ぶっこ旬報
のページでございます

2001年1月のブッコです。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

バックナンバーへコーナーのトップページへHOMEへ戻る

〜2001年〜


1月上旬のブッコ(1/1〜1/10)

1月1日
 ここ数年間、毎年の行事になっている横浜中華街でのディナー。車で、首都高速経由で横浜に抜けるのだが、トンネルの下で合流する三宅坂が嫌だ。ぎっちり詰まってしまえば楽なのだが、中途半端に混んでるのが一番合流しにくいから……。
 中華街では、去年と同じところでフカヒレを食べる。値段の割にボリュームがすごくて、おいしいのだ。

1月2日
 赤坂の日枝神社へお参りに行く。両親が二人で初めて初詣に行った神社で、東京にいるうちは、ここでの初詣は毎年欠かさない。27年前は人も少なく、それがよくて来ていたらしいが、芸能人がやってきたりするせいもあって人も増え、とくにここ4、5年は毎年混雑の度合いがひどくなっている。神戸から東京に戻ってきてすぐぐらいの頃は、境内にも人が少なく、境内の真ん中にあった丸い大きなしめ縄をくぐるのも簡単だったのに、今ではそのしめ縄もなくなり、今年はそれこそ境内に人があふれんばかりの混雑ぶりだった。これからもますます混んでいってしまうのだろうか……。
 毎年恒例のおみくじを引いたら、なんと大吉。それでも今までひいたことのあるのは必ず「調子に乗るなよ」というようなことが書いてあったのだが、今回はそういうものが全くない。やることなすことうまく行くから、調子に乗ってがんがんやってくれ、みたいな。どうやら大吉中の大吉をひいてしまったらしい。来年が恐ろしい……。

1月3日
 数日治まっていた熱がぶり返した。大事をとって一日寝る。
 もっとも特にやるべきことは何もないんだが……。

1月4日
 ゼミ合宿の日程が間違って伝わっていたことがわかり、改めて全員に連絡を取る。先月12日に4年幹事に聞いた情報が間違っていたらしい。結果、ゼミHPのほうも間違いの情報が流れていたので、訂正する。

1月5日
 誰か間違って合宿地に行ってないか、心配である。
 京大の友人Yと、移民問題と恋愛ネタについて、2本のメールを使って議論、というめちゃくちゃなことをする。全く、お堅いんだか柔らかいんだかよくわからない。

1月6日
 ゼミ合宿1日目。八王子の山奥はとにかく不便だ。
 ここの食事はとにかく量が少ないので、おかわり自由のゴハンで何とかしようと思ったのだが、3杯目を食べようとして「これで最後にして下さい」と言われる。その後もお代わりできない奴が続出したのだが……オイ、米は今そんなに高くないだろう。おかずがすくないのはともかく、せめてみんなの胃袋を満たすだけの米を炊いておけ(−−#)
 しかも部屋の暖房が全然きかず、全然暖まらない。ちゃんとメンテしとけ(−−メ)
 その夜、留年組5人で一つの部屋に集まり、女性のネタで議論。私は結局のところ女なんて……と得意の女性嫌い論を展開、午前4時まで話をする。

1月7日
 ゼミ合宿2日目。この日で全員の発表が終了。ことここに至って急にレベルアップした発表を披露した奴から、最後までやっぱりダメダメだった奴まで、それぞれの発表を終えた。
 夜、雪が降り始める。夜半にすっかり積もった雪で、3年は雪合戦に興じる。一方私はもう一人の5年と、あと4年の酒豪ゼミ生と3年のゼミ生2人と飲む。酒はほとんどなくなっていて、ひたすらいろんなことをしゃべっていたが、そのうち酒豪が「酒が足りない」と、3年を一人連れ、雪の中を1時間もかけ、コンビニで酒を買ってきた。かり出された3年はそのまま寝てしまい、もう一人もうまいタイミングを見計らって逃げていってしまった。そうして酒豪と5年2人で飲んでいたのだが、酒の飲めない私には、こんな機会はなかなかなかったから、結構楽しかった。
 午前3時近くなり、他の連中、特に3年を引っ張ってこようということになり、酒豪の先導でのんびり話していた3年を無理矢理自分たちの部屋に呼び出した――なんて極悪な上級生だ。そこで就職活動の話をひとくさり……全くたちの悪い留年生だ。
 午前4時にようやくお開きとなり、部屋に戻ると、風邪ひきで寝込んでいた相部屋のゼミ生が、脱水症状で辛そうにしていた。そこで私も飲み物を買うついでにスポーツドリンクを買ってきて、渡す。

