ぶっこ旬報
のページでございます

2000年1月のブッコです。

下へ進むほど、新しい旬間・日付の記述となっています。

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〜2000年〜


1月上旬のブッコ(1/1〜1/10)

1月1日
 2000年問題は何事もなく過ぎる。元旦はポケビの歌声でスタート。ブッコ学会メンバー2名が学会掲示板を訪れる。2人とも2000年問題を無視して、十数秒差で書き込んできた。翌朝、日の出を見るためムリして朝7時前に起きるが、家からは見えず。小学校辺りまで行けば見えると思ったが、気力が無くなり家に戻り、二度寝する。
 昼からは地元の神社に初詣の後、横浜の中華街に出かける。運転はもちろん私。行きは一般道を利用し、2時間かけて横浜へ。幸い道は空いていた。関帝廟へお参りし、その後中華料理店でフカヒレの姿煮を食べる。いままでにない厚さに感動。帰りは第三京浜・環状八号を利用。

1月2日
 前日の夜の夢がすごかった。夏の南国の白い砂浜で、女の子と遊ぶ夢。目が覚めてからもその余韻が残っていてしばらくほーっとしていたが、ふと我に返った瞬間が悲しい。
 ゲーム、メールなどをして一日を過ごす。結局卒論には手を着けない。

1月3日
 毎年恒例、赤坂の神社に行ってお参り。演奏会で着た、紺のスーツにクリームのシャツに紺無地のネクタイ。結構気に入っている。
 おみくじは吉。要約すれば「さっさとやることやれ」。ぐさりとくる一言。絵馬に「内定&彼女できますように」というとんでもないお願いを書いて奉納。しかし、ここは両親が結婚前から毎年通っている神社で、縁結びの効能があったと言っても過言ではない。二代続けてお世話になる。ばちはあたらないだろう。

1月4日
 口内炎が悪化、ひどい状態になる。さらに原因不明の頭痛で寝込む。

1月5日
 頭痛の中、昼に頑張ってNOVAに行く。前日3時までにキャンセルしないと、ポイントを消費してしまうからもったいない。そんな時に限って他に生徒がいなくてマンツーマン授業。結構辛い。
 頭痛薬が効いたのか、NOVAから帰ってきてから調子がよく、翌朝5時までひたすらレポート書き。

1月6日
 ゼミ合宿初日。なのにレポートができたのはこの日の午前4時半。図表のコピーのためコンビニに出かけ、ついでにいちごヨーグルトのゼリーを買ってくる。それを食べながら図表を紙にレイアウト、本文を印刷する。寝たのは午前5時過ぎ。
10時には起き、12時には合宿へ出発。まずは駅のコンビニでレポートをゼミの人数分印刷。京王線北野駅で下車。ここからバスで、宿泊地となる大学セミナーハウスへと向かう。
バス停で3年のゼミ生2人と出会う。やってきたバスには、八王子から来たゼミ生数人が乗り込んでいた。4年のゼミ生と話しながら、セミナーハウスへ向かう。山の中の、相変わらず何もない場所である。
 まず本館の一階ロビーへと集まる。集合時間は午後2時で、30分ほど余裕を持って到着。4年ゼミ生の一人から遅刻の連絡。風邪をひいたらしいが、来るという。
 15分前ぐらいに先生が見えて、みんなで宿泊先となる「記念館」へと移動。一階(といっても坂の上に立っているので半分地下のようなもの)のセミナー室で、泊まる部屋の場所やら、事務的な話から始まる。2時少し前に、未着だった4年のゼミ生が到着。
 この日は夕食前に2人、夕食後に2人発表をし、終えたのは11時。折角重い思いをして持ってきた麻雀パイを使おうと、麻雀好きのゼミ生に見せ、自分もほんの少しだけ混ざる。ビリになったが、これなら抜けてもそうひどく文句は言われない。翌日朝の自分の発表に備えて寝ようとするが、結局ろくに眠れずに朝を迎える。

