――――― 三章 其の二 ――――― |
「よう。待たせたな」 尚人がバイザーを持ち上げ、鈴音に視線をよこしてくる。授業中の目とも違う、真剣なまなざし。 「今日はギリギリに来たからそんなに待ってないわよ」 「そうか。まあいいや。乗れよ」 尚人がバイクの後部座席を示す。鈴音もうなずいてそこのまたがった。 「リンちゃん」 敦宏がヘルメットを投げてよこす。鈴音はヘルメットをかぶって尚人にしがみついた。 「よし。行くぜ」 2台のバイクが勢いよく発進する。バイザーの隙間から冷たい風が入ってくる。 (ホントに覚悟決めないと) もう後戻りはできない。逃げ道はない。目の前の道をただまっすぐ突き進むだけ。 (上等よ!) どんなに細い道だろうと、どんなに危ない橋だろうと、最後まで渡りきってやる。 (もう、迷ってなんかいないから) 夜の大通りを2台のバイクが疾走していった。 「着いたぞ」 幕張にほど近い高層ビル街。今回の仕事場所はここだ。 「リンちゃん、これ」 敦宏が差し出したのは小型の通信機だ。耳に着けるタイプのものらしい。 「これを使って指示出すから。リンちゃんはこちらの言うとおりに動いてくれ」 「わかった」 そう言って通信機を受け取る。敦宏が、小型のノートパソコンを取り出して操作し始めた。 「今俺たちがいるのがここ。お前たちが行くのはもうひとつ向こうのビルの7階だ。そこの非常階段から、反対側にいるターゲットを狙う」 パソコンに表示された地図を使って、敦宏が状況説明をしていく。 「俺はここで指示を出す。終わったら、すぐに引き上げる」 「いつもどおりだな」 「ああ。時計を合わせよう」 「OK。3…2…1…よし。じゃああとで」 「グッドラック」 「おう。リン、行くぞ」 「え、あ、うん」 尚人は肩に荷物を担ぎ、バイクを押して歩いて行く。鈴音もあとに続く。 「リン」 「え、なに?」 「絶対に俺のそばを離れるなよ。命がかかってることを忘れんな」 「うん…」 命がかかっている。仕事をするのは尚人たちだが、同伴する以上は自分の命も危険さらされているのだ。 尚人がバイクのスタンドを下ろし、固定する。肩の荷物を担ぎなおして、ひとつ息をついた。 「行くぞ」 「うん」 2人は並んで歩き出した。 「…6…7、ここだな」 「ここが、仕事場所?」 「そうだ。目の前に見えるあのビルの中にいるヤツがターゲットだ」 「誰もいないみたいだけど…?」 「今はな。もうすぐ現れる。それまでは準備して待機だ」 尚人が鞄からスタンドを取り出して立て、そしてライフル銃を取り出してセットした。 「っ…」 いざ目にすると声が出なくなる。黒光りする銃身。鈍く輝く引き金。底知れぬ闇を思わせる銃口。 (落ち着け、落ち着け…) 「…レーザーサイトは使わないの?」 「ビルは全面ガラス張りだし、ターゲットは正面を向いてるから、赤い光は目立つんだ。今回は自分の目でロックする」 「ふーん…」 沈黙が流れる。尚人はライフルのセッティングを終え、待機姿勢に入っている。 「あの、さ…」 「ん?なんだ?」 「…尚人くんは、どうしてこんなこと始めたの?あ、話したくないなら無理に話さなくてもいいよ」 「俺な、中2のときに親を殺したんだ」 「え―――」 衝撃だった。後頭部を鉄パイプで殴られた気分だ。 「俺の母さんはすごくしっかりした人で、朝から夜まで毎日働いてた。仕事に行く前にはちゃんと俺に分の夕飯を用意してくれてて、そういうので困ったことはなかった。でも親父は典型的はダメ人間で、毎日どっかに遊びに行って、帰ってきたら飲んだくれて、酒が切れたら母さんに当たってた。母さんが働いて稼いだ金も、結局は親父の借金返済でほとんど消えてたよ」 「…」 「俺はそんな母さんを見てられらなかった。なんとかして助けたかった。いろいろ考えてたときに、組織の幹部みたいのが来たんだよ」 「組織?」 「俺や宏がいるとこだよ。他にも俺たちみたいなヤツがたくさんいる」 「へえ…」 「で、その男が言ったんだよ。この銃をお前にやる。