――――― 三章 其の二 ――――― |
昼休み。 と言っても、陽にそれらしい昼休みは与えられない。午後の種目についての打ち合わせなどを、生徒会や実行委員会と済ませなければならない。報道部長の宿命だ。 (昼飯くらい、ゆっくり食べたいよな) 弁当を本部テントまで持ってきているので、昼食はテントでとる。右手で箸を、左手で書類を持ち、視線は机の上の書類と左手の書類を行き来するという高等技術を駆使しながらも、陽はうまい具合に食事をとっていた。 「瀬戸さん!」 駆け寄ってきたのは夏樹だ。昼休みに入ってけっこう経ってはいるが、既に昼食を終えたのだとすれば早いほうだ。 「あ、お仕事中ですか?」 「ん、いや、別にいいよ」 「そうですか?じゃあお邪魔します」 そう言って、夏樹は陽の隣に座る。午前中、ずっと座っていた席だ。 「部長の仕事って、やっぱり大変ですか?」 「まあね。でも、俺がやらなきゃ誰もやってくれないからさ。やるしかないんだよね」 返事をしながらも、陽の視線は書類に向かったままだ。黙々と活字に目を通している。 今日の夏樹は、本当に暗い影を見せていない。今朝からずっと、笑ったままなのだ。 (今日1日で、だいぶ変わったみたいだな) うれしい兆しだった。これでストーカーがすぐに捕まえられれば、全く言うことない。 (捕まえなくても、もう2度と出てこなければ、それはそれでいいんだけどな) 実際、陽は疲れていた。体育祭の準備に夏樹の件が重なって、最近は疲れがピークに達していた。 が、昨日・今日と夏樹の笑顔を見たおかげで、疲れもだいぶ癒されている気がした。 (不思議だよな) 人間はやっぱりわからない、と、いつぞやの感想を反芻する。 そのとき、夏樹の携帯が震えた。メールだ。しかし、相手の名前は表示されていない。夏樹の知らない番号だった。 『ダレダヨ、ソイツ』 夏樹は一瞬、どきっ、となる。しかし、さっきも同じようなことがあったので、誰かのいたずらかと思って気に留めずに返信文を打とうとした。 しかし、その間を与えずにふたたび携帯が震える。 『ナンナンダヨ。コナイダカラズットイルヨナ』 夏樹は絶句する。指が震える。 『カレシカヨ。フザケルナ。キミニハ、ボクガイチバンナンダ』 体が動かなくなっていた。顔から血の気が失せるのが分かる。そして。 『ボクハズット、キミヲミテル』 がんっ、と頭の中で音がした。目にうつる文字の羅列が信じられなかった。しかし、それは現実にそこに存在している。 どうして――― 携帯が震える。恐る恐る中身を見てみる。 『ズット、ミテルカラナ』 恐い――― 「夏樹ちゃん!?夏樹ちゃんっ!?」 陽の声で、夏樹は我に返った。 「夏樹ちゃん?どうしたの?顔色悪いよ?」 口を開こうとする。辛うじて出た、瀬戸さん、という声は、もはや聞き取るのも困難だった。 涙をこらえきれず、夏樹は反射的に陽に飛びついていた。 「!?夏樹ちゃん!?」 さすがに陽も困惑している。が、夏樹にそんな陽の心境が分かるはずもなく。 全身が震えていた。陽もそれを感じとって、夏樹の肩に手を添える。そして、もう片方の手で優しく夏樹の髪をなでた。 「どうした?何かあったなら、遠慮なく言いなよ」 陽のやさしい口調にようやく安心したのか、夏樹は顔を上げて陽を見る。そして、手に持った携帯を手渡した。 「…!?」 陽も驚きを隠せないでいる。しばらくの間、呆然と画面に釘づけになっていた。 「どこかに、いるんだ…」 夏樹がつぶやく。 「どこかで、私のこと見てるんだ…」 恐怖に脅えきった声。 恐い――― 「大丈夫。僕らがついてる」 夏樹が気づくと、そこには大地と牡丹もいた。陽がいつの間にか連絡をとっていたらしい。 「夏樹ちゃんは1人じゃないんだ。僕らが、一緒にいる」 「そうだよ。大丈夫。安心していいんだよ」 「犯人は必ず捕まえてやるさ」 安心して、いいの…? 「友達だからね」 友達…?わたしが…? 「だから、心配しないで」 ありがとう――― 夏樹は泣き出した。恐怖で流した涙ではない。3人の言葉を聞いて本当に安心したのだ。そして、嬉しかったのだ。 夏樹の姿を見て、3人は再度決意を新たにする。 必ず、見つけ出す。 「プログラムナンバー20、障害物競走に出場する選手は、第2入場門前に集合して下さい。繰り返します。障害物競走に出場する選手は―――」 夏樹はテントの中にいた。陽がつきっきりで側にいた甲斐あって、今はだいぶ落ち着いている。 (でもやっぱ、出場するのは辛いかな) 「夏樹ちゃん、もし出たくないなら、代わりの人に出てもらうけど?」 陽がそう問いかけると、夏樹は、すっ、と立ち上がった。 「いえ、出ます。