女とのケンカで、私はようやく、彼女が不満に思っていたことを知った。
 別れる時にようやく教えてくれた、というのは、彼女が「共依存」に陥っていたことを意味している。
 彼女は私に嫌われたくないあまり、私が気に入るような行動をとり、自分の意志や感情を抑えつけた状態で付き合っていた、ということになる。
 このようになったのは、本人の性格もあるだろうが、私自身の言動にも大きな問題があったと考えられる。
 彼女は何らかの理由で、私を心から信用することが出来ず、気取らない自分でいることができなくなったのである。
 すなわち、私は彼女から結局のところ、信用されていなかった。信用されるような行動を取れていなかったのである。

 原因は、少なくとも2つある。
 一つは、彼女の気持ちを汲み取ることができていなかったこと。彼女がムリをしていないか、今見ている彼女が本当に自然体かどうかを常に観察し、気にかける必要があった。そのため、彼女は私が自分のことを本当に理解していない、と感じていた。彼女は私に心を開くことが出来ず、私が言った長所ばかりを強調する――共依存の状態へと陥ったのである。
 もう一つは、私が、彼女の優しい気持ち、献身的な行動を素直に受け取れなかったこと、彼女が甘えてくるのを受け入れられなかったことで、度量の狭さが露呈してしまったことにある。この人に頼ってはいけない、と感じさせてしまったのである。
 これによって、彼女は私を信用できなくなった。一方で私への評価は高く、大切な彼氏として手放したくない気持ちを持っていてくれたため、自己を殺して私に尽くすようになったのだ。
 それすら報われず、私から一方的に責められた上、「冷却期間を置こう」と突き放された彼女は、自分自身と、私と、そして2人の関係を見つめなおし――私から、去っていったのである。

 これも当時の彼女に対する改善策でしかないので、そのまま実行したところで、大切な人に試してみたところで合わないかもしれない。
 とはいえ、大切な人の気持ちを汲み取ることと、大切な人の気持ちを素直に受け入れ、甘えを受け止める度量の点では改善の余地があるということだから、伸ばせるだけ伸ばしていくべきだろう。


3月8日 『とりあえず、週末』

 あのメールを受け取ってから、初めての週末。
 一人になるとまたアレが出てくるからイヤなのだが、だからといって私の大切な時間を削りたくない。
 ここ1、2ヶ月の週末は、私にとって微妙な位置付けである。

 ともあれ先週、ある意味で「すべてが」終わった。元カノは「今の私」を評価してくれていたわけではなかったが、私を受け入れる気はないことをはっきりと告げてくれた。

 私の気持ちや成長の具合から、先週やり直すのでなければ、彼女との永遠の愛をはぐくめる状態ではなかった。
 7月では不満を残したままだった。8月では愛を失う恐怖を知らなかった。12月では共依存の状態を理解していなかった。そしてすべてを知った3月では、あまりにも遅すぎた。
 私はそれをうすうす気がついていたのだろう。だから7月も、8月も、9月も、そして12月も、元カノに「やり直そう」という言葉を告げられなかったのだ。先週のあの時ほどの愛も確信もなかったから。

 運命は、二人を結びつけるものではなかった。

 小2の3月、私に特別に作った大きな「お別れカード」を渡してくれた子とは、話ひとつしないままに終わった。
 小3の4月に言い寄ってきた子とは、付き合い方や考え方が合わずに終わった。
 小5の時に出会ったあの子とは、歯車がかみあわず、友達までで終わった。
 高2の時に声をかけてきてくれたあの子とは、僕の女嫌いと機嫌の悪さで話すら出来ずに終わった。
 大学1年の春に出会ったあの人とは、しばらく一緒にお昼を食べていたが、そのうち会わなくなり、終わった。
 大学1年の冬に告白した人は、僕を受け入れてはくれなかった。
 大学2年の春に出会ったサークルの後輩とは、接点すらほとんど無いまま終わった。
 大学4年の秋にNOVAで出会ったあの人とは、連絡先すら聞かないままに終わった。
 大学5年目の活動中に出会ったあの人とは、突発事故に対応できなかったことで終わった。
 大学5年目の最後の冬、1年間メール友達としてつきあっていた元カノと初めて会い、恋人として付き合うことになった。
 しかしそれも去年の夏に一旦終わり、そして先週、完全に終わったのだ。