これを使えばお前に母さんは苦しみから解放されるんだってな受け取らない理由はなかったよ」 「それで、お父さんを…?」 「殺した。渡された銃でな。引き金を引いたらいきなり親父が倒れるもんだから、最初はビビッたよ。」 「あの、それで…お母さんは?」 「わからねえ。そんときは仕事でいなかったし、俺は親父を撃ってすぐに組織のやつにつれていかれて施設に入れられた。それから1年半くらい訓練して、今に至る」 「…今までどれくらいの人を殺してきたの?」 「わからん。数えきれないほど撃ってきたからな。送られてくる指示をただこなしてきた。母さんとも全然会ってないし」 「会いたいと思わない?」 「合わせる顔がねえよ。こんなになっちまった俺の姿なんか見てほしくない。また母さんを苦しませるだけだからな」 (尚人くん…) 尚人も尚人なりに苦しんでいるのだ。いつか彼は言った。「好きでやっているのではない」と。 『尚人、リンちゃん』 耳元で声がした。敦宏から通信が入ったのだ。 『ターゲットのお出ましだ。今、正面玄関を入った』 「いよいよだ。リン、覚悟しとけよ」 「そんなの、とっくにできてる」 「よし」 『射程到達まで、74秒だ』 「了解」 尚人はうつぶせに寝そべり、ライフルをかまえた。スコープを目にあてる。鈴音も、銃口が向く方向をじっと見つめている。 『60秒』 心臓の鼓動が速くなっていく。日常との決別がすぐそこまで迫っている。 『30秒』 「リン」 「え?」 「よく見てろよ。俺らがこのことを知られるのは、多分お前が始めてだ」 「う、うん」 しっかり見なければ。そして、全てを受け入れなければ。 『10秒。カウントダウン始めるぞ』 「OK」 『7…6…5…』 ドクン、ドクン、ドクン、――― 『3…2…』 ドク、ドク、ドク、ドク、ドク――― 『1…到達』 バシュッ! 「っ…!」 鈴音の視線の先でひとりの人間が倒れた。頭のあたりの床が、徐々に赤黒く染まっていくのが見える。 目の前で、人が殺されたのだ。他でもない、尚人の手で。 「リン、急げ。引き上げるぞ」 「…あ…うん…っ」 尚人に言われて慌てて立ちあがる。階段を駆け下りる間も、今目にした光景が頭にこびりついて離れない。人が倒れた場面が何度もリフレインする。 「リン!早く!後ろに乗れ!」 尚人にヘルメットを渡され、それをかぶってバイクの後部席にまたがる。尚人はすぐにバイクを発進させた。 「っ…」 気分が悪い。吐き気がする。人が死ぬのを見るというのは、頭で考えていたよりもはるかに衝撃的なものだった。尚人はこんな場面を何度となく見ているのだ。 「っ…はあ…っ」 バイザーを少し上げて風を入れる。冷たい風が、今はとても気持ちよかった。 来るときに通った道を戻って、バイクは走り続けた。 「うっ…はっ…あっ…」 来る前に3人が集まった公園。2台のバイクが停めてある脇で、鈴音はうずくまって必死に吐き気と戦っていた。 「くっ…かはっ…」 「リン、大丈夫か?」 傍らで尚人が鈴音の背中をさすっている。はじめてあんなものを見たのだ。こうなるのも無理はない。 「はあ…はあ…」 「大分落ち着いてきたみたいだな」 「うん…大丈夫…ありがと…」 ふらつきながらも、鈴音は立ちあがった。深呼吸して息を整える。 「リンちゃん」 敦宏が口を開いた。鈴音の目をまっすぐ見ている。 「あれが、俺たちの最大の秘密だ」 鈴音はうなずいた。まだ息は荒い。 「尚人から聞いてると思うけど、もしかしたらリンちゃんの記憶を消すことになるかもしれない。それを判断するのは組織の連中だから、俺たちは何も意見できない」 「うん…」 「もし組織の連中が、リンちゃんに記憶を消すと判断しても―――」 「それを決めるのは僕らじゃないよ」 「―――!?」 突然、木の陰からひとりの青年が姿をあらわした。背は尚人たちと同じくらい。整った顔立ちの美しい青年だ。 「藤本鈴音さん、だね?」 「え…あ…」 「はじめまして。システム−Ωの片桐翼といいます」 片桐はゆっくりとこちらに近づいてくる。