――――― 壱 其の二 ――――― |
鍛錬といっても、ひたすら組み手をして技術を磨いていくようなものではありません。清華たちが行う鍛錬というのは、主に気持ちを落ち着けて集中し、仙骨の覚醒を促すもので、毎日の鍛錬の最後に整理運動的な意味で組み手を行うのみです。ですから今も、清華と春麗は目を閉じてひたすらに瞑想しています。香茜はその脇で、かなり緊張して様子で正座しています。 道場に青峰が入ってきました。清華と春麗の邪魔にならないよう、気配はもちろん消しています。青峰は静かに二人の前に腰を下ろし、二人を見守ります。師匠としての青峰の役割は、こうして二人の仙骨の覚醒を見届け、現在は自らが目録を持っている六花乙流の後継者を見極めることです。 あ、六花流についてはまだご説明していませんでしたね。六花流は、正式には六花流神武術といって、本来は異質のものである神術と仙術を、ある特殊な要素によって融合させた武術です。二十八代目の時代に、その才を二人の男女が継承したことから、以来甲流と乙流に分かれました。甲流は男子が、乙流派女子が継承するのが慣わしになっていまして、清華と春麗は乙竜の継承者候補なのです。そして、実は清華の義弟である蒼俊も、甲流の継承者候補なのです。 神術と仙術を結びつける要素というのは遺伝的なものではありませんので、六花流は発端以来単一家系で継承されてきたわけではありません。その要素を秘めてさえいれば、全く別の家の者でも六花流の継承者候補になります。また、六花流の語源は文字通り「六つの花」でして、桜、菊、蘭、梅、椿、藤を指しています。流派を継承したものの体には、継承した才に応じていくつかの花の印が体に刻まれます。現在の乙流の師範である青峰の体には、桜と蘭、それに藤の印があります。術を行使しようとするとき、その印は目に見える形で体の表面に浮き出てくるのです。残る三つの印、すなわち菊、梅、椿の印は、現在の甲流の師範で蒼俊の師匠である東老師が持っています。今頃は、蒼俊も午後の鍛錬の真っ最中でしょう。 鍛錬が始まってずいぶん時間がたちましたが、清華と春麗は相変わらず瞑想を続けていますし、青峰はそれを見据えているだけ。香茜も背筋を伸ばして、緊張した面持ちで見ています。先ほど、この瞑想は仙骨の覚醒を促すものである、とご説明しました。実はここ最近、清華の持つ仙骨が急速に覚醒に向かい始めていまして、そのために清華の仙気の波動といいますか、そういったものが清華の周囲に渦巻いているのです。香茜もそれを見て緊張しているのでしょう。また、清華の発する気の流れは、すぐ隣で瞑想している春麗も当然感じているはずですが、春麗は自分のペースを守って、決してあせることなくじっくりと仙骨を覚醒させていきます。青峰はこの清華の変化を喜ばしく思っているようで、このままいけば乙流の目録を継承する日もそう遠い話ではないと考えているようです。 香茜が立ち上がりました。気配を消し、音を立てずに道場の入り口のほうへと向っていきます。そのまま道場を出て少し歩き、さまざまな花々が咲き乱れる花壇の前まで来ました。 「―――っぷはぁ!」 ため息・・・・というよりは、ようやく呼吸ができたという様子で大きくひとつ息をつきます。長い間張り詰めた空気の中にいたので疲れてしまったのでしょう。まだ幼い香茜のこと、こういった雰囲気には慣れていないのです。 「はぁ・・・・健康によくないなぁ・・・・」 仙人というものはそう簡単に病気になったり体調を崩したりはしないのですが、おそらく感覚的なものでしょう。仙人にも「心労」というのはあるのです。 「清華姉さま、最近すごいなぁ。あたしなんか、あの場にいるだけでこれだもんなぁ。はああ・・・・どうしよう・・・・」 香茜は、自分が修行をはじめて今の清華のような状況になったときに、果たして平常心を保っていられるか、ということを危惧しているのです。これが清華であったら、自分が修行を始めるころにはきちんとできるようになっているだろう、というように楽観的に見ることもできるでしょう。現に清華はそうしてきたのです。ですが、あいにく香茜はそういう性格ではありません。よく言えば慎重、悪く言えば臆病なのです。 「そんなところで、何をしているの?」 「あ、おば・・・・師匠・・・・」 おばさま、と言いかけて、香茜は改めました。清華たちの修行を見るのと同じように、心の準備をしておこうと考えているのです。青峰はそんな香茜の考えを知りつつ、小さく笑みを浮かべて声をかけます。 「おばさま、でいいわよ。あなたはまだ春麗や清華とは違うんだから」 「はい・・・・」 「どうしたの?元気ないみたいだけど」 「あの・・・・」 香茜はうつむいてしまいました。口にするのが恥ずかしいのでしょう。青峰はそれを見て、息をひとつついてから言いました。 「そういうことね」 「えっ・・・・」 「いいこと?清華だって、ちょっとやそっとの修行であそこまで上達したわけじゃないのよ?