 元カノに会うまでのどれか1つがうまくいってたとしたら、元カノとの幸せな日々は無かったかもしれない。特に大学4年よりあとの2つは、元カノより年が近い上に同じ東京都内在住だったから、もしかするとずっとうまくいっていたかもしれない。逆に去年ぐらいに愛を失って、同じように悔やんで苦しんでいたかもしれない。
 NOVAで会った人と別れた私は、自己嫌悪と別れた人への愛に苦しんでいる。
 就職活動で出会ったあの人と別れた私も、同じように苦しんでいる。
 でも、この二人は、私と元カノとの幸せな遠距離恋愛を知らない。奇跡的な出会いとその後のデートによって高まった二人が、200kmの距離を越えて愛をはぐくんだ、あの幸せな1年を知らない。
 でも彼らは、自分たちが経験した幸せな恋愛にしがみついている。あの時ああすればよかった、こうすればよかったと悔やんでいる。そして、空想の中の幸せな自分にしがみついている。
 今の私も、それと同じだ。

 元カノとの幸せな過去を悔やんでいる私を、心から愛する妻と子供たちとで幸せな家庭を築いた将来の私は、同情しながらもこう声をかけるだろう。
「オマエは、今オレの側にいる大切な人と、そしてその人との間の大切な子供たちのために、その子と別れたんだ。その子との交際の果てに結婚しても、きっと幸せだったかもしれないが、今のオレの幸せにはかなわないだろう。だから、失ったことを気にする必要はない。いずれこの大切な人に逢えるから。」
 こう言われて何の実感も沸かないのは、きっと前の二人も同じだろう。
 私は最悪の結果の果てにここに着たのではない。運命の一つのポイントにたどりついただけだ。

 運命はきっと、別のところにある。
 それを信じて…少し、前に進んでみよう。


3月9日 『風邪と悪夢』

 風邪をひいた。ドリンク剤がやたらとおいしく感じられる、ということは相当体がやられてる証拠だ。のども痛く、熱もあるようで体がふらふらする。
 寝てもロクな夢を見ない。元カノが新しい彼氏と楽しそうにしている、あの悪夢。
 起きた時には全身汗びっしょりで、しばらくすると涙が出てくる。泣かずにはいられなくなる。

 そして、元カノとの幸せだった頃の記憶がよみがえってくる。
 2年前の夏に元カノの地元を訪れ、近くの山に登った時のこと。元カノが小さい頃に遊んだ遊具があったり、山頂には資料館があって、中腹には小さな動物園もあった。アヒルの柵の前で、奥からアヒルがでてこないかな、と待っていたっけ。
 外はうだるような暑さで、うさぎも小屋でぐったりしていた。二人で手をつないでいると汗がにじんでしまったが、手をつないでいることが、すごく幸せだった。
 あの時撮った彼女の写真…今まで見たどの写真よりも、どの瞬間よりもかわいい笑顔だったっけ。最後のデートの時に彼女に渡してしまった「写真集」の中の、自慢の1ショット。家であの写真を見ては、にやにやしてたんだっけ…。

 厳しかったあの時、なんでこんなに幸せなことを思い出さなかったんだろう。彼女の写真の中でもいいのばっかりを集めた、写真集。あれを見ていたら、きっとこの時の幸せを思い出しただろうに。
 そうしたら、あと1ヶ月、いやあと半月、我慢できただろうに。そして彼女の内定を二人で祝えたのに。たとえ彼女がバイトで忙しくとも、夜のデートのためだけに新幹線に乗る、それぐらいのことは平気で出来てたのに。2年前のクリスマスは実際にそうだったし――。

 ――いや、なくしたからこそ、その幸せがわかる、ということなのだろうか。
 自分を愛してくれる人が側にいることの幸せ。彼女が自分にしか見せることのない、いつよりも幸せな笑顔を向けてくれることの幸せ。
 私にとって彼女がいることは「当たり前」ではなかったのに。いない時のほうが「普通」であって、そうして彼女が側にいてくれることは「奇跡」だと思わなければいけなかったのに。

 私を見守ってくれる、大切な人は、いる。その人は遠くから、私を見守ってくれている。
 その人と、幸せな時間を過ごすためには、まだもう少し、時間とタイミングが必要だ。
 待てばいい。いつもの自分を忘れないで、待っていればいいのだけれど――
 永遠とも思えるようなその時間は、長く、苦しい。

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3月中旬のブッコ(3/11〜3/20)

3月14日 『白の日』

 ホワイトデーだからって、地下鉄の中吊り広告を全部ゴディバにするのはやめてください(泣)

 こんな軽口を叩けるようになったのも、回復してきた証拠、である。
 立派なトラウマの日、こんな時ほど悪魔が大喜びで出てきそうな日だが、意外と落ち着いている。
 これもカフェスタと、大切な人のおかげである。

