D.C.10(2008年)6.28.〜6.30.
ぶえ琉・沖縄初旅行の記


D.C.10(2008年)6月28日〜30日、デーモン小暮閣下の公式FC「縁魔堂」の、
会員特典パックツアー“『沖縄をどげんかせんといかん!』ツアー”に参加しました。
関西空港→沖縄本島〜伊是名島〜那覇…その個人的な記録です。
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D.C.10(2008年)6月28日「前編」
       ■「沖縄着、伊是名島上陸」編
D.C.10(2008年)6月28日「後編」
       ■「邦楽サミット@伊是名島」編
D.C.10(2008年)6月29日「前編」
       ■「伊是名島満喫」編 PART1
D.C.10(2008年)6月29日「中編」
       ■「伊是名島満喫」編 PART2.
D.C.10(2008年)6月29日「後編」
       ■「デモルクの集ひ@那覇」編
D.C.10(2008年)6月30日
       ■「首里城〜関西帰還」編
D.C.10(2008年)7月01日「特別編」
       ■「美ら海グルメ旅」編・沖縄日記完結

2008年06月28日「前編」
デーモン小暮閣下の公式FC「縁魔堂」会員特典パックツアー
“『沖縄をどげんかせんといかん!』ツアー”初日


まずは、朝一番の関空特急「はるか」で関西空港へ。
そして、空路、那覇空港へ。

『お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか!?』

・・・と機内アナウンスされる気配もまったくなく。
修学旅行の中学生の、離着陸の際のプチ騒ぎに、ウザさ8割、微笑ましさ2割ほど感じながらも、10時15分、ANA1731便は予定通りに那覇空港に到着。
東京発、福岡発の皆様より、先んじての到着です。

オレ個人史のなかでも、初の上陸となる沖縄。
降り立った瞬間・・・

『暑゛ぃ!』

     

ひと足お先に梅雨の明けた沖縄。
青い空に、白い雲が浮かび・・・はいいが、やはり予想通りの暑さです。

ところが。
那覇空港内のお店で、オリオンビール飲みつつ海ぶどう丼を食し、ふと窓の外を見たらば、ものっすっごい、窓も地面も濡れてるやありませんか!?
どうも、オレが一杯引っ掛けていい気分になっていた間に、スコールが来た模様。
いやはや、早速「亜熱帯、恐るべし。」という感想をオレに抱かせたのでした。
(尤も、この3日間、目だって雨が降ったのは、ほぼこのときだけ、でした。)

那覇空港から、バスに分乗。
沖縄唯一の高速道路を、南の端から、北の端へ。
途中のサービスエリアでお手洗い休憩を取ったわけですが、トイレの入り口に温度計が・・・。

    

32度って・・・京都出るときは、26〜27度の最高気温でしたもん。
そりゃ、暑いわけですよ。

道中、バスガイドさんから、沖縄の言葉・・・たとえば、名護では「ハ行」が「パ行」になるとか(「ラジベガス」月曜・犬山犬子嬢を思い出すよ・・・)、東西南北が、それぞれ「アガリ(太陽が昇る)」「イリ(同じく沈む)」「ハェ」「ニシ」になるとか、まぁそんなことを教わりながら。

高速道路を出て少し、バスは今帰仁村(なきじそん)の、運天港へ。
こちらから、フェリー「ニューいぜな」に乗り換え。

 

航路、1時間弱。
電車→飛行機→バス→船・・・乗り継ぐこと、約12時間。
この日の最終目的地・伊是名島に到着したのです。
・・・というわけで、28日「後編」に続く。

2008年06月28日「後編」
民宿にチェックイン。
晩御飯を食したあと、いよいよ本日のメインイベント会場となります、島の公民館的存在の「伊是名村産業支援センター」の大ホール。
こちら、以前は「離島センター」という、なんとも身もふたもない呼称だったようです・・。

 


デーモン小暮の邦楽維新Collabolation Vol.25
デーモン小暮の琉球・大和 邦楽サミット@伊是名島


出演(敬称略)
 デーモン小暮閣下(朗読・歌唱・イロイロ)
 三橋貴風(尺八・うちなー尺八・プロデューサー)
 名嘉常安(三線)
 ジョージ紫(キーボード)
 比嘉レイ(ベース)/比嘉レオン(ドラムス)

