ぶっこ旬報
のページでございます

2002年11月のブッコです。

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〜2002年〜
11月上旬(11/1〜11/10)
11月中旬(11/11〜11/20)
11月下旬(11/21〜11/30)


11月上旬のブッコ(11/1〜11/10)

11月7日
<<毒ログ>>に移しました。

11月10日 『他人の気持ちをおしはかること』
 読者様よりのメールで、10月末の日記が、自分の意図したものではなくなっていたことがわかった。およそ、友達に対して書いたものではなかった――ブッコ学会員に同じ仕打ちをされたところで、あんなふうにしたかどうか。
 もっとも、リーダーが休暇中で相談したくてもできないと言う苦しい環境の中にいた週だったから、誰に対してもああいう感情を持ったかもしれない。ただ、明らかにやりすぎだった。
 そもそも「一年半」からして、彼女があれをみてどう考えるか、を客観的に考えて書いたわけではない。「ブッコ学的恋愛感情論」の趣旨に沿って、自分の行動だけをトレースし、それが最悪どういう受け取られ方をするか(例えば浮気かどうか)、それに対して自分が釈明できるのか、素直に認めるしかないのか、そういう観点でしか、内容をチェックしていない。彼女のことについては「書かない」ことでプライベート領域を侵さない、とそれしか考えていなかった。実際あれを見て彼女がどういう気持ちになるか、まで踏み込んで書いたものではないのだ。
 「ブッコ学的恋愛感情論」の方針からすると、自分や相手が見てどう思うかによって、事実の表現の仕方を曲げると、解釈の違いによっておかしな結果が出るから、なるべく排除しなければいけない。だが、その内容、つまり分析途中の情報を外部に伝えるかどうかは、完全に匿名性のあった頃の「ぶっこ新報社」ならともかく、当事者が見る環境に変化した「ぶっこ新報社」では、考慮しなければならない点だった。
 彼女を含めたすべての人が傷つくことなく、事実や反省すべき点をいかに客観的にまとめるか。そのまとめた結果を外に出すべきであって、まとまってないモノを外に出しても、解釈の違いによる誤解・曲解とそれによる混乱を招くだけなのだ。
 ここ数日の仕事で一番悩んでいることが、まさにこのこと。
 障害の調査状況についての、お客様への説明の仕方をどうするか。今技術部門とやりとりしている内容をそのまま外に出したところで、むしろお客様を不安にさせたり混乱させたりするだけ。ここをどう説明するか、で何度も指摘を受けたが、どうしたらいいのか全くわからずにいる。
 それはたぶん、相手がどう見るか、ということをずっと認識してこなかったからだと思う。「ブッコ学的恋愛感情論」にしても、分析対象は自分の内面だけ。自分がやったことで相手にどんな影響があるのか、恋愛について一番重要な点であるにもかかわらず、今までそれをずっと見過ごしてきた。

 今まで僕は「他人の気持ちを考える」ことを、「自分がされたらどうするか」にすりかえて考えてきた。よく誰もが口にする
「俺の気持ちにもなってみろ、自分がされたらどう思う?」
という言葉を鵜呑みにして、この25年間生活してきたせいだろう。
 しかし、自分にすりかえて考えても、他人である相手の気持ちになどなれる訳がない。これが自分の信念に従っての行動ならば、
「僕は気にしないけど、何か?」
という、相手の神経を逆なでする結論しか出てこないのだ。
 相手の気持ちになる、ということは、相手の性格・行動・環境を考え、そういう環境に置かれた人間が次にどういう行動をとるか、を考えることではないか。その人間に対して何かをした時に、喜ぶのか嫌がるのか、怒るのか悲しむのか、あるいは反省して自分の誤りを正してくれるのか、それを考えた上で、自分が相手に感じて欲しい、行動して欲しい形で、話をするなり、お世話をしてあげるなりすること、それが「思いやり」というものではないのだろうか。
 僕にはそんなことは、今まで一度としてしたことがない。すべては自分の尺度でものを考え、自分がされたらいいな、と思うことしかしてきていない。だから感性の合う人には喜ばれても、合わない人からは徹底して嫌われるし、感性が合わなくなると全くダメ、何をしても嫌がられる。それは自分の尺度で勝手に解釈しているからであって、相手を思いやっていないからだ。
 では、今まで25年間、相手を思いやることをしてこなかった僕が、これから努力してそういうことができるようになるだろうか??
 おそらく、頑張れば可能だ。というのも、手法はいつも仕事でやってる、プログラミングやソフトウェアの分析と同じなのだ。誰かが作ったプログラムがあって、内部でどんな数値を使ってどんな分析をして、どんなときに警告メッセージを出すようにしているか――実はこれが結構難しくて、僕個人としては大変苦手だったりする。だが、できなくはない。
 これと同じように、ある他人について、その人の考え方、今いる環境や状況から、ある言葉や情報を投げられた場合にどういう反応を示すか、を考えればいいのではないだろうか。
 何しろ相手は人間なので、誰かが作ったツールやWindowsほど簡単なものではない。たぶん全部を解析することは不可能だろうし、本人もわかっていないことが多いだろう。しかし、よりよいコミュニケーションを取るだけなら、できなくはないはずだ。