それは誰だって同じ。あなただって、たくさんの修行を積んで清華たちみたいになっていくの。今から落ち込むことなんてないわ」 青峰は、将来の師匠としてではなく、姪にとっての伯母として、優しく香茜を諭します。香茜も、それによっていくらか気が楽になったようです。 「わかりました。前進あるのみ、ということですね。それよりおばさま・・・・」 「ん?なあに?」 「清華姉さまたちは?見ていなくてもいいんですか?」 「大丈夫よ。もうそろそろはじまるころね」 「え?なにがで・・・・」 「やぁっ!!」 道場のほうから、なにやら叫び声が聞こえてきました。鍛錬の仕上げ、組み手が始まったようです。ちなみに今のは清華の声です。春麗はこんなに大声を張り上げることはめったにありません。 「行きましょう。あなたもしっかり見ておきなさい」 「は・・・・はい!」 香茜は小走りで道場へと向かいます。青峰もゆっくりとあとについていきます。道場からは、清華の元気な声と打撃音が入り混じって聞こえてきています。 「あなたたちに、話があります」 そう言って、青峰は清華と春麗を自分の前に座らせました。真剣な表情です。二人とも、何と話しに嫌な予感を感じます。 「玄圃の丘の向こうに、私が立てた青銅の板があるのは知ってますね」 すなわち、午前中に清華が風の球を打ち付けた板のことです。あの地域一帯は「玄圃」と呼ばれる仙界有数の花園で、四季を通じて色とりどりの花々が咲き乱れています。 「その青銅版に施した結界の強度が、最近めまぐるしく変化しています」 清華と春麗がそろって、えっ、と驚きの声をあげます。 「あれって、師匠が変えてるんじゃないんですか!?」 青峰は首を振ります。 「いいえ 、違うわ。何者かによって操作されているの。大きな変化を続けると、結界事態の安定性が失われて、結界が破られることになります」 清華は、ギクリ、となりました。おそるおそる青峰にたずねます。 「あの・・・・師匠?私、だいぶ前からあそこで鍛錬してるんですけど・・・・」 「そのことは存じています。青銅版を標的にしていたことも。ですけど、そのことは今回は関係ありません。安心しなさい」 清華は、ホッ、と胸をなでおろしました。隣で、春麗も安心したような様子です。いつも清華の鍛錬に付き合っている手前、気が気ではなかったのでしょう。 「それで師匠、私たちにお話とは何ですか?」 春麗の問いに、青峰は一呼吸おいて答えました。 「あなたたちに、人界へ向かってもらいたいのです」 「ええ!?」 「今回の件に関して仙界上層部は、仙界以外の外界に原因がある可能性も考えているようです。これほど強大な変化を外界から及ぼすのは、高度に仙骨が覚醒した人間、あるいはそれに順ずる物である可能性もあるということですね」 「でも、どうして私たちに?」 青峰は再び間を取りました。そして、続けます。 「西王母様直々のご指名だそうですよ」 今日何度目かの、そして今日一番に驚きを、清華と春麗が見せます。それはそうでしょう。西王母といえば、仙界の西半分の統治者にして女仙と道姑の長です。清華たちにとっても、最も尊敬すべき存在なのですから。 「どうして西王母様が私たちのことを・・・・?」 「どうしてかは私は存じません。ですが、西王母様はあなたたちに一目置いておられる、ということです。 二人は、はぁ、と生返事をしてしまいます。あまりに衝撃的なことを言われたので、まだ落ち着きを取り戻しきっていないのです。 「詳しい任務については、後日西王母様から直接伝達があります。そのときは宮殿に赴くことになりますから、心の準備をしっかりしておきなさい」 「はい・・・・わかりました・・・・」 「わかりました・・・・」 二人とも、青峰の言葉をちゃんと聴いているのでしょうか。なんだかぼーっとして、心ここにあらずといった様子ですが。 「話は以上です。午後の鍛錬も終わりましたから、あとは夕食までゆっくりしていなさい」 そう言って、青峰は道場をあとにしました。清華と春麗だけがぽつんと残されます。そして、春麗が先に口を開きました。 「人界・・・・だって」 「人界・・・・みたいだね」 「どんなところなんだろ・・・・」 「どんなところだろうね・・・・」 「清華ぁ・・・・」 「なに?春麗」 「怖い?」 「まさか。むしろすごく興味がある。ワクワクするよ」 「私も。一度でいいから、仙界の外に出てみたかったんだ」 ようやく落ち着いてきたと思ったら、今度ははしゃぎ始めました。やはり、まだまだ子供のようです。好奇心旺盛というか、危険を知らないというか。なんいせよ、活発なのはいいことです。 こうして清華と春麗は人界へ向かうことになりました。ですが、この話にはもうひと仕掛けあったのです。けど、それはまた別の話。西王母に会うために宮殿へ赴く日が、刻一刻と近づいています。 |
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