ぶっこ旬報
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2000年5月のブッコです。
この5月が、ブッコの活動の最後の1ヶ月となりました。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

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〜2000年〜


5月上旬のブッコ(5/1〜5/10)

5月1日
 午前中、大手情報サービス企業の面接へ。役員と差し向かいで面接を受ける。変な質問はなく、むしろこちらの話す気をうまく引きだしてくれる人だった。最後に今後のSE像について話をして、面接として美しい形で無事終わる。
 午後、情報サービス企業の最終面接。ヘンに時間があったので、お気に入りの麻布十番でも散策、と思ったら時間に遅れそうになる。
 社長が出てきてかなり焦った。話を始めて5分、今までの面接をなぞったような話をしただけなのに、社長さんの一言。
「では、一緒に働こう!」
 ……一体何!?と思っていたら、隣のオジサンが
「内内定、ということですよ。」
 ――あまりに突然で、実感のわかない内内定である。
 別室に移り、「入社承諾書」にサインと拇印。下にいろいろ書いてあるが、要は「他の会社に入りたいとか言っちゃダメですよ」みたいなことらしい。これのサインを断れば内内定はなくなるんだろう。
 普通、みんなこういうのを書いた上で内定をいくつかもらってるんだろう。とするとこの承諾書にサインしつつ辞退、というパターンはあるに違いない。まだ志望度で1、2を争う企業2社が選考途中で、ここで決めてしまうのはちょっと問題がある。とりあえずサインしたが、万が一辞退ということになったらどうなるんだろう??
 友人に聞いてみると、この書類は、正式に内定を出すことの出来る10月以降にならないと効力を発しないらしい。その学生が内内定を辞退できることはもちろん、逆に言えば会社側が一方的に内定を取り消すこともできるという。なるほど、数社も内定を取る人が出てくるわけである。
 ともあれ、2年間通じて初の内内定。私は社会人として全く役立たない、というわけではないようだ。  帰りに新宿に寄り、安くゲームを買ってくる。「ラングリッサー」というシミュレーションRPGで、しばらくはまる。

5月2日
 朝早くから大手情報サービス企業の説明会があったが、情報サービス企業に内定を頂いた以上、あまり魅力はない。むしろゲームをやっていた方が……。

5月3日
 また一日中、ゲームしかしない日を過ごす。新しいゲームを買うと、たいてい向こう3日はハマるのだ。連休中だからできることである。

5月4日
 午前4時すぎ、ゲームを終えて久々にメールチェックをする。一人のメール友達にメールを書いていたら、だんだん外が白み始めてきた。メールを送信し、寝る。
 午後、久々に友達の家に自転車で出かける。だいぶ外も暑くなってきて、自転車にはいい気候である。プレステとDDR専用マットを持ち込み、みんなで興じる。

5月5日
 先生から連絡があり、29日に4年生3人の卒論テーマ発表をすることに。
 近況を尋ねられ、「まだ某企業一つしか内定をもらってない」というと、残念そうな声が帰ってきた。確かに、知る人ぞ知る、的な小さな企業なので、そういう反応なのはしかたがない。

5月6日
 「ラングリッサー」の前半をクリアーしてしまう。もっとじっくりやれば長い間楽しめるのに、もったいないと言えばもったいない。
 で、早速後半部分を始める。このパターンでどんどん、ゲームに魂を吸い取られていくのだ……。

5月7日
 翌日に発表を控え、一日中面接対策。ゼミの内容よりもむしろ卒論に重点を置いたOHPを作り、プリントアウトする。プレゼン用のメモも用意して、これで間違いない。

5月8日
 大手情報サービス企業の面接、当日。電車の都合でかなり早めに到着する。そして待合室で、他の学生と会話しながら、時間になるのを待つ。控え室は椅子と机が階段状になってずらっと並び、前にスクリーンがある。もしやここでみんなの前でやるのか!?
 と思いきや、さすがにそうではなかった。別室で2人の社員を前に、OHPを使って説明。OHPは使い慣れてないし、ちょっとあがったせいで早口になってしまった。
 説明の後は、今度はごく普通の面接。ところが――あまりに学業の説明に重点を置きすぎたせいで、企業自身の研究をし損ねていた!今ひとつぴりっとしない受け答えをすることになった。残念でならない。

