――――― 二章 其の二 ―――――
 
(…おかしい)
俺はいつも1人で帰ってなかったか?
(っつーか、そうだよな)
なのに、どうして。
(こんなヤツが一緒にいるんだ?)
しかも、昼休みにケンカしたばかりだというのに。
(笑ってやがるしよお…)
「何怒ってんのよ?」
お前が知らねえワケねえだろ。
「もしかして、昼休みのこと?」
他に何があるっつーんだ。
「あのことだったら、本当に悪かったと思ってるって」
信用するか。
「なんなら弁償しようか?」
今さら遅えよ。
「じゃあどうしたらいい?」
っつーか、ついてくんなよ。
「でもとりあえず、家の中は見せてね」
断る。
「返事なしってことはOKだね。やったァ!」
「勝手に決めんな!!」
「え?いいんじゃないの?」
「よかねえよ!」
「何か隠し事でもあるわけ?」
「いや、そんなもんねえけど…」
「なら、いいじゃない」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「決まりね!早く行こ!」
「おいコラ!待ちやがれ!」
(ったく…)
午後の2時間のうちに、何があったというのか。
「待てってんだよ!俺はまだ許可してねえぞ!」
「私が許したから、それでいいのっ」
「何わけわかんねえ理屈をフイてやがる!」
(あーもう!なるようになっちまえ!)
あれさえ見られなければいい。あれさえ、見られなければ。



「わー!キレー!」
尚人の自宅は、学校から徒歩で15分ほどのところにあるマンションの一室だった。ごくありふれた部屋の間取りで、ソファやテーブルが見栄えよくしつらえられている。
「そのへんに適当に座っとけよ。俺は着替えてくるからさ」
「オッケー」
尚人の部屋の扉が閉まって、あらためて室内を見まわしてみる。白い壁。オーディオラックにはMDコンポとゲーム機。テレビ台には、中型のテレビとビデオデッキ。テーブルには新聞。
(ウチのと同じだ)
何気なくそれを手にとって、開いてみる。すると、ドサッ、という音とともに、鈴音のひざの上に何かが落ちてきた。
(あ、これもウチと同じ)
スポーツ新聞だ。鈴音の父親も、時折買ってくる。
「お前、新聞なんて読むのか?」
着替えを終えた尚人が、キッチンに向かいながら問いかけてくる。
「たまーにね。あんまり頻繁には読まないけど」
そう言って、鈴音は新聞をたたんでテーブルに置いた。
「はいよ」
尚人が紅茶の入ったカップを差し出す。鈴音も素直に受け取った。
「ありがと」
渡されたカップをすすりつつ、ふたたび部屋を見まわしてみる。
「親は?仕事かなんか?」
「いや、親とは一緒に住んでない」
「1人暮し!?」
「いや、それも違うんだな」
「え?どういうこと?」
「C組に本間敦宏っているだろ。あいつと2人暮しだ」
「へぇー。どういうつながり?」
「出身中学が一緒なんだ。あ、俺たち中等部からのエレベーターじゃないわけね」
「ふーん。どこの中学?」
「豊田中。愛知の」
「愛知!?そんなとこから来たの!?なんで!?」
「都心に近いからな。大学いったらどうせ1人暮しだし、高校から慣れとくのもいいだろ」
「あー、なるほどね」
また紅茶をすする。と、今度は尚人が質問してきた。
「で、何しに来たわけ?」
「は?」
「は?じゃねえよ。何か目的があってきたんだろ?」
「あーそうそう。部屋見せてよ」
「見せてんじゃん」
「じゃなくて、真下くんの部屋」
「尚人でいいよ。名字で呼ばれんのは慣れてない」
「じゃあ、尚人くんの部屋」
「何のために?」
「ちょっと調べたいことがあるから」
「何を調べるんだよ?」
「なんでもいいじゃない」
「よかねえよ。そんなんで部屋見せられるか」
「ちょっとだけでいいから」
「ちょっとだけって言われてもなあ…」
「でも、それじゃあここに来た意味がないのよ」
尚人はしばらく考え込んだあと、ため息まじりに言った。
「わかったよ。少しだけだからな」
「ほんとに!?ありがとう!!」
満面の笑みを浮かべ、鈴音はたちあがって尚人をせかす。