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11月中旬のブッコ(11/11〜11/20)

11月15日
 僕が今の職場で最初についた先輩の送別会に出席。別会社の人で、派遣のような形で来ていた人だが、能力的にも人格的にも優秀で、何より僕が最初の現場で最初についた先輩、あの職場で一番身近で、そして最初の目標にしようと思っていた人だった。他のお客様のところに移ってしまうのが、本当に残念でならない。
 2次会で、その先輩とチームリーダーとで、仕事の話をした――仕事の、というより、僕にはむしろ人間として、という話として聞いていた。
 今まで、僕は人間への興味関心がほとんどなかったかもしれない。知りたいのは自分のことだけで、常に自分のことばかり――自分のしたことが正しいかどうかとか、自分の仕事がうまくいったかどうかとか、自分が楽しいかどうかとか、自分でがんばったかどうかとか、あるいは、自分ってなんだろう、とか…。
 でも、それだけでは仕事はできないし、普段の生活も片手落ちになる。世界のもう半分、自分以外の世界を分析しないで、自分というものがどんな立場や環境にあって、どう過ごすべきなのか、は判断できないし、その「もう半分の世界」っていうのもまた、奥深くて、面白い。
 というのもその席で、先輩から
「二人の人が話しているのを、この人の立場は何で、どういうことを思ってそんなことを話しているのか、ということを考えながら聞いてごらん。きっと面白いから。」
と言われてすぐ、先輩とチームリーダーの会話で実践してみた。どこまで腹を割っているかは知らないが、お互いの立場や経験を踏まえて「なんでこの人こういう発言してるんだろう」と考えて聞くだけで、今まで全然気付かなかった面がクローズアップされてきた。
 チームリーダーの性格や考え方にも、また一つ大きなヒントを得た。これで少しは、職場でもスムーズに仕事が出来るようになるかもしれない…
 そんなことをしていたら、あっという間に1時を回っていた。先輩とチームリーダーは、他の2人の同僚とカラオケに行く、と街へ消えていったが、とてもそれについていって、気の合う仲間たちの邪魔をする気にはなれなかった。
 本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました、Aさん。
 …とそんなことをしていたら、いつのまにかに午前1時。もちろんタクシー帰り。

11月16日
 駅前の自転車置き場。さて、家に帰ろう、とポケットを探ったら…
 カギがない…どうやら職場に置いてきたコートの中に入っている様子。自転車のカギはもちろん、家のカギまで一緒…。
 しかも、このところの資金難と前日からの飲み会で十分な現金もなく、カギ屋も呼べない。24時間営業のカードATMでキャッシングという「奥の手」に出たものの、取扱い時間外といわれて突っ返されるし…。
 この寒い中、取扱い時間に入るまで外にいるわけにはいかん、ということで、近くの公衆電話から引っ張り出してきたタウンページを元に、片っ端から電話。何軒かかけたがことごとく満室で、結局ふた駅向こうのビジネスホテルにシングルの部屋を借り、そこまでタクシー。もちろんタクシーもホテルも、すべてクレジットカード払い…大丈夫か俺。
 チェックアウト時間ギリギリにホテルを出て、家に戻ってカギ屋を呼び、自分の部屋に入れたのは午後1時。カギ屋さんにはずいぶん待たされたが、手際よく開けてくれた。妙に穏やかそうな物腰とぱっとしない服装がかなり怪しげな(爆)人だったが、その技術には感動、そして感謝。フィールドは違っても同じ技術職として、この仕事のスマートさは尊敬に値する。

 部屋に入り、すぐにベッドに直行――もう他に何もする気がない、とりあえずうだうだしてたい、と…。
 で、起きたのが午後3時半。時計を見て、ふと思ったことがある。
 …午後4時になると「もう1日も終わってしまう」という気分になるのは何故だろう??
 一つに、外がだんだん暗くなってくるから。はっきり調べたわけではないけど、なんか3時〜5時にかけて、外の明るさがどんどん落ちてくるような気がする。
 もう一つは、15時、というのが、僕の生活のサイクルの中での「1日」の、ほぼ真ん中にあたる、ということ。起きる時間は6時、寝る時間は0時、0時〜6時の間起きているのは「オーバータイム」だ、という感覚が僕の中にあって、6時から数えてちょうど9時間たった15時が「起きている時間(=1日)の真ん中」になる。
 それで、午後4時になると「もう終わりに差し掛かってきたな…」と感じるのかもしれない…とか思ってみたり。

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11月下旬のブッコ(11/21〜11/30)

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