ぶっこ旬報
のページでございます

2000年10月のブッコです。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

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〜2000年〜


10月上旬のブッコ(10/1〜10/10)

10月1日
 内定式を翌日に控え、久々にスーツを出す。この2ヶ月で肥大化したウエストがかなり気になったが、無事ズボンが入ってくれて安心する。

10月2日
 内定式に出席。なんかごちゃごちゃした式典かと思ったら、半分事務連絡のようなもので、あっさりと終わった。この企業のこういう所も、私は好きである。

10月3日
 ひさびさに学校に出かける。一応授業に出るつもりだったが、結局パソコンルームで遊んでくるだけに終わった。

10月4日
 昼頃、ブッコ学会でマネージャー的な役割をしている友達(肩書きは「事務総長」)から電話。京都大学の院試の帰りで、試験自体はかんばしくいかなかったらしい。もっとも彼は優秀だから大丈夫だろう。
 その夜、「事務総長」の母親から電話。涙にくれているから何かと思ったら、ブッコ学会のとある友達が転落事故を起こして危篤だという。詳細はわからないが、あと2、3日が限度だという。「事務総長」本人が京都からの帰宅途中のため、「ブッコ」(これが私の肩書きである)の私が他の学会員への連絡を担うことになった。何人目かに連絡したところで、「事務総長」からも連絡があり、さしあたり私と2人で先発することにした。その後何人かと連絡を取り合い、先発隊の人数が増えた。この時点ではまだ容態がわかっていなかったから、行って話を聞いてから……と楽観視していた。

10月5日
 転落事故を起こしたブッコ学会の友達を見舞いに、学会員6人と出かける。途中で会社員の学会員に連絡がつながり、仕事を早退して来てもらえることになった。
 病院の廊下でしばらく待たされた後、面会。そのかわり果てた姿に絶句、頭の中はマッシロ。一言ふたこと、声をかけて帰る。
 親御さんから事故の真相を聞き、その話を待っていた学会員に伝えようとしたが、涙の方が先にやってきた。しばらく泣かしてもらった後、かいつまんで説明。回復は絶望的で、彼は今日明日中に意識を失い、今月半ばには亡くなる見込みだとか。
 全員の面会が終わり、病院を出た後、7人で近くのマクドナルドの一角を占領、食べながらいろんなことを話し合う。鬱病の学会員が彼にかけたという言葉
「いつまでも、みんな友達だから」
が心に残る。みんなの気持ちは、この言葉に集約されるのだ。
 後からやってくる学会員3人と合流するために、「事務総長」が残り、私は鬱病の学会員を家の近くまで送り届け、そのまま帰宅。
 家に戻ったところで親は撮影旅行で乗鞍岳にでかけていて留守。はじめは激しくゲームをやりつづけ、そのあと部屋にこもり、メールを友達に打ちまくる。気持ちの整理を着けるべくホームページの記事の原稿を書き(具体性がありすぎるため日の目を見ることはないだろう)、ひとしきり涙にくれる。
 1階で猫2匹が腹をすかせたらしく、ごとごとと物音を立てているのを聞きとがめ、人の感傷を邪魔しやがってと思いながら、悪い目つきで1階に降りていったら、階段のところで出くわした。私の様子に驚いたのか、2匹は慌てて2階の両親の寝室へと逃げ出していった。そして結局両親が帰ってくるまで、2匹が私の前に出てくることはなかった。よほど恐ろしい顔つきをしていたのだろう。

10月6日
 昼になっても、親は帰ってこない。食欲はほとんどない。
 一階に降りてテレビをつけたら、『笑っていいとも』をやっていた。「テレホンショッキング」が志村けん×タモリという豪華さ。志村のボケに大笑いさせてもらった。
 おかげで食欲が出て、スパゲティ・ペペロンチーノを作って食べる。スパゲティは今まで作ったことが無かったのだが、意外に簡単だ。

10月7日
 ブッコ学会から(?)建設業界に入った友人の家(寮)に遊びにでかけ、ひたすらゲームを続ける。「桃太郎電鉄」と「いただきストリート」なんていう時間のかかりまくるゲームを2回ずつもやったのがよくない。「桃鉄」2回目なんか、一旦みんなで仮眠とってから再開したほど。明らかにやりすぎ。
 まぁ、一人暮らしの男の部屋に、客用のフトンなんてあるわけない。毛布一枚でカーペット敷きの床に寝るなどというワイルドなことをしたのだが……。

10月8日
 ゲーム2日目。朝には帰る予定だったのに、なぜか夕方まで遊んでしまった。なんてことだ……。
 家に帰ったのは夜になった。そういえば3連休だったんだよね……。