5月9日
 情報サービス企業の二次面接。今度もまた交通費が支給された。すばらしい会社だ!
 通されたのは窓から新宿の街の見える応接間。ソファがふわふわで、体勢を崩しそうになる。ここの企業の面接は、先に学生を通し、後から社員がやってくる。いわばお客さん的な扱いである。それだけ学生を「将来の社員」として重視してくれているのだろう。
 入ってきたオジサン2人は、ざっくばらんな人たちだった。私の話も丁寧に聞いてくれた。規模は中小だが、さすが大手企業を親会社と仰ぐだけあり、人事担当者のレベルも高い。面接はどこまでも和やかに進んだ。

5月10日
 午後、大手情報サービス企業の試験に臨む。
 一つのフロアに集められた学生たちには、会社が用意した名札が配られ、その裏には小さなシールが貼られていた。まず始めに、その場にいる人たちと話をすることで、自分の名札に張ってある色と同じ色のシールを貼られた人を捜せ、という。1対1で話をしろ、というのが原則である。
 そうして3つのグループができあがると、今度はグループ内で1対1で全員と話をして、お互いを理解しろ、という。一人との会話にかけられる時間は2,3分。大したことがわかるわけではないが、とりあえずうちとけることはできた。
 グループワークはそれからである。前にセミナーでやったこととほぼ同じことをするわけだが、今度は選考である――と言ってもたいていの場合、選考だということを忘れて盛り上がる。私ももちろん例外ではなかった。
 で、最後に反省会としてシートが配られ、誰の意見がどうだったとか、自分はどういう立場でどんなことが出来れば良かった、みたいなことを話す。今回のグループワークは収穫が大きかったので、いろいろと発言してみた。
 その帰り、またおなじグループの人とメールアドレスを交換しあった。名刺を作って置いて良かった……。

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5月中旬のブッコ(5/11〜5/20)

5月11日
 なんと、大手コンピュータメーカーから最終面接の案内が来た!!
 自信はなかったのだが、十分アピールできたようだ。やはり数多くの企業を受けることで、たくさんの企業を比較対照して考えられたことが、この結果につながったのだろう。

5月12日
 午後に2社回る。初めは情報サービス企業。
 しかし全くひどいものだった。自分の長所はリーダーシップだと答え、ゼミ幹事やサークル部長での経験などを話すと、
「あなたはリーダーシップとは何だと思っていますか?」
「それはリーダーシップとは言えないんじゃないんですか?」
 思い出すだけで嫌気がさす。別に私はあなたと「リーダーシップ論」をたたかわせにきたわけではないし、リーダーシップだけで企業に入ろうとも思っていない。あげくには
「あなたはサークルではうまくいかなかったが、ゼミでは反省を生かしてうまくやってきたとおっしゃった。サークルでうまくいかなかった以上、リーダーシップが長所だとは言えないんじゃないですか?」
これには困った。そこで
「いろいろ苦労しましたが、その苦労の分だけ、リーダー経験もなく過ごしてきた人間よりもずっと多くのことを経験しましたし、だからこそゼミでうまくやっていけたと思っていますが。」
と反抗した。
 この面接官の一言で、私はこの企業に愛想をつかした。大手企業はこんなしつこい食い下がり方はしてこなかった。それは学生の経験をそれなりに評価して考えてくれているからだと思う。
 2社目は、大手情報サービス企業である。面接ではなく「今後のことについてのお話」ということだったので、だいたいの内容は予想していたのだが……。そのとおり、内内定の通知だった。
 部屋には人事のオジサンが一人いて、面接がどうだったとかしばらく話をした後、内内定ということを言われた。オジサンは面接の際の「問診票」に書かれた言葉を読み上げてくれた。どれも学生にとって、最高の賛辞だった。2時間前の面接でひどい目にあっていたから、なおさらうれしい。オジサンは問診票を見せながら、
「こんなにいろいろ書いてある人はそういないよ。それだけ興味を持たれたっていうことだし、期待している、ということなんだよ。」
と言ってくれた。
 しかし、私は内内定を保留させてもらうことにした。まだ心を決めかねているところもある。最終的な返答を一週間以内にしてくれ、という条件もすんなり飲んだ。
「あんまり悩んでてもしかたないし、1週間あれば心は決まります。」
と返答したところ、
「いやぁ、私もそれを今言おうとしていたところなんだよ!」
と大いに喜んでくれた。
 その面会の間、オジサンは
「君は、相手に不快感を与えるところがないからいいね。」
「君ならこの後どこの会社受けても受かると思うよ。」
「今度是非、一緒に飲みたい。」
と、手放しで評価してくれた。さすがにここまでくるとどこまで本気かちょっとわからないが(あるいは私が間違った印象を相手に与えてしまったかも知れないが)、私を高く評価してくれていることは間違いなさそうだ。
 人使いが荒いとかいろいろ噂はあるが、ここで決めてしまってもいいかもしれない……。