 ホワイトデーだからといって、何をするわけでもなく、カフェスタの知り合いにアバター(カフェスタ内での自分の分身。ある意味着せ替え人形的な感じ(爆))用のアイテムやアクセサリーを配ったぐらい。せっかく金曜日といういい条件なのに、一緒にいてくれる人もいない――とはあながち言えない。
 実際に隣にいてくれる人はいないが、カフェスタには仲間がいて、いろんな話をしてくれる。単なるバカ騒ぎから世間話、あるいは誰かの悩みの相談に乗ったりもする。
 今の元カノの気持ちを理解する重大なヒントを与えてくれたのもまた、カフェスタの仲間だった。おかげでまた一つ、何かの踏ん切りをつけられた気がする。
 今は、今が楽しい。カフェでのいろんな人との出会いが楽しい。いろんな人との話が楽しい。

 まだ、元カノを完全に「過去の人」にできたわけではないけれど――
 物事が、何かの方向に、確実に進んでいる。
 行き着く先に、きっと何かが待っている。そう信じて、進んでいこう。


3月17日 『うたげのあと』

 最近チャットルームに浸りきりで、カフェスタのホームページすら更新を滞らせてしまっている。
 …といっても15・16日は更新どころではなかったんだが。
 オールでカラオケやったあと2日目もまたカラオケ5時間て…。

 今回のカラオケで歌った曲のアーティスト:
  Janne Da Arc(ほとんどこれ)
  Mr. Children
  スピッツ
  山崎まさよし
  林原めぐみ(アニソン1曲ノルマというのがあったので)
  高橋洋子(「残酷な天使のテーゼ」ですw)
  B'z
  L'arc en ciel
  ユニコーン(「ヒゲとボイン」はクリア。「与える男」は失敗)
 Janneは、前の恋愛の未練から今の恋への希望まで、気持ちこめて熱唱しまくり。
 一部の曲でこっそり泣いてたのは秘密(爆)
 でも…なんで「Rainy」も「PARADICE」も入ってないんだ〜〜!ハイパージョイ頑張ってくれ!

 で、機種がハイパージョイ、てことは例のボイスチェンジャーが…!!
 ということで、ギャル声でJanne Da Arc。
 そしたらメンバーの一人が、
「こういう声の友達、ほんとにいるんだけど…(苦笑)」
 思わず笑ったらやっぱりあの「キャハハッ」って声が…(激爆)

 そんなこんなで1日過ごした翌朝の月曜日。
 そりゃもう一日( ̄∇ ̄)←こんな状態。

 明らかにやりすぎた…。  楽しかったけどね( ̄∇ ̄)ノ

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3月下旬のブッコ(3/21〜3/31)

3月21日 『負けないから』

 前の彼女が、夢に、出てきた。
 昔と同じように、ステキな笑顔を振りまいていた。
 その笑顔が私に向けられたものでないことも、痛いほどよく知っていた。

 目覚めた僕は、以前ほど悲嘆に暮れてはいなかった。
 今の私には、愛してくれている人がいるから。
 私のことを、一番大切に思ってくれている人がいるから。
 私のことを待ってくれている、仲間たちがいるから。

 そして何より――私は、一年前の私ではないから。

 私は大勢の人と一緒にいる楽しさを知った。
 大勢の人と一緒に飲み、歌い、騒ぐ楽しみを知った。
 いろんな人と出会い、話をし、その人の心に触れる喜びを知った。
 そして純粋に、自分が盛り上がって大騒ぎする、楽しみを知った。
 そして――大切な仲間たちに、素直に心を開くことの大切さを、知った。
 いままでどこか苦痛だった飲み会が、すごく幸せで楽しいものに変わった。

 前の彼女には、去ったときも、そしてその後でさえ、いろいろ指摘された。
 私は確かに、それだけのことを言われても仕方ないヤツだった。
 でも、私は変わった。私は去年の私ではない。
 自分の気持ちに素直になって、自分のことを受けいれられるようになってきた。
 自分の矛盾や失敗を素直に受け入れて、どうすればいいか考えられるようになってきた。
 思いつきで結論を出して右往左往することなく、じっと待って、考えられるようになってきた。
 そして――僕を心から慕ってくれる人も、いる。
 私が変わったからではなく、今の私そのものを大切に思ってくれる人が、いる。

 …なら、そろそろ、自信持っていいんじゃない?
 私は、私だ、って。

  *    *

 いまさら、こんなこと言うのもなんだけど…

 僕は、誰にも負けないからね。
 僕を慕ってくれる大切な人を、誰よりも幸せにするから。
 2年前のあなたより、そして今のあなたよりも、誰よりも幸せにしてみせるから!