1月7日
 神経がぴりぴりした状態で発表に臨む。自分の前の、地方税の発表がすばらしく、国税をやる私としてはかなり困った展開となる。
 激しい緊張の中、若干舞い上がり気味で発表を終える。さほどきつい質問もなく、先生もあまり多くを語らなかった。語れば壊滅すると知っていての温情、とも取れる。「あと2週間というけど、もう1年残る人は、あと1年と2週間やるというのも、歓迎するよ」というコメントがそれを雄弁に語っている……。
 緊張が取れるとあとの発表はのんびり聞ける。この日は朝2人、昼3人、夜1人ですべての発表が終了。この間、3年ゼミ幹事と二人で宿泊費の会計処理をする。貧相な食事・設備の割に高いのがここの特徴である。
 夕食後に3年のゼミ生に酒を調達しに行ってもらっていて、発表の終わった9時から飲み会。幹事の役目を無視していつもの倍のペースで飲み、案の定かなりいい感じになる。臆面もなくオタクな話をする。
 11時に飲み会が終わり、後かたづけをする。一部のゼミ生がさらに飲みを続けていたが、私は4年3人と3年1人が集まる部屋へ向かい、コミケで買ってきた本をネタに話をする。そんなこんなで2時間話し、午前2時に床につく。アルコールによる頭痛が始まっていた。
1月8日
 8時前に携帯のアラームですんなり起床。私は枕が変わると早起きが出来る、というおかしな性質を持っている。着替えと身支度をすませ、隣で寝ているゼミ生を起こす。彼は確か飲み部屋に泊まっていた。おそらくその部屋では寝られないから、と我が「寝部屋」にやってきたのだろう。おそるおそる声をかけると、意外とすんなり目覚めてくれた。
 朝食後、全員の鍵を集めて解散。用事のため朝食をとらず先に帰った2人の鍵も見つかり、幹事の仕事も終了、解散する。
 私はそのまま、新百合ヶ丘に住むブッコ学会メンバーの家を訪ね、ゲームをして過ごす。ところがこの帰り道から体調が悪化し、ほうほうのていで家に帰り着く。

1月9日
 翌朝目覚めると、身を起こせないほどのだるさ。体温を測ると、37度半ばまでの熱。滅多に熱を出さない私には厳しい。結局午後まで動けず、それから病院へ。幸い主治医の医院が休日診療の当番だった。抗生物質などいくつか薬を貰い、帰宅。この日は一日寝て過ごす。

1月10日
 夕方には熱もひき、だいぶよくなった。長い間書いていなかったメールに着手する。

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1月中旬のブッコ(1/11〜1/20)

1月11日
 高熱で目が覚める。計ってみると38度を越えている。38度を突破したのは今まで1度か2度ぐらいしか経験がない。この段階まで来るとだるいとかいう段階ではなく、体そのものが動かなくなる。高熱に体が慣れてくるまでは何一つ出来なかった。結局、この日もぐったりと一日を過ごす。

1月12日
 熱はまだ引かない。37度台まで落ちたので、体は動く。どうやら喉に巣くうカゼで、うがいが効くらしい。

1月13日
 熱はひいたものの喉がまだ辛いので、医者に行って薬をもらってくる。この日も結局何も出来ずに一日を終える。
 ホームページの読者様から感想のメールを頂く。

1月14日
 友人から電話があり、「パソコンのリインストールに手間取っているから手伝って欲しい」といわれ、手伝うが、これまで何をどういじくってどういう状態にあるのかよくわからず、要領を得ない。それも5回も。毎回、そのうちに自分でなんとかしてしまったらしく、それなら電話する意味が無かったのではないか?とも思えてくる。カゼの病み上がりの体には厳しかった。
 もう一人は、トーク自体に要領の得ない男。三段論法の誤りを絶対に認めようとせず、飛躍した話を持ち出す。かつ毎回同じ事しか言わない。それでもってしょっちゅう電話してくるから、いいかげん飽きてくる。最近はそんな彼の飛躍したよくわからない発言をけなす会話しかしなくなってきた。