5月13日
 大手コンピュータメーカーの説明会へ。実は2度目であるから、話されることはだいたいわかっている。
 しかし、困ったのは筆記試験である。SE系の職種の場合、試験は計数だけで、これがとにかく難しい。うっかり適当に答えてしまったが、失敗したかも知れない……。

5月14日
 大手総合電機メーカーの説明会へ。実はここも2度目である。説明会の後、ブースに移って1対1の面接。ただ、企業研究が失敗していて、うまく返答が出来なかったのが悔しい。

5月15日
 久々に大学に行き、友達にゼミの教科書を返す。うちのゼミは普段は3年の教科書をやっていて、4年は合宿に出て卒論発表をきちんとやればいい、ということになってしまっている。その友達にも今日のゼミに出るかどうか尋ねたところ、出ないで公務員試験の勉強を続けるという。他の人が出ないのではあまり面白くないので、私もさっさと帰ってしまった。

5月16日
 大手情報サービス企業から電話があって、個人面接に進んで欲しい、という。あのグループワーク、目立ったところが無かったのに、何が決め手になったんだろう?グループワークでは1グループで1,2人しか受からないという噂は本当なんだろうか?
 面接の予定は翌日の午前中で、幸い他社との競合もなかった。

5月17日
 午前中、大手情報サービス企業の面接。始めに控え室で「アンケート」と称するエントリーシートみたいなものを書かされ、それが面接でたたき台となる。今まで受けた企業とその経過まで記す必要があるのが厄介だ。
 相手は現場の人で、大半は既にどこかで聞いたことのある話だった。だが、メーカーでのSEとシステム専業の企業でのSEとの違いについて、興味深い話が得られた。これは別の企業の面接でも使えそうだ。帰り際、面接官に
「あなたが有能な方だということはよくわかったので、もし、他の企業さんから内定が出なければ、よろしくお願いします。」
と言われる。これはうまくいっただろう!
 午後、情報サービス企業の最終面接で幕張へ。時間がかなり余ったので、近くの川沿いの遊歩道を歩き、千葉マリンスタジアムまで歩いた。裏手には東京湾に面した砂浜。いい景色である。海は好きだから、こういうところで仕事ができるのはすばらしいかもしれない。
 控え室にしばらくとどまっていると、やはり交通費が出るという。ここまでの往復に2000円弱かかるので、とてもうれしい。
 初め、人事の人に呼ばれて面接会場に行ったら、まだ話が続いていた。そこにうっかり踏み込んでしまったんだからたまらない。かなり気まずい思いをしつつ控え室に戻り、人事の人にそのことを伝えたら、謝られて、もうしばらく待ってくれと言う。同じ部屋で待っていた学生2人と苦笑するしかない。
 しばらくすると、今度はオジサンがやってきた。
「次の人は、誰かな?」
 おそらく私だろうが、果たして人事の人を通さずに行っていいものかわからない。
「誰なのかちょっと……」
と尋ねてみると、私の名を言うではないか。やはりそうか、と立ち上がり、おじさんのあとについて面接室に入った。
 呼びに来たそのおじさん、実は副社長さんだった。居並んだ3人は人事の役員、社長、副社長とすごい肩書きばかり。しかし、さして変なことも聞いてくることなく、いつものとおり自前の職業観を発表してきた。そして最後に
「大手情報サービス企業さんの内定を保留してあるのも、今日が御社の最終面接で、今日の面接とその結果を心待ちにしておりました。」
と答えたところ、
「追って正式な通知は行くだろうけど、君にはこの場で内定出すから」
と言われた。
「君は幹部候補として期待している。一緒に働こう!」
 是非行きたいと思っていた企業の社長からのお言葉である。それだけ言われたら、うんと言うしかない。しかし、すぐに入社承諾書を書かせるようなことはしなかった。それはまた後日、ということらしい。その辺、この企業はなかなかうまいところがある。
 これですべて終わりかも……そう思った。

