――――― 壱 其の一 ―――――
 
 古代、中国では、自然界のすべてのものには神が宿っていると信じられていました。数多の神々がそれぞれの力を調整しあい、世界を形作っていると信じられていたのです。その神々のすむ世界を『神界』と呼び、また、人間たちの住む世界を『人界』と呼びます。
 この、神界と人界の間にもうひとつの世界がありました。選任たちの暮らす世界、『仙界』です。仙界は、崑崙山を中心とした世界で、仙界の東半分を治める東王公、崑崙山の頂上に暮らし、仙界の西半分を統治する西王母、同じく中腹に暮らす元始天尊、仙界最高位の仙人である太上老君の四人によって統治されています。
 仙人は、厳密には「仙骨が覚醒した人間」でして、ようするに「人ならざる人」と解釈できます。ですから、人界で生まれた人間でも、その体内に仙骨が秘められていれば、修行しだいで仙人になることができます。もっとも、仙骨の覚醒は本人の深層意識に大いに影響されるので、大抵の人間は自らに仙骨が備わっていることを知らずに一生を終えるのですが。
 仙人は性別によって「男仙」「女仙」と区別されていて、
「ただいまー!」
 おや、清華が帰ってきたようです。春麗も一緒です。ちなみに、ここは清華と春麗が神術を習っている道場でして、二人の師匠である青峰がとりしきっています。食卓に並べられた昼食も、すべて青峰がこしらえたものです。
「おかえりなさい、清華姉さま!」
「あ、ただいま香茜。待ってて、着替えてくるから」
「はあい」
 この香茜という娘は青峰の妹の娘で、青峰にとっては姪に、春麗にとってはいとこに当たります。あ、申し遅れましたが、春麗は青峰の実の娘です。ところがこの香茜、春麗よりも清華になついているのです。それがどうしてなのかはわかりませんが、清華は清華で、香茜を妹のようにかわいがっています。春麗もそのことを気にする風でもなく普通に接しています。
「お待たせ。さ、食べよ!」
清華が食卓につきます。すでに春麗と香茜は食卓についていたので、三人で食膳の行を唱えて食事を始めます。
 では、清華たちが食事を取っている間に、仙界での食習慣についてお話しましょう。仙人というのは、本来食事をとりません。と言うのも、仙骨が覚醒すると、人間が本来持っている「生きるための本能」の大部分が欠如するのです。ですから仙人は食事もとらないし、特別な場合を除いて睡眠もとりません。今も、食事をこしらえた当人である青峰は食事をとっていませんが、彼女は女仙として立派に仙骨が覚醒しているがゆえに、食事を必要としないのです。
 では、清華たちは女仙ではないのか、と言うと、それは正解でも間違いでもありません。正確には、清華たちは女仙見習い、これを道姑と呼びます。道姑は、仙骨がまだ覚醒しきっていない状態ですので、食事もとるし睡眠もします。道姑は多くの修行を積んで女仙となり、そうなると食事が必要なくなるのです。清華と春麗は今修行の真っ最中。だんだん仙骨が覚醒に向かっているのですが、香茜はまだ幼いので修行を始めていません。なので、
「ごちそうさま!香茜、先行ってるよ!」
「ああっ!清華姉さま、もう少し待ってくださいよぉ」
こういうことが起こるのです。清華と春麗は香茜ほど食事の量が多くないので、香茜はいつも置いてけぼりなのです。
「ごっ、ごちそうさまでした!」
香茜もようやく食事を終えたようです。食器をもって台所へ片付けに行きます。これから清華と春麗の午後の鍛練がはじまるのですが、香茜はいつもその傍らで見学しているのです。香茜もいずれは修行をはじめるのですから、今からその準備をしようと
「清華!いるか!?」
うーむ、どうも今日は話を中断させられることが多いようです。今駆け込んできたこの少年は、名を蒼俊といいまして、清華の義理の弟にあたります。詳しいことはあとでご説明しますが、この蒼俊、とにかく突っ走るタイプでして、何かと清華に突っかかってくるのです。ですが、そのたびに清華に負けているものですから、
「また来たの?勝てないんだから、いい加減にあきらめたら?」
「っるさいな!俺はお前にだけは勝ちたいんだよ!」
「なにをそんなにこだわってるんだか。でも今日はだめ。これからもう鍛錬が始まるんだから」
「少しくらい時間あるだろ。それとも何か?俺と戦うのが嫌なのか?」
「ああ、それはあるわね。あんたと戦っても面白くないから」
「あんだと〜?言わせておけばっ!」
蒼俊がいきなり清華に向かっていきます。蒼俊も多少修行を積んだ身、そのこなしは並の人間をたやすく凌駕します。ですが、今の相手は清華です。こちらも並の人間ではないのですから、結果がいつものとおりになるのは目に見えています。
「蒼俊?いたの?」
「ぎゃあっ!」
食器を片付け終えた香茜が顔を出した途端、蒼俊が前につんのめりました。ちなみに、清華は指一本触れていません。触れていないどころか、全く動かしてもいません。蒼俊はゆっくりと立ち上がります。
「香茜!いきなり声かけたりするなよ!おどろくじゃないか!」
「えっ・・・・あっ・・・・ごめん。私、そんなつもりじゃ・・・・」
香茜の表情が見る見るうちに曇っていきます。今にも泣き出しそうです。
「あっ・・・・いや・・・・あの・・・・い、いいんだけどさ、その・・・・ごめん・・・・」
おや?蒼俊の頬が赤くなっています。場にしばらくの沈黙が流れました。
「きょっ・・・・今日のところは勝負は預けるっ!次に会ったときは絶対ぶっ倒してやるからな!」
清華をにらみつけてそう言うと、蒼俊は出て行ってしまいました。これではいったい何をしにきたのかわかりません。
「なーにが勝負がお預け、よ。そっちがふっかけてきたくせに」
「清華、そろそろ行こう。師匠が待ってるよ」
「そうだね。あんなやつのことなんか、この際忘れよう」
蒼俊、自業自得ですね。まだまだ修行が足りないようですよ。
 そんなわけで、清華、春麗、香茜の三人は、今までいた母屋に隣接した道場へと向かいます。これから午後の鍛錬がはじまるのです。この時点では清華も春麗も、これから起こる出来事など知る由もありませんでしたが、それはまた別の話。今は彼女たちの鍛錬に付き合うことにいたしましょう。
 
次へ
表紙