ここまでは、当初から発表されていた出演陣。
それに加えて・・・
 翁長洋子(二十弦筝)、神山澄子(尚円太鼓)のおふたりが参加。

そもそもなぜ、伊是名島なのか・・・。
当日配布されたフライヤーから、一部引用・抜粋致しましょう・・。

『翁長洋子の島巡りコンサート in 伊是名島にゲストとして尺八の三橋貴風が出演、それが出会いのはじまりであった。
 この出会いから、三橋貴風は翁長洋子を通じてジョージ紫と伊是名島出身の民謡歌手名嘉常安と知り合う。
 三橋貴風は、今回のコンサートのプロデュースを行った人物で、デーモン小暮閣下とはコンサートの共演をしつづけてもうすぐ10年を数える。
 2007年2月、コラボレーション企画第20弾を東京・青山円形劇場でデーモン小暮閣下、三橋貴風、名嘉常安 等が共演し、このコンサートの中でジョージ紫の作品「My Love」をデーモン小暮閣下が熱唱し、観客を魅了した。デーモン小暮自身もこの曲がかなり気に入り、この瞬間から、2名の共演は、準備されていった。(後略)』
(文章のごくごく一部を、「仕様」に改めさせて頂いております。)

ひとと悪魔の縁が、不思議に交わり、しかし必然として、伊是名島で結実した・・・そんな感じでしょうか。
お客さんは総勢400人ほど、縁魔堂のパックツアーからのお客さん:それ以外のお客さん(島のひと+直接参加の方)で、3:7〜4:6といったところでしょうか?

さて、ざっと内容はというと・・・。

SET LIST(敬称略)
閣下影ナレ(B.G.M.・・いつもの・笑)
第一部
 M1.遊びションカネー(島唄)
   名嘉(三線)
 朗読「尚円王伝説-松金(マチガニ)とニライカナイ-」
   閣下(朗読),三橋(尺八、うちなー尺八),名嘉(三線),神山(尚円太鼓)
第二部
 メンバー入場時B.G.M.
  「七つの橋をかけて/名嘉常安&とこなつバンド」(史劇『尚円王』テーマ曲)
 M2.TATTOO(「GIRLS' ROCK」)
   閣下(Vo),名嘉,三橋,紫船バンド(ジョージ紫(Key),レイ(Ba),レオン(Dr))
 M3.沖に沈む(ジョージ紫)
   名嘉、三橋、紫船
 M4.チョンチョンキジムナー〜豊年音頭
   名嘉、紫船/閣下(合いの手)
 M5.My Love (ジョージ紫)
   名嘉、三橋、紫船、翁長(二十弦筝)・閣下(Vo)
 M6.美ら海流れ旅(北島三郎「風雪流れ旅」改)
   閣下,名嘉,神山(?),三橋,紫船
 M7.BLACK NIGHT(DEEP PURPLE/一部、閣下による訳詩あり)
   閣下,名嘉,三橋,紫船
ENCORE
  ・BLUE OCEAN!
   全員+島のひとのカチャーシーあり

ざっと、こないな感じでした。(ちょっと、尚円太鼓の出番、自信なし・・・。)
基本、昨年1月の青山本場所「守禮の巻」の内容に準じるものの、朗読は、伊是名島出身の尚円王にちなんだ完全新作。
メインゲスト・名嘉常安さん(三線)は「守禮」と同じであるものの、黒船バンドに替わって、沖縄ロック界の巨匠、ジョージ紫氏とその息子さんを洋楽サイドのゲストに迎え(閣下曰く「紫船(しせん)バンド」)、さらに三橋先生もうちなー尺八を駆使し…ということで、むしろ閣下が、そして縁魔堂会員がアウェー?