1月8日
 前日降った雪で周囲はマッシロ。帰りのバスが出てるかどうかが危ぶまれたが、結局みんなでタクシーを呼び、分乗することになった。1台、上り坂で引っかかってて、下り途中のゼミ生がそれを押して通したらしい。東京はとにかく雪に弱い。

1月9日
 香川県庁に就職したゼミ生から、名簿が欲しいと連絡があったので、電子版をメールに添付して送る。

1月10日
 何故か家に絵はがきが届く。今頃海外旅行してる友達はいないのに、と思いつつ見てみると、消印がなんと先月13日。クロアチアに旅行に行ってた友達が現地で出したものらしい。本人はとっくの昔に帰ってきてるというのに。世紀を越えた手紙、というとかっこいいが、着くのがあまりにも遅すぎる。

このページの先頭へ戻る


1月中旬のブッコ(1/11〜1/20)

1月11日
 昨年末に会ったメル友がまた東京に来るというので、せっかくなのでまた会うことにした。

1月12日
 夜、上尾の友人宅に向かう。スキー旅行のための泊まり込みである。

1月13日
 早朝、上尾の友人宅を出発、ガーラ湯沢スキー場へと向かう。今回は日帰りで、ブッコ学会のメンバー3人。18キップで「シーハイル上越」を利用し、越後湯沢からガーラに抜ける予定である。ガーラは友人の勤務先の息がかかっていて、リフトを格安で乗れるのだ。
 しかしこの日、新潟は大雪で、上越線もご多分に漏れずダメージを受けていた。順調に水上まで行った「シーハイル上越」は、ここから動いたり停まったりを繰り返した。そうして1時間近い遅れを出して越後中里駅に着いたとき、もうこれ以上上越線に頼れない、とここで降りることにした。スキー場は駅の目の前である。
 さて、雪質はさすがに大雪の後だけあって上々だった。
 一本滑った後、上手い友人が上級者コースへと出かけて行ったが、初級コースで降りてきた我々の前に、いつまでも姿を見せない。心配になって上級者コースの見えるリフトに乗ると、見たことのある姿が腰まで雪に埋まってもがいている。試しに呼んでみたら、こっちを向いてストックを振った。どうやらたっぷり積もった新雪に埋まって身動きがとれなくなっていたらしい。
 午後になり、片方の上級者バーンが、人が滑った結果堅くなっていることがわかり、思い切って滑りに出ることにした。しかしこれまたコースのはしに深い雪がたまっていて、ここに突っ込むと身動きがとれなくなる。堅くなったバーンにはコブのような物があるが、実はこれが蹴り飛ばすといいクッションになるし、転んでも全く痛くない。あとは急なバーンにいかに思い切って突っ込んでいけるか、という度胸試しである。なんとか無事滑り降りたときには、思わずガッツポーズが出てしまった。
 帰りの電車も大変だった。乗り換え駅の新前橋で、昼に起きた事故の影響で高崎線が大幅に遅れていることが判明。やっと来た電車も動いては停まり、を繰り返し、45分遅れで上尾に到着。一旦友人宅に置いてきた荷物を取り、再度高崎線で帰ろうとしたら、大宮の手前で20分動かず。疲れてるんだからさっさと帰して欲しい。
 大宮の駅からは、もう高崎線は信用できない、と埼京線・武蔵野線経由で帰宅。むしろこの方が空いてて良かったかも知れない。