10月9日
 徹夜でゲーム、なんてことに連休の前半を費やしたことははたして良かったのか……。
 なんだか喉が痛いのは、きっとあの仮眠のせいだ。
 この日、F1でミハイル・シューマッハが優勝。シューマッハ・ファンの友達が、鈴鹿に見に行ったという話を聞いている。きっと大喜びだったろう。

10月10日
 午後になってから、病院に行ってカゼを診てもらう。さっさと家に帰りたかったが、ジャーマンレイルパスが手配出来ていなかったので、新宿まででかける。発行に何日かかかるかと思って行ったのに、一瞬にして発行された。そうとわかればこんなにあせって行かなかったのに……。

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10月中旬のブッコ(10/11〜10/20)

10月11日
 翌日、就職活動で知り合った女友達と、ドイツ旅行の情報を聞くことになっていた。そこで打ち合わせのために2度ほど電話を入れるが、出ない。しばらくして、折り返しで先方から電話が来た。新宿で待ち合わせることとなった。

10月12日
 くだんの女友達と会いに、新宿へ。彼女はドイツ旅行から帰ってきたばかりで、私はこれから出かけるところ。ということで情報を頂く。会話集を借りたり旅行中に使ったガイドブックのコピーをもらったり、旅行中に撮影した写真を見せてもらったり。午後3時ごろに喫茶店に入り、いろいろ話しているうちに午後8時の閉店時間まで居座ってしまった(爆)店の人が何回おひやを替えに来たことか(^^;)
 でも、彼女は旅行が趣味で旅行会社に就職したほどの人である。聞くべき話はたくさんあったのだ。

10月13日
 部屋に転がっていた、だいぶ前に水筒代わりにして麦茶を入れていたペットボトル。こいつを再利用しようと、水を入れてシェイク、ということを何回かやり、「これできれいなった」とあらためてきれいな水を入れて飲んだら、なんだか喉が痛くなるし、ひどい目にあった。どうやら中でヤバい菌かカビかが繁殖していたようだ……。

10月14日
 前日の危険な水がたたったのか、腹の調子がすこぶるよくない。普通胃の痛みは寝ていると直るのだが、寝ていたら痛くなってきたのは初めてだ。そのうち腸まで痛みが来るし、食欲はなくなるし、さんざんだった。某”緑の胃薬”を飲んだらよくなったが……一体何だったんだ、あの水は!?

10月15日
 小学校の同窓生から、4年ぶり近い電話が。久々に他の同窓生と会ったらしく、電話をしてきたようだった。お互いに携帯電話の番号を交換しあい、今度一緒に遊ぼうと約束。彼は他の同窓生の女子となかよくやっていたはずだから、とその話を聞いてみたら、とっくの昔に別れたらしい。……そんな簡単に別れたりくっついたりするモンなんだろーか??

10月16日
 ”6年生”2人に、履修登録票のハンコのことで連絡をしなければならない。面倒だ。特に片方はいつまでも連絡がつかないし。どーにかして欲しい。

10月17日
 転落事故を起こした友人が、あの後奇跡の回復を見せたとの連絡。意識もはっきりし、筆談までできるようになったという。
 翌日何人かで会いに行くことにした。

10月18日
 例の友人は、未だに黄疸がひどかったが、すっかりむくみもとれ、意識もはっきりしていた。私たちの近況を尋ねたので、それぞれの進路などを話す。前回の見舞いの時に私や他の学会員が泣いていた、と「事務総長」が話をしたら、涙ぐんでいたし、学会員の一人が体内時計の遺伝子を発見したと話をしたら、非常に驚いていた。もしかすると彼の体にはかなり負担になったかも知れない(爆)が、教えられることは教えてあげたい。
(この時まだ彼は面会謝絶で、我々友人が訪れたのはイレギュラーだったらしく、後で病院側からご家族がお目玉をくらったらしい、ということを後で耳にした。)

10月19日
 先生の研究室に行って、OBの連絡先の調査に乗り出す。その前に先生が「図表だけを論文からファイルに切り取ってメールで送りたい」とおっしゃるので、手伝う。新しく導入された機械を使ったのだが、OSがウィンドウス2000で、しかもセキュリティ面でよくわからない設定がされていて、かなり手こずった。ここに手伝いに来てくれているという人が、自分向けに設定したらしいのだが、あれって研究室の共用パソコンじゃないのか……??

10月20日
 ヨーロッパへの出発前夜。にもかかわらず他大学からインゼミのお誘いがあり、OB名簿のことともども4年幹事に丸投げしてしまう。荷造りだけでもかなり大変だというのに。

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10月下旬のブッコ(10/21〜10/31)

10月下旬は海外旅行中でした。『海外ぶっこ』をご参照下さい。
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