参加すれば、少し楽になるかもしれないし」 でも、と言いかけて、陽はやめた。夏樹の意志は固いらしい。目が、そう言っている。 「わかった。がんばって。応援してるから」 「ありがとうございます。いってきます」 小走りで去っていく夏樹を見送ったあと、陽は無線を飛ばす。 「本部より1番、9番」 『こちら1番。本部どうぞ』 『9番です。どうぞ』 「夏樹ちゃんが次の種目に参加する。今入場門に向かったところだ。目を離さないでくれ」 『オーケー。1番了解』 『9番了解しました』 今日何度目かになる大地と牡丹への通信を終え、陽も夏樹のほうに視線を向ける。競技中に何かがあるとは思えないが、何もないとも言いきれない。念のためだ。 (無事に終わってくれよ) 夏樹の携帯は、陽が預かっていた。しかし、ひとつ気がかりなことが。 (預かってるときにメールが入ってきたら、やっぱり見せるべきなのかな) 夏樹の携帯は、以前陽が使っていた機種と同じものなので、使い方は分かる。メールの消去など、たやすいことだ。 (いや、やっぱりそれはマズイか) 現在は法律で『プライバシーを守る権利』が保証されていて、メールを消去することなどは、メールを閲覧してから行う作業なのでこれに引っかかる。陽も、通信法規として学んでいた。 (待てよ、そうしたら、見るってことも出来ないわけか。じゃあ消去する以前の問題じゃないか) 今さら気づいたか、と自分に言い聞かせる。しかし、これで疑問の結論は出た。 放っておくのだ。 (これなら問題あるまい) バックストレッチのスタートライン脇で、号砲が鳴った。 「くやしい〜」 本部に帰ってくるなり、夏樹はそう言った。 障害物競走の第3レース、結果は僅差の2着。体ひとつほどだ。 「惜しかったね。でもがんばったね」 いろんな意味で、と、陽は胸の内で付け加える。 と、夏樹が思い出したように訪ねた。 「誰かからメールとか来ましたか?」 「いや、来てないよ。携帯は鳴ってない」 「そうですか…」 ありがとうございました、と言って、陽から携帯を受け取る。ほっ、と息をついたそのとき。 「!!」 夏樹の携帯が鳴った。メールを受信したのだ。開封してみる。 『ハシッテルスガタモカワイイネ。デモ、キミハボクダケノモノダヨ。ダレモジャマハデキナイ』 鳥肌が立った。背筋が凍るのが分かる。 「誰から?なんだって?」 夏樹は何も言わずに携帯を差し出した。文面を見た陽は、すぐに無線機のマイクに飛びついた。 「本部から1番、9番!今携帯を操作してる人間を探せ!!」 『1番了解!』 『9番了解です!!』 陽も、そばにあったカメラを手にとってレンズを覗く。ふたたび携帯が鳴った。 『デモ、ソノオトコハキニイラナイナ。キミハボクダケノモノナノニ』 どこだ? 『ドウシテフリムイテクレナインダ?』 どこにいる? 『キミトボクハウンメイノイトデツナガッテルンダヨ』 出て来い!姿をあらわせ!! 『サア、ボクノトコロニオイデ』 『見つけたっ!!』 無線機のスピーカーが叫んだ。声の主は大地だ。 「どこだ!?」 『3コーナーと4コーナーの中間点の延長上だ!黒のコートにジーパンはいてる!』 「写真は撮ったか!?」 『もちろんだ!そっちからも早く!!』 陽も慌ててカメラを向ける。しかし。 「あ…」 『どっか行っちゃった…』 「牡丹ちゃん、写真は撮れた?」 『撮れました。何枚かピンぼけしてるかもしれないですけど、大丈夫だと思います』 「大地、ヤツの行方は?」 『校舎の裏に隠れたな。それ以上は分からない』 「そうか…。よし、放課後写真を現像しよう。部室にMOを持ってきてくれ」 『1番了解』 『9番了解しました』 通信を切断し、陽は夏樹に向き直る。 「聞いてのとおりだ。犯人の顔はバッチリ撮れたはずだ。あとは時間の問題だよ」 当の夏樹は、あまりの急展開に頭の中で整理が出来ていないようだ。 「え、ええっと…?」 「犯人の顔は写真に撮れたはずだから、あとは聞き込みでいけると思う。明日休みだから、早ければ明日にも見つかるよ」 「あ、ありがとうございます!」 未だにやや混乱ぎみだったが、それでも解決へ大きく前進したことは分かった。 「本当に、ありがとうございます…」 夏樹は、安心したのか座りこんでしまった。目には、またも涙が浮かんでいる。 (もう、何回泣いたかわかんないや) 夏樹は下を向いていた。陽に涙を見られたくなかった。なんというか、恥ずかしかったのだ。 (今さら、だけどね) 秋の涼しげな風が、夏樹の濡れた頬をなでていった。 |
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