5月18日
 午前中に、大手情報サービス企業に電話を入れ、内内定を辞退する。
 午後、大手コンピュータメーカーの試験を受ける。事業内容や仕事内容も私の求めていたもので、社員の人柄も最高だった情報サービス企業に受かっているだけにどうか、とも思ったが、ダメモトでも受けるべきである。
 やはりいつもの通り、電車の都合で早く現地に着いてしまう。そこで早速、他の学生との情報交換。
 さて、試験の内容はグループワークだったが……すごかった。
 この企業について一般的な議論をするというのに、オタクのように情報を出すだけだったりする人がいない。誰もが自分で考えた建設的な意見を述べ、どの発言も「なるほど〜」と思える物ばかりである。議論の内容はどんどんハイレベルな段階に進んで行くが、決して着いていけない状態にはならない。私も他の人の意見に対して自分の意見を付け加え、どんどん議論に参加していった。みんなも私の話を聞いてくれるし、それがちゃんと議論のスパイラルの中に組み込まれていく。これほど面白い話になったのは初めてである。またもや選考のことを忘れ、すっかり楽しんでしまった。
 このグループワークから「選ばれし者」が現れ、この企業の社員となるのだ。この人たちと一緒なら、どんなにムリだと思える仕事もこなせてしまうだろう。
 たとえ結果がダメでも、こんなすばらしいグループワークが体験できたことをありがたく思えるだろう。

5月19日
 情報サービス企業へ、内内定辞退の電話を入れる。22日、その会社に行って直接交渉することになった。何を言われるかと思うと恐ろしいが、がんばっていこう。

5月20日
 情報サービス企業から、正式な内定通知の電話。内定承諾の旨を伝えると
「ありがとうございます〜」
と、こちらが恐縮してしまうぐらいのうれしそうな声で言われた。
 何でも、あの社長さんがすごく期待しているらしい。
 ともあれ、生き甲斐のある職場が見つかった。
 25日、入社承諾書を書くために企業に向かう。

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5月下旬のブッコ(5/21〜5/31)

5月21日
 翌日の交渉のことを考えると、食欲が無くなる。いつもの半分ぐらいの食事量で、一日を家ですごす。

5月22日
 情報サービス企業に正式なお断りをするべく、何度も通った企業の本社へ。
 まず、採用のトップの人に釈明。しばらく話すと、今度は以前に会ったSEの元締めの人が出てきて、ここでもまた釈明。するとSEの人が
「彼はもっと技術的なことをやろうと思っているから、うちの企業とは合わないでしょう。」
と言ってくれ、これが決定打となった。
 どのタイミングでも、社員は物静かで、変な脅しをかけられるようなことはなかった。入ってもいい、と思っていた会社なのだから、そんなにひどいことをするはずがないのだが、やはり怖いことにかわりはない。穏便に済んでよかった。

5月23日
 情報サービス企業の二次面接へ。情報サービス企業への就職はほぼ決めていたが、断りの電話がめんどくさくてそのままにしていたのだ。で、断ってない以上行くしかない。
 だから、面接もかなりいい加減な受け答えしかしなかった。
「何か質問ありますか?」の問いに
「特にありません」と即答したのは、さすがにまずかった。これではやる気ないのがあからさますぎる。
 26日には某メーカーの面接が予定してあった。しかしこのやる気のなさでは意味がない。もうすべて終わりにしよう……そう思って家に帰って、いつものようにメールボックスを開けた。すると――驚くべき物が入っていた。
 なんと、あの大手情報サービス企業の内定通知ではないか!!心配になってメールの出所を調べてみたが、明らかに大手企業から来た物である。ニセモノではない!まさかあの企業に受かるとは!!
 情報サービス企業にも、未練はあった。居心地はいいだろうし、幹部候補として、大失敗さえしなければ出世は間違いないかも知れない。しかし、企業の規模はケタ違いで、カバーする範囲も圧倒的、ブランド名も最高である。何よりもあのグループワークの中から私を選んでくれたことがうれしい。
 こうして私は、企業に入社を決め、早速入社希望の返信メールを送った。
 全30社、内定4つ、希望職種はすべてSE……私の2年目の、活動の成果である。