1月15日
 ブッコ学会メンバーでいくつかメールのやりとり。卒論は少しだけ、手を着ける。

1月16日
 読者様の感想を元に「ブッコ学的恋愛感情論」に記事をアップ。

1月17日
 教授が卒論の書き方についてお話ししてくださると言うことで行ってみたが、よく考えたら教授は3年ゼミの最中でいらっしゃるわけがない。教授の”付き人”のように活躍しているゼミ生がやってきて、なんでも研究室の卒論を見ていけ、ということらしい。集まったゼミ生でいろんな論文を読んでみる。一つ上の「エース」の先輩の卒論を参考にして、レイアウトなどの要点をメモしたり、親しい先輩の卒論を見てみたりする。
 教授がいらっしゃるまで待っていよう、と5時すぎまで研究室に残ったのは5人。そのままみんなで駅前の「ロージナ茶房」という喫茶店でお茶。途上、教授とコンピュータやインターネットの話をする。気さくで優しい教授だが(学問については厳しい)、やはり畏怖の感情は拭えず、緊張してしまった。
 喫茶店では、久しぶりにバナナパフェを食べる。これがまた長めに切られたバナナがつきたってて、やたら目立ってしまった。それをいそいそと食べてたら、隣にいたゼミ生に「なんかすごく幸せそうに食べてるな」と指摘された。パフェは好きなのだが、なかなか食べる機会がない。久々のパフェで、しかもアイスの状態がほどよく、すごくおいしかったのだ。まさに至福のひとときである。
 喫茶店でしばらく、ゼミ生で話をして、教授が先に帰ってからもしばらく話してから解散。携帯をパソコンルームに置き忘れてきたことに気がついた僕は、あわてて取りに行ったが、無事見つかった。特にいたずらもされていないようすで、ほっとした。
 この日から、ゼミ生の一人が「無実龍進」のペンネームで、動物占いについての”論文”を、週1ペースで送信し始める。興味深い内容で非常に面白い。

1月18日
 風邪のあと、久々にNOVAに復帰する。幸い会話の技術は衰えていなかった。

1月19日
 霧雨の降る、寒い一日。学校でばったり教授に会う。気さくに声をかけられて、やっぱりなんとなく、焦ってしまう。 
 野村証券ホームページの「バーチャル株式投資倶楽部」に登録。NOVAとスクウェアの株に買い注文を出す。

1月20日
 卒論に着手、調子があがってきたのでがんがん書き進めたら、肩がすっかり痛くなってしまった。

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1月下旬のブッコ(1/21〜1/31)

1月21日
 授業を全部潰して卒論に取り組むが、生産性はすこぶるよくない。

1月22日
 一日卒論を書く予定だったのだが、あまりはかどらない。休憩にと1階に下り、何となくNHKの大河ドラマとスキージャンプにはまってしまう。結局あまりはかどらずに終わる。

1月23日
 半年ぶりに床屋に行く。丁度いい長さと形にまとまり、満足する。なんとカードのスタンプがたまったということで、景品のシャンプーを一びんもらった。10年近く通い続けてようやくだから、効率は決してよくないのだが、うれしいものがある。これまで首筋を保護していた髪がなくなったので、少し寒い。
 その後新宿へ足を運び、ヨドバシカメラに行く途中、伊勢の名菓「赤福」入りの高島屋の袋を提げた人を発見。ヨドバシカメラをちょっと覗いてから、すぐに南口の高島屋へ。この「赤福」、非常においしいあんころもちなのだが、東京圏では物産展以外に手に入れるすべはない。1箱は自分のものにするつもりで、2箱購入。

1月24日
 一日で12個入りの「赤福」1箱が消滅する。原因は私が食べ過ぎたからである。2箱目を、家族用に解放する。
 無実龍進著の論文の2番目が届く。ゼミ内の人間関係を元に研究してあるためわかりやすい。

1月25日
 ともかく冷え込みの厳しい一日。昼に起き、学校に行かずにひたすら卒論書き、という日々がここ連日続いている。基本的に以前のレポートを編集しまとめ直すだけの作業だが、文章として体裁がいいように編集するのはもちろん、あやふやな部分の穴埋めがまた大変である。

