ぶっこ旬報
のページでございます

2001年8月のブッコです。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

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〜2001年〜


8月上旬のブッコ(8/1〜8/10)

8月1日・2日
編集室ファイル#10「花火大会」をご覧ください。

8月3日
 秋葉原へでかける。携帯電話の相場を見に行こう、と電気街へ踏み込むと、なんとこの間まで10000円を超えていた「P503i」が大幅に値下がりしているではないか!まさに今が買い時、という様子だったので、クレジットカードで衝動買い。ついに周囲から「懐かしの」と言われ続けたシティフォン「P156」ともお別れである。色は赤が残り1つ、というので決めてしまったが、よく考えたらスーツに合わないではないか…。ちょっと失敗したような気もするが、赤は好きなのでまぁいいだろう。

8月4日
 午前中は洗濯、午後は上野の博物館に「天神様の美術」という展覧会を見に行くが、時間が遅かったのでゆっくり見られなかった。やはりこういうところに行くときは、一日みていくべきである。

8月6日
 次回の研修のための予習。ケーススタディのようなものなのだが、なかなか難しい、というより読むべき資料が多く、しかもどう読んでいいやら勝手もよくわからない。

8月7日
 花火大会の写真が現像されてくる。いわゆる「写るんです」では花火はダメらしい。かなりしょぼい写真ができあがってしまった。

8月8日
 この数日、着メロのダウンロードやら、iモードのゲーム「ギタルマンアイ」にはまる。iアプリ対応で、電話のつながらない場所でもゲームができるのがうれしい。

8月9日
 ケーススタディも終わったので、個人的にJAVAの自習。休み時間はiモード。電話代が……。

8月10日
 新潟県代表の十日町高校が、第一回戦で姿を消す。甲子園の楽しみがほとんどなくなった。

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8月中旬のブッコ(8/11〜8/20)

8月11日
 キャベツが大量にあったのでホイコーローにでもしよう、と買い物に出かけたら、何と安いうなぎを発見!翌日のコミケのために、鋭気を養うことにした。

8月12日
 今回のコミケは、入場待ちのさなか雨が降る、という最悪のコンディション。しかも列をぎっちり詰めて並ばされるから、周囲の人の傘が邪魔になり、自分自身も前後の人の邪魔をしている。晴海の頃は台風が接近しても雨が降らない、という伝説まであったのに。以前のようなオタクたちの怨念が薄れてきているのだろうか??
 入場後1時間ほどかけ、評論と歴史系のサークルを回り、興味深い本をいくつか購入。やはり三国志のパロディが面白い。

8月13日
 お盆の週で、普通の人は休みなのだが、私には仕事(研修)がある。いつもより通勤客も少なく、朝の電車は座って行けた。

8月14日
 地方大の院生となった学会員が帰省していたので、会社の帰りにあって一緒に食事をとる。持ってきていたコミケの収穫物を見せる。

8月15日
 今回の研修は本格的な開発があり、進捗報告があり、と結構厳しい。しかもなんとなくチームの舵取りをするような役回りを自分で選んでしまった。だが、今回の人たちは思慮深く、変な自己主張をしないので大変やりやすい。お互い一歩引いた位置で議論を戦わせていくのが、円滑にチームでの作業を進めるにはいいようだ。

8月16日
 この日の開発は裏技めいたテクニックが重要だったり、途中でPCがダウンしたりと難航を極めた。あるチームの一人が完成させたので話を聞きに行き、仕組みを理解して我々のチームも完成。さらにこのテクニックを周囲の人にも伝える。とてもチーム単体ではクリアできるような状況ではない。結局夜10時まで粘ったが、一つ残ったバグがどうしても取れず、翌日に持ち越しとなった。