「早く!はやく!」
「っるせえな。少しは待つってことができねえのかよ」
「私の辞書に、そんな言葉はないわよ」
「イノシシか、お前は」
「失礼ね。そんなことより、早く見せてよ」
「へいへい。ほらよ、ここだ」
十数分前に開けたドアをふたたび開き、尚人は中に入っていく。鈴音もあとに続く。
「普通、だね」
「当たり前だろ。親と一緒に住んでないってこと以外は、お前らと何も変わらねえよ」
「まあ、そうだよね…」
何の変哲もない部屋。リビングと同じ白い壁には、アーティストのポスターが何枚か貼られている。そのうちのひとつはカレンダーだ。あとは机にベッド、それにパソコン。
「このパソコン、尚人くんの?」
「ん、ああ。高校入るときに、親に買ってもらった」
「お金持ちだね」
「10万しねえよ。8万強くらいだ」
「中身は?」
「ネットで落とす。そのほうが安上がりだからな」
「あ、なるほどね」
パソコンの脇には大きなプリンタが置かれ、その隣にはタンスがある。
「タンスの中は?」
「は?服とかだよ」
「他は?」
「他には…別に何もねえ。あ、上に引出しには小物とかが入ってる」
「ちょっと見せて」
「別にいいけど」
中には櫛や鏡、アクセサリー類などが入っていた。
(…この部屋にはないみたいね)
「おっけ。ありがと」
「もういいのか?」
「うん。この部屋にはないってわかったから」
「何が?」
「なんでもない。気にしないで」
「ふーん…」
リビングに戻ってソファにすわり、また紅茶をすする。
「あ…」
「どうした?」
「…冷めてる」
「そりゃそうだろうな。淹れてから大分たってるし」
「おかわり」
「図々しいヤツだな」
「だって自分じゃできないもん」
「はいはい。ちょっと待ってろ」
鈴音からカップを受け取り、尚人はキッチンに向かう。棚から新しいティーバッグを取り出して、湯を注ぐ。
「お前、帰らないのか?」
「本間くんの部屋も見せてもらう」
「じゃあ見てったらいいじゃねえか」
「本人の許可なしに入るのは、さすがに気が引ける」
「今さら何言ってんだ」
「え?何か言った?」
「いーや、なんでもねえよ」
もともと、ここに入れる許可など与えていないのだが。
(こいつの性格が、こんなんだとは思わなかったな)
今さら後悔しても遅い。鈴音に関わった時点で、歯車は狂い始めているのだ。
「本間くん、遅いね。部活でもやってるの?」
「いや、何もやってない。どっかに寄り道でもしてんじゃねえか?」
「いつ帰ってくるの?」
「さあな。あいつの帰宅時間は日によってまちまちだからな」
「連絡とれない?」
「ザウルスがつながれば」
「ザウルス?」
「ポケコンのザウルス。知ってるだろ?」
「あー、あれね。本間くん、あんなの持ってるの?」
「いろいろついてるからな。辞書とかスケジュール帳とか」
「メールとかもできるんだっけ」
「ああ。俺も持ってるぜ。ほら」
そう言って、尚人は腰に下げてある携帯ケースから、メタリックブルーにカラーリングされたポケコンを取り出した。ふたを上げて、操作しはじめる。
「何してんの?」
「宏にメール入れてんの。あ、宏って敦宏のことね」
「ふーん…。あ、私のもアドレス教えてよ。Eメールでしょ?」
「なんでお前に教える必要がある?」
「また何か頼むかもしれないからさ」
「ンなもん、学校で言えばいいだろーが」
「家にいたら連絡とれないじゃん」
「別にとれなくたっていいだろ」
「私がよくないの。ほら、かして」
「あっ!返せ!」
画面にはちょうどメールの作成画面が表示されていて、もちろん尚人のメールアドレスも表示されていた。鈴音はすばやくそれを自分の携帯に入力する。
「さんきゅー」
「ったく…。俺はメールしねえぞ」
「いいよ別に。私からするから」
「やめろ。宏に見つかったらマズイ」
「何がマズイの?」
「訊くな!」
「なんかアヤシイ…」
「別にあやしいことなんかねえよ」
「ふーん…。ねえ、『オメガ』って何?」
「は?」
「ほら、あんたのアドレスのドメインについてる『オメガ』」