そして、鈴音立ちのそばで止まった。 「敦宏、尚人、ご苦労だった。いつもどおり、あとの処理は僕らが行う」 「じゃあ…やっぱこいつの記憶、消すのか…?」 「言ったろう?それを判断するのは僕らじゃないって」 片桐は鈴音に向き直り、静かに言った。 「君が決めるんだ。鈴音さん」 「え…!!」 「君は知ってはならないことを知ってしまった。本来ならば、即刻抹消処置を施すんだが、いい機会だ、消すか否かの判断は君にゆだねるとしよう」 「私に…」 「抹消処置をしなければ彼らのそばにいられるが、強大な重圧の中で暮らすことになる。記憶を消せば重圧からは逃れられるが、彼らとは2度と話すこともできなくなる」 「…」 「どうする?消すも残すも、君の自由だ」 「私は…」 尚人たちの秘密を背負って暮らしていくのは並大抵の辛さではないかもしれない。あの忌まわしい光景をずっと引きずっていくのだから。 (でも…) 尚人達と過ごした時間は失いたくない。これからもっと楽しいことがあるかもしれないのに、話すこともできなくなったらそれも全てなくなってしまう。 「私は…」 決めた。もう迷わない。 「私は、思い出をなくしたくない」 短くても、強い意志のこもった一言だった。片桐はそれで全てを察したようだ。 「わかった。抹消処置はしない。そのかわり、どんな代償があるかわからないよ?」 「わかってます。覚悟はできてますから」 「そうか。ならそれでいい。僕はこれで失礼するよ。尚人、敦宏、彼女に感謝するんだね」 片桐は鈴音たちのそばから離れていった。その背中を、鈴音は呆然と見送っていた。 (これでいいんだ) 「リン…」 尚人がいきなり鈴音に抱きついた。突然の出来事に、鈴音は驚きを隠せない。 「な、尚人くん!?」 「ありがとう…」 「え…?」 「ありがとうな…本当に…」 「尚人くん…」 鈴音も尚人を抱き返した。尚人の体が小刻みに震えている。泣いているのだろうか。 「尚人くん。なにかあったら私に言って。こうなった以上、尚人くんのことならなんでも受けとめる。悩みとか弱音とか全部、私にぶつけていいから」 「リン…」 「ひとりでふさぎこまないで。ね?」 「…ああ…」 鈴音は尚人の頭をなでてやった。普段は明るくて活発な尚人が、今は子供みたいに思えた。 「あ、もちろん宏くんもね!」 急に自分に振られ、敦宏は少し戸惑っている様子を見せたが、そのあと小さく微笑んだ。 「尚人、そろそろ帰るぞ。リンちゃんもいつまでもこうしてるわけにはいかないんだからな」 「…ああ」 尚人は顔を上げ、そのままバイクにまたがってヘルメットをかぶった。照れ隠しのつもりだろうか。 「じゃあリンちゃん、今日はいろいろごめんね」 「ううん、気にしないで。記憶が消えないんだから文句ないわ」 「本当に、ありがとう」 敦宏がふたたび笑った。とてもやわらかい笑顔だ。 「宏!早く行くぞ!」 「はいはい。ったく、世話のやける相棒だ」 「っるせえ…悪かったなっ…」 敦宏もヘルメットをかぶってバイクにまたがった。鈴音に手を振って発進する。 鈴音はひとりぽつんと残された。でも、気持ちはすがすがしく晴れ渡っている。 「私も、帰ろっかな」 自宅に向かって歩き出す。満天の星空が、すべてを優しく見守っていた。 「ツバサ」 ふいに声をかけられ、片桐…翼は立ちどまった。声のしたほうへ目を向けると、ひとりの女性がバイクに寄りかかって立っている。 「明美か。見てたのか」 「まあね。それより、消さなかったのかい?彼女の記憶」 「ああ、彼女がそう言ったからな。思い出をなくしたくないってさ」 「へえ。あんたにしては珍しいじゃない。いつもなら問答無用で消してるのに」 「彼女は特別だ。あの2人にとって、いい精神安定剤になればと思ってな」 それに、と翼を付け加えた。 「俺も少し、彼女には興味あるんでね」 |
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