8月17日
 ちょっとしたヒントから、バグが見事に解消。開発の行き詰まり、というものは、案外こんなものなのかもしれない。

8月18日
 入院中の友人を見舞いに、伊豆・修善寺のリハビリセンターへ。三島まで新幹線を使うまでもない、と東海道線で行ったのだが、さすがに片道4時間は遠かった。駅で他の学会員と落ち合い、昼食を取ってから、リハビリセンターまではレンタカーで向かう。
 病院の目的の階で友人の病室を捜してうろついていたら、本人が車椅子に乗ってやってきた。彼の回復はめざましく、前回見舞いに来たときよりもずっと力強く車椅子を操っていた。
 眺めのいい屋上にあがり、お互いに近況報告をする。握力も元に戻りつつあり、足のリハビリもがんばっているとか。半年後には退院できるかもしれない、という。
 いつも退屈で面白くない、雑誌を見るのが楽しみだが好きな車の雑誌がない、と言う友人に、学会員の2人がレンタカーを走らせコンビニに買いに出ることになった。私ともう一人の学会員が残り、友人とロビーで話をしながら買い出し部隊の帰りを待つ。
 かなりダメージを受けたという内臓も、順調に回復しているという。肝臓や腎臓といった部分もほぼ正常レベルの回復を見せ、肺の方もこの一ヶ月で大幅に回復、平常レベルまであと一歩だという。脳の方は全く異常はなく、知能テストの結果も良好。透析や気管切開まで受け、チューブだらけだった彼は、見事死の淵からの生還を果たしたのである。
 買い出し部隊が戻った後、彼がシャワーの時間だというので、我々はその間に観光をしよう、と車に乗り込む。途中で雨がひどくなり、道の駅で休憩。わさびアイスなるものを食べたが、辛いんだか甘いんだか、よくわからない味がした。時間の問題でここで引き返し、途中の浄蓮の滝を観光。美しい滝もさることながら、川の水は美しく澄んでいて、鱒釣り場に放流してある鱒の魚影もはっきりと見える。
 病院に戻ると、友人の車椅子を押して川のほとりの駐車場に出て話す。
 帰りの道すがら見つけたバーミヤンで食事をし、駅でレンタカーを返す。病院を結構早く出たのだが、家に戻ったのはだいぶ遅くなった。今度来るとなった時には、温泉もあることだし、是非泊まりがけで来たいものである。

8月19日
 洗濯と掃除をした後、時間を気にせずぐっすり眠る。夜、米が無くなっているのに気がついて買いに出たものの、財布をあけたら手持ちが小銭ばかりで1000円ちょっと。引き出さないといけない、ということをすっかり忘れていたのだ。ATMはすでに閉まっている。
 しかたないので2kgの新潟コシヒカリを買って帰る。残りは100円ちょっとである。

8月20日
 勤務先の事業所が変わり、今までとは反対方向の電車に乗る。やはり朝の上り線は混雑する、と思っていたら乗り換えの路線がある次の駅でかなりの人が降りていってしまった。都心行きとしてはかなり空いているほうである。もっとも、帰りはその駅から人がどどっと乗ってきたが……。
 今回の研修コースは、クラス分けの関係で女性が多く、10人中男は私を含めて2人だけ、という大変いびつな環境。と言っても男女差というものをほとんど感じないような会社なので、大した違いはない。
 夜、彼女からのメールで、設定していないはずの「笑っていいとも」の着メロが流れてきたから何だろう、と思って見てみると、彼女の友達が手に入れてきた着メロが添付されていたのだ。ありがたく頂戴する。

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8月下旬のブッコ(8/21〜8/31)

8月21日
 これまで同僚の女性たちとは、あまり話す機会がなかった。別に女性たちに自分から近づこう、というものでもなかったから。それが今、女性に囲まれて勉強をするような環境になり、この日の昼食などは6人の女性に囲まれ男一人、という、ある種大変おいしい(爆)状況になった。みんな前向きで明るく、変な自意識を持っていたり自己防衛の準備を整えたりすることなく、自然体で話してくれる人たちばかりなので、こちらとしても身構えずに済む。おかげで男どうしの間ではあまり交わすことのない、幅の広い会話を楽しめた。
 個性的な人の多い我が社の新人の中でも、自他共に認める「変人」たちが集まっているらしいわが部署だが、やはり彼女たちも女性としては変わっている方なのだろうか?私の持っている女性観からすると、かなり変わっているというか、悪い意味での女っぽさがない気がする。

8月22日
 前評判はかなりのものがあった台風11号だが、東京に来た頃にはだいぶ弱まっていたらしく、風にやたらと弱い京葉線ですら半分は運転していたし、夕方にはすっかり晴れてしまっていた。昼のほとんどを屋内で過ごす我々にとって、台風は何の影響も及ぼさなかった。
 今回通っている事業所は大変大きな駅の側にあるので、周囲には店が数多い。おかげで今まで社員食堂に頼っていた昼食を、少し値が張るのを承知で、ビルのレストラン街で取る。この日もみんなで外に食事に出かけ、おいしい焼き鳥丼を食べてきた。こういう贅沢な食生活を続けていると、安いとはいえ社員食堂では食べる気がしなくなるかもしれない。それほどまずくはないのだが、凝ったおいしい料理を出すレストランと比べると、見劣りするのは否めない。
 夜、クラスの人と3人で飲みに出かけ、その飲み屋のヨーグルト味のカクテルにはまる。調子に乗って飲んでいたらすっかりいい気分になり、乗せられて思わずいろいろと話してしまう。おかげでお互いの距離は近づいたが、ちとしゃべりすぎた気がする。