「俺が契約してるプロバイダだよ」
「そんなプロバイダ、あったっけ?」
「現に俺が使ってるじゃねえか」
「まあ、ね…」
と、返事はしたものの、鈴音の心は釈然としなかった。
(そんなプロバイダ、聞いたことない)
オメガ。
(帰ったら調べてみよう)
プロバイダ名で引っかからなかった、そのときは。
(『オメガ』がカギを握ってるってことね)
「おい、藤本?」
「へ?」
「どいした、ボーっとして?」
「ううん、なんでもない。気にしないで。それと」
「あ?」
「私も、鈴音、でいいよ」
「?何が?」
「呼び方。あ、でも、みんなリンちゃんって呼ぶからそっちのほうがいいな」
「ちょっとまて。俺にどう呼べって?」
「だから、リンちゃんって…」
「呼べるか!バカ!」
「じゃあなんて呼ぶの?」
「名字でいいだろ!」
「私、自分の名字って嫌いだからヤダ」
「むうう…。じゃあ」
「ん?」
「『リン』でいいだろ?」
「あ、いいよ、それで」
「よし。じゃあ決まりだな」
「うん!」
そのとき、玄関の扉が開いて、敦宏が帰ってきた。
「ただいまー…。誰だ、そいつ」
「おかえり。俺のクラスの藤本鈴音。通称『リン』」
「おかえりなさい、本間くん」
「あー、あんたが藤本鈴音か。昼休みとかによくしゃべってるだろ」
「そうそう!聞いてくれてるんだ!」
「あんたの声は聞きたくなくても耳に入るんだよ」
「それ、イヤミ?」
「そう聞こえなかったか?」
そう言い残して、敦宏は先刻尚人が入っていった部屋とは別の部屋に入っていく。その扉を閉める少し前、敦宏は振り返ってこう言った。
「あー、俺のことは宏でいいから。よろしく、リンちゃん」
その口調は、心底だるそうだ。部活はやっていないと尚人は言っていたが。
「本間く…宏くん、何かあったの?」
「さあ、俺は何も知らねえ。あいつ、自分のことってあんまり話さないから。」
「内気な性格?」
「いや、そうじゃないんだけど、なんつーか、心に壁を作ってるっつーか…」
「外との接触を拒んでる?」
「心が、な」
「ふーん…」
鈴音は、敦宏が入って閉じられた扉を呆然と眺めていた。
 しばらくして敦宏が部屋から出てくると、鈴音は待ってましたといわんばかりに頼み込んだ。
「宏くん、部屋の中見せて」
「あ?」
「ちょっと探し物してるの。だから、お願い」
「…ご自由にどうぞ。見られて困るようなモンは置いてないから」
「本当?ありがとう」
鈴音は立ちあがって、無遠慮に敦宏の部屋に入っていく。敦宏の部屋も、尚人に部屋と同じように。
(普通の部屋だなあ)
ただ、壁にポスターなどは1枚もなく、カレンダーすら見当たらないし、パソコンの脇にあるタンスも、尚人のものにくらべると小さめだ。
(このパソコンも、宏くんのものか…)
「ねえ宏くん、タンスのなか、見てもいい?」
「ご自由にどうぞって言ったろ」
「ありがと」
タンスの引出しの中には、尚人の部屋と同じように鏡とアクセサリー、手袋やマフラーなども入っていた。
(ここにもないのか…)
引出しを元に戻して部屋を出る。リビングでは、敦宏も紅茶をすすっていた。
「探しものは見つかったかい?」
「ううん、なかった」
「そりゃー、残念でした」
まるっきり興味なし、といった感じで敦宏が言う。鈴音は何も言い返せずに嘆息する。
 ソファに座ろうとしたとき、視線の先にもうひとつの扉を見つけた。玄関を入ってすぐ脇だ。
(あの扉…)
自分の直感が、なにやらよからぬ雰囲気を察知している。よくみれば、あの扉だけ周りの壁と質感が違う。
(見てみる価値は十分あるわね)
鈴音は立ちあがって、まっすぐその扉に向かっていく。
「リン?帰るのか?」
「鞄が置きっぱなしだろ。帰るわけじゃないらしい」
「じゃあトイレか?」
「リンちゃんは、うちのトイレの場所なんか知ってるのか?」
「いや…そうだよな…じゃあ」
「…まさか」
「気づかれた!?」
ガチャリ、と扉の開く音がする。かすかに中が見えかけたとき、尚人が扉をつかんで止めた。
(――っ!?)