5月24日
 半日がかりで、部屋を掃除する。就職活動の書類を全部捨て、部屋はだいぶ広くなった。
 大手情報サービス企業に受かったことが夢のようで、何度もメールを見返してしまう。この日の午後には「返信メール受領しました」というメールが企業から届いた。それも簡単に調べてみたが、間違いなく企業から出ていた。
 情報サービス企業には、この日の朝に辞退の電話をかけた。正直にその旨を伝えると、
「ほんとう、残念です〜」
といかにも残念そうな、しかしヘンに深刻でもない声。食い下がられたらどうしよう、と気をもんでいたが、杞憂に終わった。やはり情報サービス企業はすばらしい企業だ。その企業の内内定を蹴ることは悲しい限りだが、その分メーカーで活躍しよう!!

5月25日
学校に行き、授業を受ける。久々の授業はやはり面白い。あと半年の学生生活、やれることは全部やっていこう。

5月26日
 友達の家に、新しく買ったというパソコンの設定をいじりにいく。しかし友達の目的は別のことにあった――私が持ち込む「信長の野望」をやるためだ。午後3時から初めて、終わったのは翌日朝10時。夜中には少しおなかが空いたと言って、夜中も開いている側のラーメン屋でラーメンを食べた。中国人の手による店で、麺もコシがあり、チャーシューも程良く脂が乗り、ワカメも新鮮で、スープも風味がよくダシがよくでていて、平然と全部飲めてしまった――いつもラーメンのスープはしょっぱくて全部飲めないのだ。こんな近くにこれだけおいしいラーメン屋があるというのはうらやましい。
 朝4時〜5時ごろはお互いかなりグロッキーな状態になっていたが、なんだかんだと続けてしまった。そうして友達が「ギブアップ」を宣言したのが10時だったのである。

5月27日
 家に戻ったころにはふらふらで、すぐにベッドに入って寝てしまった。しかしとにかく暑い日で、何度も暑さに目が覚めては寝入る、ということを繰り返した。
 そのせいか、夜の8時に起きてから頭痛がひどい。失敗したな、と思ったが、風呂に入ったらすっきりした。

5月28日
 「ぶっこ旬報」の原稿書きに一日を費やす。今回は半分就職体験記である。3ヶ月分の記事すべてを仕上げるのは骨を折った。企業名は初めは出したまま書いていたが、最終的には置換機能を使って伏せた。学内の就職体験記ならともかく、世界にオープンに開かれてしまっているホームページに実名は乗せられない。「企業」は永久に「企業」である。卒業後、プロフィール欄は「某企業勤務」になるだろう。

5月29日
 何カ月ぶりかのチャットを楽しむ。初めての場所で慣れていないから、なかなか厄介だ。
 久々にゼミに出る。4年の卒論発表が行われた後、コンパ。会計処理も4年幹事・3年幹事が一緒になって処理していたし、今年の3年はノリがよく、ノリのいい4年の副幹事と一緒に束になって2次会に行ってくれた。私は乗り遅れた格好になったが、飲めない私は全員が強制的に飲まされる形になるタイプの飲みは好きでない。やりたい者同士が勝手にやってくれると助かる。どうやらゼミの方は無事幹事・副幹事の役割を継承できたようだ。ヘンに手を下さず、ガイドラインだけ指示して自由裁量に任せる、というのが後継者の育成にはいいようだ。

5月30日
 ひさびさにチャットをやる。今までとは別のチャットルームへ。感覚がなかなかつかめず、苦労した。広いインターネット、「あらし」の出没はやむを得ないだろう。しかし、もう少し表現に趣向を凝らすよう、日々精進して欲しい、と思う。

5月31日
 ようやく、NOVAにコンスタントに出られるようになった。
 英会話は間隔を開けると大変なことになる。明らかに退化しているのが自分でもはっきりとわかる。なんとか元の水準に戻さないと……

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