8月23日
 休み時間に休憩室に赴き菓子を食べる、という前の事業所での慣行を、ここにきてからもかたくなに守っている。自分の趣味で安いビスケットを買い、数が多いのをいいことにみんなに配っているのだが、これがかなりの堅焼きで、お互いぶつけるとカチカチ音がするほど。さらに台風まで通り過ぎた蒸し暑い日々を経てもなおぱりぱりとおいしく食べられる。味自体もプレーンでおいしい。
 だが問題はその量にある。歯ごたえがあるので1枚ぐらいで十分満ち足りた気分になれるというのに、それが何十枚も入っている。これで一袋100円なのだから大変割安なのだが、毎日こればかりだと飽きる。
 というわけで麦チョコを買ってきたのだが、これがまた受けがよかった。女性陣は概して甘いもの好きである。
 こうしてお菓子を配り歩くのを、クラスの一人が「餌付け」という大変ナイスな名前をつけてくれた。以来、私は「餌付けされる?」と言って菓子を配っている…。
 夜、今まで同じ大学を卒業した同期と会う機会がなかなかなかったのだが、この日ある同期が催した飲みに参加することとなった。有楽町・数寄屋橋のビヤガーデンで、東京タワーを見ながらのバーベキュー(もちろん食べ放題・飲み放題)。ここでも楽しくて結構飲んでしまい、また頭痛が……。
 そのせいか、訳の分からない夢を見る。刑務所の運動場で怖そうな黒人が手かせ足かせをはめられ、じゃらじゃら鎖の音を立てながら歩行運動をしている真ん中に立ち、ケント・ギルバートにNOVAの教科書で英会話を習っている夢。ケント・ギルバートは自分で英語学校を持っているから、NOVAの教科書を使うことはあり得ない。無気力さがなお恐怖感をあおる黒人たちの視線と、見上げると何メートルもある塀と青空。恐ろしかった。

8月24日
 これまでも何度か、同僚の人の質問に答えてきたが、今回のクラスでもそれは同じで、前後左右の人から質問を受け、答えている。
 と言っても私も今回勉強するソフトウェアについては全く初めてで、テキストとなっているマニュアルすら最初の一部しか目を通していない。あとはインストラクターの説明を聞いたり、インストラクターに質問したりして得た知識だけで、質問者と二人でテキストを読みながら、「これはこういう意味でこうなってるんじゃないかな、と思う」という具合である。おかげで、自分自身の勉強はまるで進んでいないが、まだ読んでいない部分の知識が強化されてたりする。
 こんなことをしていると、当然インストラクターの目についてしまう。前日、説明の後「よくわからない」と質問をしてきた人に自分なりの解釈を説明していたら、
「君のわかりやすい説明を、みんなにフィードバックしてくれないかな」
と言われ、前に出て話をすることに。ほとんど試験されてるようなもんだったが、説明はうまくいき、インストラクターにも私が出した例について「これは思いつかなかった、私も勉強になりました」と大変高い評価を受けた。
 これに味を占めたインストラクター、また別の機会でも私を引っぱり出して改めて説明させたり、私にテキストを読ませて「これ実機で演習できるかな?」と聞いてきたり。まるで助手のような扱いを受けている。それだけ高い評価を受けるのは大変光栄だし、なにより周囲の人(特に女性たち(爆))の役に立てている、というのは大変うれしいことである。
 といってもこれは、私が現在のクラスの中で比較的この世界に慣れている方だから、というだけである。同じ部署には即戦力たりうる人たちが他にもいるし、成長いちじるしい他の人たちからの追い上げも厳しい。さらに実戦投入となると知識も経験もゼロに等しい、戦力外もいいところである。

8月25日
 横浜のHMVで行われる、元ちとせのインストア・ライブへ。
 まずは朝、開店と同時にHMVへ。今回のライブは握手会もあり、その整理券が彼女のニューアルバムに入っている。そのアルバム、先月の「Augusta Campでサイン入りのを買ってしまっていて、さすがに2枚目を買う、ということまではしない。ついでにJ-POPを見て回っていたら、欲しかった未森さんのシングル「ココア」「空に咲く花」と所ジョージ「農家の唄」を発見、購入する。所ジョージでかなりの品揃えがあったあたり、さすがは横浜である。
 昼になったので駅の地下街のオムライス屋へ。これまで二人でオムレツものを食べに行くと、結婚式の貸し切りだったりなぜか閉店だったりとことごとく失敗してきたが、今度は大丈夫だった。ボリュームがあり、味もいい。セットのプリンもおいしかった。
 この後、DDRを踊りにあちこちのゲーセンを巡るが、なかなか見あたらない。かわりにそれぞれの店にあった音ゲーにはまる。タンバリンにマラカス、太鼓、ポップンミュージックとひととおりやり、最後にDDRを見つけて思いっきり踊る。
 6時からのライブは、整理券を手に入れた人々が舞台の前を占め、我々のように噂を聞きつけたファンが後ろにうろつく。ちとせちゃんはライブ前のリハーサルでまずその伸びのある声を響かせ、観客を沸かす。本番のライブはさらにすばらしかった。
 ライブの後、観覧車に乗りに桜木町へ。横浜の夜景をひとしきり楽しんでから、ビルの中のイタリアレストランでセットのパスタを食べ、家に戻る。