3月23日 『だからネタに走るなと(;´Д`)』

 久々の「ブッコ学会」開催。ずいぶん長い間会っていなかった友人と再会したり、現在東北大の院生で仙台から里帰りしてきた友人がいたり…楽しかった。
 といいつつ、私は午前中にカフェスタで人待ちをしていて思いっきり遅刻したのだが(激爆)…スマン

 さて、海外旅行にはまっている友人。物価が安いところがいい、と後進国を中心に回っていて、去年のエジプト旅行やその前に行ったトルコやシリアといった中東の国々の写真を見せてくれた。
 彼いわくバンコク・カンボジアは物価は安いし楽しいらしいのだが――どうもそういう国々はボッタクリがいたり客引きがひどかったりして、僕はあまり好きではない。会社で人と会う仕事をしてる分、長期休暇で出かけるなら人との関係が少なくて済むところ、と、やはり旅行しやすいヨーロッパに目が向く。去年10月の旅行も自然がメインだったし、人とのかかわりはしないように過ごしてきた。
 今度出かけるなら…やっぱり北欧か。
 なんてことを言っていたら、そんなメジャーなところはツマラン、と中央アジアやアフリカ、中南米のマニアックな国ばかりを薦められた。だからネタに走るなと(;´Д`)。
 ただしイースター島にはちょっと興味がわいた――渋谷のパチモン(爆)ではなく、ちゃんと本物見たいじゃないですか。イースター島はチリからのツアーで890米ドル、と高め。

 夜は青葉台のサイゼリヤで食べたのだが、安い店のせいか中学生・高校生が多い。そしてこれみよがしにタバコを…いや別にオマエラが肺がんで死ぬだけだから吸うなとは言わんが…ウザイ(爆)
 うちらの前の席に座った一団に、遅れてやってきたルーズソックスの女の子が、ちょっと丸顔で髪の毛まっすぐでかなりのヒットだったのだが、ちらちら見てたら一団の男ににらまれた(;´Д`)コエーコエー


3月25日 『卒業式』

 通勤で利用する高田馬場駅は、早稲田の学生でにぎわう街である。
 終電の1本前の電車で帰ってきた私は、卒業式帰りと思しき学生たちの間をすり抜けて、家路を急ぐ。
 コンコースで、羽織はかまの女の子と、その前で泣いている女の子の姿があった。きっと大好きな先輩が卒業してしまうのが、寂しいのだろう。

 そういえば、前の彼女も今年、卒業である。
 彼女が大学1年の冬にチャットルームで会って、それから4年の春まで付き合いがあった。なのに肝心の卒業式を、側で一緒に祝えない、切なさ。悲しさ。
 彼女はせっかく東京で就職を決め、これで遠距離恋愛から抜け出せる、そんな矢先の別れ。
 一方的に彼女を拒絶し、これからの幸せを全て棒に振った、後悔と自責、自己嫌悪。
 そうしたものが、まとめて襲ってくる。
 気持ちはまだ、過去に残ったまま。一時期ゆっくりと動き出した私の心は、また元に戻ってしまった。

 これからも、こうして節目に来るごとに、私は過去を振り返るのだろうか。
 目の前にある幸せに目を向けられず、過去ばかりを惜しむのだろうか?
 そうして私を思ってくれる人に、むなしい思いをさせてしまうのか?

 私が彼女から卒業するには、まだもう少し、時間と経験が、必要らしい…。


3月26日 『こんな時に…』

 今日も作業を終えたし、そろそろ帰るか、と思った矢先。
 障害を知らせるメールが…

 調査の結果、業務に影響がないことが判明。
 ほっとしたものの…
 おかげで終電帰宅…(T_T)
 昨日に続いてまたか…(T_T)


3月28日 『レンタルWeb日記』

 先日知り合いの日記を見てたら、「あしあと」という機能が…。これ、カフェスタと一緒じゃないか…。
 あしあと、というのは、同じサイトに登録している人がアクセスしてきた場合に、アクセス記録が残る、というもの。相手のページに自分がきたことを知らせてしまうという欠点はあるが、他のサイトにつけた足跡から、日記好きの人たちがチェックしに来てくれる。
 これによって多くの人に日記や自分のページを見てもらえる、というのが「あしあと」システムの一番の利点である。
 レンタル日記サイトは重かったり不安定だったり、日記が単純なソースにならないのが嫌だったのだが、日付でのジャンプやバックナンバーの検索も楽だし、それに加えてカフェスタ的な「あしあと」機能があるなら、ぜひ利用したい。

 その元の日記帳サイトに行ったら、でかでかとカフェスタの広告が…。
 あの人もカフェスタの存在を知ってるのかな…。
 もしかしたら、もう出張所作ってるのかな…。

 というわけで、早速登録してみた。
 とりあえず今日家に戻ってからソースをいじってみて…
 問題がなければぶっこ旬報を正式に移行の予定。

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