閣下の影ナレが始まってすぐに飛んだ、島のお客さんからと思われる「口笛・指笛」による声援。
公演中、子供が走り回っても、あまり気にも止めない客席と、ステージ上出演陣。
エンディングで踊りまくるカチャーシー。
嗚呼、これこそが「島の空気」なんだ。
もちろん、青山円形劇場での「ピン!」と張り詰めた空気のなかでのライブも悪くはないのだけども、今回のライブこそ、「守禮の巻」の「真の姿」だったものかも。

午後7時過ぎに始まった公演も、島でもやっぱり3時間コース。
でも、駐車場も終電も気にしなくていいんだから、もっとやっても良かったのに。(笑)
宿に帰って来たら、宿のご主人も観に行っていたとのことで「楽しかったですね!」と言うてくれたのが、我が事のように嬉しかったです♪
(6月29日付日記に続く・・・)

2008年06月29日「前編」
デーモン小暮閣下の公式FC「縁魔堂」会員特典パックツアー
“『沖縄をどげんかせんといかん!』ツアー”2日目


伊是名島で、朝を迎えました。
民宿の、オレの泊まった部屋は東(アガリー)側。
窓からは、海が見えます。
そんな部屋から観た、朝焼け。

 

この光景を観ただけで、伊是名島まで来た価値があったかも・・。

さて。
29日、パックツアーの皆様は、三手に分かれました。
午前中の船で沖縄本島に戻り、那覇直行コースと、美ら海水族館見学コース。
そして、お昼からの船便で沖縄本島に戻り、それまで伊是名島を回る「伊是名島満喫コース」
オレは、「訪れるのは最初で最後かもしれない・・って言うか、その可能性が高い。」と思い、この「伊是名島満喫コース」を選択しました。

総勢40名の皆様と、観光バスでもって出発!
   

島の民宿のご主人のガイドで、伊是名島のスポットを回ります。
出発後すぐに見えた、学校前の交差点の信号は、「島唯一の信号」
小中学校までしかない伊是名島、高校になれば、みんな本島に行くわけで、そのとき子供達が信号に戸惑わないように・・という意図だそうです。

以下、ちょっとずつ御紹介。


沖縄に長きにわたり王朝を築き上げた「第二尚氏」
その祖である尚円王=松金(マチガニ)は伊是名島出身で、その生地を公園として整備したのが尚円王御庭公園。
   

銅像は 『少年よ、大志を抱け。』 伊是名島を出る直前の、若き日の尚円王をイメージして、島出身の美術家・名嘉睦念氏がデザイン、製作したもの。
指差す先にあるのは、首里城・・・ではなく、伊是名島を出て最初に上陸した地(地名失念・・)だそうです。
船でもって海を渡ったので、もう片方の手にもっているのは「櫂」なんですね。

   
島の主要な農作物は「さとうきび」
もともと伊是名島は、好条件がそろっていたこともあり、沖縄には珍しく稲作が盛んだったそうですが「国策」で、さとうきびに転作することになったとか。
(でも、ぶっちゃけ今では儲かっていないそうで・・・。)

で、そんな伊是名島で、まだ稲が作られているのが、史跡・逆田(さかた)

   
こちら、若き日の尚円王=松金が耕作してたと伝えられている水田。
彼の水田は高台にあるにも関わらず、干ばつのときでも水を湛えていたと。
下のほうの村人の要請で、堰を切って自分の田から下のほうに水を流すも、翌朝には松金の田には水がたっぷり、下方の田には水は無し・・・。
そんなことから「水が逆に流れた。」ということで「逆田」と言われるようになったとか。

・・・と、ここまでは前夜の朗読でも聞いた内容なんだけど。
ななななんと、松金があんまりにもイケメンだったので、村の女性達が、こぞって夜の間に、下の田から水をくみ出し、松金の田に戻して・・・という説もあるそうで。
「逆田」の説明を刻んだ碑↓にも、
     

 「イケメン松金の汗水流して働く姿
 ・・・それを想うだけで、からだが火照っちゃうわん


的な、島の女性が詠んだ詩が刻まれておりました。
・・・この田んぼ、島の小学生が教育のために使っているそうだけど、大丈夫?

ともあれ、そんなモテモテっぷりもまた、村の男達から恨みと嫉妬を買い、松金は島にいられなくなり、ついには島を出た・・・とも伝えられております。

このあと、JAの直営店「ねーがり」で「15分の休憩でーす。」

・・・のはずが、皆、直営店に出ている伊是名島の農産物、名産物に、もう夢中。(笑)
15分は、はるかにオーバー・・・で、JTBのガイドさんに「15分じゃ済みませんでしたね。」って声をかけてみたら、ひと言・・・。
「沖縄時間ですから。(笑)」