1月14日
 スキー場では調子の良かった喉が、東京の乾燥した空気でダメージを受ける。全く今回のカゼはとんでもなくしつこい。
 メールを打っていたら、久々に家のブレーカーが落ちた。1時間かけたメールが水の泡……どうにかしてほしい。

1月15日
 電気毛布が暖かい。今年の冬はここ数年なかった寒さである。というよりこれが正常というべきなのかもしれない。

1月16日
 スキーの影響か、足を中心にして痛い。
 任天堂が出していた某人気シリーズの新作が、別会社の名前でプレステ版として出るらしい。それも3月29日……学生最後の4日間をゲームに費やせとでも言うのだろうか!?

1月17日
 翌日の行き先に決まったお台場の情報を検索する。いくつかの店の情報を見つけ、プリントアウトしておく。しかしだいたいめぼしい店はめぼしい建物に集中していて、そこを捜せばなんとかなるようだった。お台場は新興のエリアだけあって、見所がまとまっていて便利である。

1月18日
 午前11時半、ハチ公前でメル友と会う。銀座線とゆりかもめを乗り継ぎ、お台場へ。
 まずはフジテレビの展望台。画像合成(クロマキー)の設備があったり、めざましテレビのセットが置いてあったりする。その下にはドミノ倒しの企画で使ったという渡り廊下があり、全くの球体である展望台を下から眺めることが出来る。ここにお台場の見所を検索できる機械があって、いくつかの施設を検索。
 エレベーターを降りた7Fの広場には、渡り廊下からも見えた子供たちの群がいた。どうやら社会科見学で来ているらしい。同じ7Fにあるショップを一通り見て、お茶菓子にするための人形焼きを購入。
 5Fには番組ごとの展示場があった。フジテレビはバラエティに強く、特に『笑っていいとも』は昼の看板番組である。展示スペースも大きく取ってあった。始めたばかりの頃のタモリが若い。また当時出版された本などの写真に、電話機を隠すための「WA」と書かれた覆いが写っている。そういえばこのころは神戸で『いいとも』を見ていたのだ――しかし何でお昼の番組をよく見た記憶があるんだろう、と思ったら、スタートした1982年というと5歳の頃で、ぜん息で幼稚園を休みがちだった私は、家でぜーぜー言いながらよく見ていたのだった。
 奥の方にはスタジオを覗ける窓があって、ちょうど収録の準備をしていた。セットが組まれ、そこをADが走り回っている。最近はテレビで裏方を映すことも多くなってきたからそれほどめずらしさはないが、ガラス越しに目の前にある、となるとまた違った感慨がある。
 フジテレビを出た後、デックス東京のオムレツ屋に行こうとしたら、なぜか閉店。そこで建物内の企画エリア「台場小香港」に入り、中華料理屋で五目おこげとホイコーローを食べる。なかなかいい味付けだった。
 デックスからヴィーナスフォートまでは、遊歩道を利用しててくてく歩く。1階にワインの店を見つけ、入ってみる。おいしかったリューデスハイムの甘口ワインがないか、と捜していたら、私の飲んだものではなく、しかも辛口のものだが見つけることが出来た。今度買いに来てもいいかも知れない。
 ヴィーナスフォートは面白い場所だった。テナントが建物のセットのように組まれていて、天井には空が映し出されている。数々のシャンデリアがぶら下がり、イルミネーションのようになっている。とても建物の中を歩いている気がしないのだ。
 要は巨大できれいなショッピングモールだが、さすが「女性のための」というだけあって、雰囲気は素晴らしい。女の子とでなければ、こんなところには来られないが、一度見に行くだけの価値はあるだろう。

1月19日
 夜、メル友の携帯に電話を入れる。大雪にも新幹線はメゲなかったようで、無事に帰れたようだ。

このページの先頭へ戻る


1月下旬のブッコ(1/21〜1/31)