8月27日
 試験まであと2日。実機はさわったがテストの勉強が進んでない、ということでラストスパートモード。ひたすらテキストを読み込むかたわら、周囲の質問を受ける。答えているうちに、なんだかわかった気になる。

8月28日
 夕方、インストラクターの出した模擬試験でひどい点数を出す。これはまずい、と言うことで夜は必死に勉強。

8月29日
 最初に受けた試験、見事に失敗。クラスでも受かった人はほんのわずか。テキストベースの勉強ではやったことのない部分が多く出て、そこでかなりの点を落とす。
 しかしプロメトリック社主催のテスト、あれは胃に悪い!
 コンピューターで、マウスで画面を操作しながら、クイズゲームみたいにしてやるテストなのだが、全部解き終わると全部の問題に対する自分の回答の表と、「再検討」「前にも戻る」といったやり直し系ボタン、さらに「テスト終了」ボタンが表示される。このボタンを押すのに大変勇気がいる。しかも問題はすべて4択。気分はまさに「クイズ$ミリオネア」、みのもんたに眉をひそめて「ファイナルアンサー?」と言われているようなものである。もちろんここにはライフラインもなければオーディエンスもいないし50:50も存在しない。
 残りテスト時間が30秒になって、もうこれは手のうちようがないな、とテスト終了ボタンを押すと、確認の画面が。かまわずさらにOKボタンを押すと、
「成績を印刷しています……」
の表示。これで受かったかどうかは後でわかるんだな、と思いきや、画面が変わって自分の得点が! 「合格ラインは74%です。あなたの得点は**%でした。残念ながら不合格です。」
 「ファイナルアンサー」ボタンを押したことが悔やまれてならない。いやむしろ最初から悩まず「ファイナルアンサー」ボタンを押していればよかったのかも……。
 しかも問題をある程度使い回しするので、どの問題を間違えたか、範囲レベルでのヒントは教えてもらえるが細かい内容は教えてくれない。後味の大変悪い試験である。

8月30日
 がっかりしているまもなく、翌日もまたテストがある。今度だけは絶対に取りたい、と必死に勉強に励む。

8月31日
 この日のテストは無事合格。といってもクラスには私より成績のいい人が3人も。私がいろいろ教えた人が、私よりいい点を取っている……踏み台になったか?と思わないでもないが、私はこの瞬間間違いなく、周囲に抜きされられたことになる。
 午後、所属長から、同期の女性の一人が日曜日に入籍・結婚式をしていた、と発表される。しかもすでにおめでたらしい……一瞬「できちゃった??」と思ったが、それはさておき。誰もが気づかなかった事実に、女性の多い教室は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。
 話を聞くと、旦那さんは私と同い年らしい……24歳って、普通に「おとーさん」になっちゃう年なんだろうか??
 高卒で働いている人ならともかく、同じ大卒で。そういえば私のいとこも24歳の時の子供である。とするとそんなに珍しいことではないのかも知れない。
 それより何より、私にとって衝撃だったのは、こう言ってはなんだが、その同期の女性が大変地味な方だったことである。これだけ普通の女性でも結婚する。しかも同い年という旦那さんもハデなタイプではなかろう。となると、地味な人でも24歳にもなれば、結婚という話が出てきておかしくない、ということになる。
 普通の人が、両親を説得して大好きな女性と結婚する、というそんな年齢になっても、私にはまだ、それだけの手を打てるだけの自信がない(例えあの事件がなかったとしても)。お互いにとってまだ結婚は先の話だし、別に結婚できなくとも、好きな女性がいて活躍できる仕事があれば十分幸せなのかもしれないが、今のままでは人間として致命的な欠陥を抱えたままになるのでは、という焦りと不安を感じずにはいられない。
 自分自身のことは「どうせ俺は人間じゃないんだし」と欠陥を受け入れられるようになれればそれでいいが。
 その結果、彼女に大きな不幸を招いてしまうとしたら、これほど辛いことはない。

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