尚人は何も言わず、強引に扉を閉めた。顔は焦りの色で満ちている。
(…ビンゴ?)
「ここは、見るな…」
「あ…」
(でも、少し見えたよ)
あれって、もしかして―――




『該当する項目はありません キーワード:プロバイダ オメガ』
(やっぱりね)
マウスをクリックして、画面を印刷する。パソコンの脇にあるプリンタが小気味よい音を立てて紙をはきだす。
 尚人の家から戻った鈴音は、さっそくインターネットで『オメガ』という名のプロバイダを検索したのだ。そして、前述の結果を得た。
(少々問いただしてみる必要がありそうね。それに)
あの扉の向こうにあったもの。蛍光灯に照らされて黒く光っていたもの。いくつも並べられた細長い筒状のもの。ここ最近の新聞を騒がせているもの。
「一体、どういうことかしらね…」
鈴音は携帯をとりだし、ターボスクロールから「真下尚人」という項目を呼び出した。そこに記されたアルファベットの羅列をじっと見つめる。
(あの事件も、あんたの仕業なの?)
ビルの窓にいたのもあんた?だとしたら――
(大変な秘密を握っちゃってるわね、私)
携帯をしまってパソコンの電源を落とす。ふと思い出した。
(化学のレポート、明日までじゃん!!)
「やっばいっ!!」
時計は8時少しすぎを指している。このままだと。
(また徹夜?)
「うっげぇ…」
尚人のことなど、一瞬で頭から消えた鈴音であった。



 尚人の表情は凍りついていた。焦りが思考を混乱させる。
(やっちまった…)
前回あの部屋に入ったのは自分。うっかりして、鍵をかけ忘れた。
「スマン、宏。俺のミスだ…」
「まったくもって、そのとおりだな」
敦宏が冷たく突き放す。こんな事態になったというのに、敦宏は呑気にコーヒーを飲んでいる。
「お前があの部屋の鍵をかけ忘れたせいで、リンちゃんに中を見られ、その秘密を知られたかも知れず、俺はそのとばっちりを食らったというわけだ」
「だから悪かったって。ホンットに反省してるよ…」
「反省したところで、何も始まらないな。組織から制裁が下るのも時間の問題だろう」
「あの、さ…もしかして、あいつが…その…」
「可能性がないとは言えないな」
尚人は、ドキリ、とする。自分の犯したミスのせいで、もしかしたら鈴音は組織に―――
(クソッたれ!!)
それがいつ起こるのか。明日か、明後日か。尚人にそれを知る術はない。
「!!」
敦宏の部屋にあるパソコンが音を発した。組織からの『指示』を受信したのだ。敦宏がするより早く、尚人がパソコンにかじりつく。
「何の指示だ?いつもどおりか?」
「…ああ、そうみてえだぜ」
尚人はホッと胸をなでおろす。こんなに早く組織に知られるとは思えないが、それでもあの組織のことだ。油断はできない。
「ターゲットは八嶋修平。株式会社ランドフロック副社長。年齢は57。妻と、すでに結婚している娘が1人」
「またか。どうやら幹部クラスってのは、意外と他からの恨みなんかが多いらしいな」
「みてえだな。こんなご時世だし、企業は生き残りに必死なんだろ」
「添付ファイルを立ち上げろ。印刷する」
「OK」
マウスを操作して、添付ファイルを印刷する。プリンタが規則正しく動き、地図などが印刷された紙をはきだしていく。
「ん?」
尚人は、ウインドウの右端にあるスクロールバーが不自然に短くなっているのに気づいた。いつもならこんなに短くはならないはず。マウスでスクロールバーを下ろしていく。
「…備考?」
「なんだ?追加指示か?」
「わかんねえけど…」
さらにスクロールバーを下ろし、文書を読み進めていく。
「今回の仕事には…なっ…!!」
そこに記された指示を目にして、尚人は絶句した。傍らにいた敦宏さえも、さすがに声が出ない。
「なんてこった…」
まさか、こんな指示がくるとは。

 "実行時、藤本鈴音を同伴させること"
 
次へ
表紙