1月26日
 ハッカーが官庁のホームページに侵入し、ページを破壊したとのニュース。よりによって私が参考にしていたページである。幸いデータはハードディスクに収めていたからいいものの、そうでなければ卒論自体が危なかった。

1月27日
 どうしても必要な図表を得るために、地元の図書館に足を運ぶ。そこで見つかった、有用な参考文献の数々。なぜいままでこれらの本を目当てにしなかったのか不思議なほど。早速借りていく。
 というより、この段階でまだ書き上がっていないというのは大問題である。もっとも、しっかり製本しなくても、当日にできる「簡易製本」でだせばいいということで、まだ間に合う。
 夜12時過ぎ、後輩から電話。なんでも最終電車で乗り過ごし、自宅から20キロ近く先の場所まで連れて行かれたという。地図もなく途方に暮れ、電話を寄越したのだという。とりあえず近くの国道を教え、その道を東京方面に進め、と教えた。しかし、地図を見る限りこの辺りには何も無さそうだ。
 この日、東京の最低気温は今シーズン初の氷点下を記録した。

1月28日
 幸い、後輩は無事帰り着いたらしく、元気そうな声で電話があった。学校で試験日程の確認をしてみたら、なんと3,4つのテストをうけはぐれていたことが発覚。もはやどうにもならないが、単位を取ったところで留年するのだからあまり関係がない。もはや悩まないことにした。

1月29日
 実はTOEIC前日。しかしながら卒論提出期限2日前。当然ながら卒論を優先。一度だけ、2時間の模擬テストを一通りやってみたが、結果がさんざん。自信のあった聞き取りが不振で、愕然とする。
 この日、ブッコ学会の友人から電話。「統計学はわかるか」というので、「それなりにやったから多少は自信ある」と答えると、「ちょっと待ってて」という言葉の後、電話口に出たのは女性。友人のいとこで彼と同じ大学の同じ学部で、経済をやっているという。統計学でわからないところがあるので、教えて欲しいという。僕も自分の教科書をめくりながら話していった。幸い、私の話は助けになったようで、彼女は解決の糸口をつかんだようだった。

1月30日
 TOEICテスト当日。会場は亜細亜大学。近いので自転車で向かう。
リスニングは、予想以上に簡単な内容だった。というより、前日に解いた問題が難しすぎただけだった。自分では自信のある解答をでき、満足する。
 リーディングでは、時間配分を大きくミスする。最初の穴埋め・誤文訂正に時間をかけすぎ、長文読解の時間が限りなく少なくなってしまった。最後の2題、5問分はほとんど当てずっぽうにマークした。
 帰宅後、前日の友人から電話。いとこの女性が出て、ある問題の解答についての意見を聞きたいという。一通り聞いて、恐らくそれでいいのではないか、との結論を出し、さらに少し捕捉する。
彼女の声は明るく、どうやら多少の助けにはなったようだ。

1月31日
 午前4時半、ついに卒論が完成する。10時まで睡眠をとり、学校へ。実は午後最初にテストがある。教科書持ち込み可の、まさに「お買い得」授業である。これを受けない手はない。教科書もほとんど読まず、授業も全く出てない割にそれなりの答案を完成させる。
 その後、卒論の図表を切り張りしてあるページをあらためてコピーし、その後生協で「簡易製本」を行う。要は薄い紙の表紙の後ろに、熱で溶けるノリがついていて、機械に押し込むと1分ぐらいで中の論文ごと接着してしまうのである。生協で出会ったゼミ生と共に、研究室へ向かう。
 研究室に集まったゼミ生の論文をお互い読みながら、2時間ほど雑談。情報処理センターに行って少しパソコンをいじってから、家路につく。
 友人から、携帯に電話がかかってきた。なんでも、統計学のテストは僕が質問に答えた部分は出なかったらしい。ただ、出されたらまずいというところを補強したのだ、という。続いていとこの女性が現れ、もっと簡単な部分が出たのだ、という。直接的には効果は薄かったが、それなりに役だったらしい。よかった。

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