1月21日
 ヴィーナスフォートで撮った写真ができあがる。

1月22日
 卒論用のグラフをスキャンしようとしたら、解像度が低すぎて汚くなりすぎ、使い物にならないことが判明。結局切り張りが一番きれいだ。

1月24日
 先生から電話があり、ご自宅のパソコンに入ったOutlook Expressが壊れたから直したいと言う。午後6時に駅で待ち合わせ、そのまま先生のお宅へ向かう。
 設定に問題があるわけでもなし、これはOutlook Express自身をリインストールするか、インストールされたまま使われていないOutlook2000を利用するか……といじっていたら、勝手にOutlook Expressが復活した。これだからMicrosoft製品はよくわからん。

1月25日
 後輩から就職活動のことで、メールで相談を受ける。そのネタに関してはウンチクはたくさんあるから、とひとくさり(どころではないかも)返事を出した。彼もサークルで苦労したくちである。是非いいところに決まって欲しい。

1月27日
 東京は大雪に見舞われる一日。前日から雪だと言われていたのだから、NOVAの予約をキャンセルすればよかったのに、気合いで出かける。
 道すがら、泥にまみれたべちゃべちゃな雪を、変な軽トラが私のジーンズにはね飛ばして去っていった。フザケルナこの野郎、と思ったが、あんまりヘタなことを言うと、わが大学の教授をひき殺した運送業者(ピー)のように、ひき殺してくるかも知れない。

1月28日
 翌日の卒論提出に備え、補論の最後の仕上げにかかる。当初の計画では3つの補論を立ち上げるつもりでいたが、結局1つだけになった。それでもそれなりの出来になったと自負している。

1月29日
 卒論提出日。目標の昼休みに間に合うように行ったものの、図表が1つ欠落しているという重大な問題が発覚、図表を取りに家に戻る。おかげで提出時間が2時間も遅れた。製本は去年も使った、生協ですぐに出来る簡易製本。ただしこれではまた後で図書館用に、本格的に製本したものを提出し直さなければならない。この時またゼミ生と会い、一緒に提出に行く。
 研究室に行くと、先生は何か取り込み中だったらしく、後でもう一度来てくれと言われる。生協で時間を潰してから、もう一度提出に行く。すると先生、パソコンを見て欲しいと言う。どうも先生の使っているメールソフトが調子が悪いらしい。どうも良くわからないエラーメッセージが出ている。
 ところがこの日、新しいノートパソコンを導入するという。そこでそれを手伝うことになったのだが、とりあえず電源を入れて立ち上げることは普通にできたものの、LANの接続など家庭用でやった試しがないから、設定のしかたがわからない。しかも何か特別な方法がいる、というので、あちこちから院生やら誰やらに応援を頼み、なんとか設定を完了することが出来た。
 それを3年のゼミ中だった先生に報告すると、5時まで待ってくれ、と言われる。そこでパソコンルームで彼女にメールを送った後、研究室に戻ると、しばらくして先生が3年を一人連れてお戻りになった。ノートパソコンの使い方を一通り説明し、ホームページの改訂の方法もその3年生に教える。
 帰り、3人でお茶を飲もうと言うことになったが、3年は友達と飲むというので帰ってしまい(先生は、あれは彼女に呼ばれたんだろうと仰っていたが……)、2人で国立駅前の喫茶店でお茶をたしなむ。ヨイショではないが、気さくで気配りがよく、いろんなことを話して下さる先生を、私は尊敬しているわけで――そうでなければ一緒にお茶など飲まないし、パソコンの修理を頼まれてもいいわけをして断ってしまうだろう――年を取ったらああいうオジサンになれるといいかなぁ、などと思っている。

1月30日
 週のアタマというのは、私はどうも調子がよくないようだ。これで仕事があれば多少は気が紛れるのかも知れないが、卒論も終えたヒマ人はロクなことを考えない。余計なことを考えて悩み、勝手にブルーになる。

1月31日
 大学生協で卒論の製本を依頼。

このページの先頭へ戻る


バックナンバーへコーナーのトップページへHOMEへ戻る