沖縄時間、最高!
ツアーの皆様、もうすっかりどっぷり、沖縄に染まってしまったようですw

ちょっと、余談。
うろ覚えだったので、JA伊是名支店に電話して確認したのですが「ねーがり」とは、“伊是名地区”で「いらっしゃい。」という歓迎の意を表す言葉。
電話口で対応してくださった方、「伊是名の部落(地区)で」ということを強調されていました。
伊是名島には、「伊是名」のほかに、「仲田(なかだ)」、「諸見(しょみ)」、「内花(うちはな)」、「勢里客(せりきゃく)」と5つの地区に分かれていて、ガイドしてくださった民宿のご主人によりますと、本島とはもちろんのこと、それぞれの地区でも言葉がちょっとずつ違うとのことで、島の人同士が話すと、どこの地区出身というのが、すぐに分かるそうです。

閑話休題。

その後、伊是名ビーチへ。
   

もうね、言葉は要りませんよね・・・。
長くなりそうなんで、「中編」に続く・・・。

       
おまけ…「風と貝がら」的イメージで一枚。
貝がらは、この浜で取ったもの…ではなく、「ねーがり」で買うてきたものという、「偽装」(笑)っぽい画像です。
(でもたぶん貝がらは伊是名産だから・・・・ギリギリセーフ?)

2008年06月29日「中編」
「前編」から続き・・・「伊是名島満喫編」後半です。

美しい浜辺に癒された後、バスでちょーーっとだけ移動、大きい道脇に停まり待機。
徒歩で細い道を歩いていくと、ヤギがお出迎え。

 

誰だよ、ヤギ見て「美味しそう〜とか言ったのは・・・って、オレかーーー!(爆)
さらに歩くいて、目的地である「銘苅(めかる)家住宅」へ。
   

 

こちら、尚円王の叔父とその子孫で、代々地頭を務めた銘苅家のお屋敷。
非常に保存の良い琉球建築民家ということで、島内唯一の国の重要文化財に指定されています。
赤い瓦屋根ですが、島内でも赤い瓦屋根は戦前に建てられた古い家、銀っぽい白い屋根は、戦後建てられた比較的新しい建物とか。
   
銘苅家住宅を後に。
銘苅家住宅を囲む石垣は、首里城のそれと同じ工法で作られたそうです。
しばしいくと、沖縄の名木にも指定されている、樹齢350年以上といわれる「デイゴ」・・・

バスに戻り、再び「海」を目指します。
渚100選にも選ばれている「二見ガ浦海岸」
   

            
右手に見える巨岩が「陸(アギ)ギタラ」、左奥に小さく見えているのが「海(ウミ)ギタラ」
「ギタラ」とはまんま「岩」という意味です。

   
左)陸ギタラ 右)海ギタラ
「こっちに、ギタラ(来たら)?」by デーモン小暮閣下。(・・・・・・)

ところで・・・「二見ヶ浦海岸」って地名がちょっとひっかかりました。
なんだか、このふたつのギタラを「夫婦岩」に見立てて、伊勢の二見ヶ浦海岸にあやかって、後付けで命名したような・・・。(確認したわけではありません。アクマで個人的推測です。)
海岸の一部は、「マッテラの浜」という名前でもあるようです。

二見ヶ浦海岸を後にし、伊是名満喫コース、最後の目的地になります「伊是名城跡・伊是名玉御殿(たまうどぅん)」へ。

 
こちらは、尚円王の父と、その夫人(ってどこを見てもそういう言い回しなんだけど、尚円王の実母ではないってこと?)、その姉等が葬られているそうで、建てたのは、尚円王の息子で、第二尚氏3代目の王・尚真王。
ちなみに二代目は、前夜の朗読で「宣金(ムベカニ)」として登場した尚円王の弟・尚宣威なんだけど、在位は1年に満たず、しかも退位わずか半年で崩御・・・。
はい、陰謀の香りが、プンプン致しますね。
WEBでイロイロ検索してみたら、やっぱり・・・のようで、まぁ、御興味のございます向きは、尚円王〜の歴史、少し調べてみてください。

さて、時間は少し遡りまして、銘苅家住宅からバスに戻る間のこと。
ガイド役の民宿のご主人、しばし歩いて・・・ひょいと民家に立ち寄ります。
縁側から顔を覗かせたお婆(ばぁ)に、島の言葉でなんやかやと言葉を交わし、ツアーの皆さんに、「入っておいで。」って・・・民家でしょ???
お婆も、にこやかに、オレらツアーの皆に話かけたりしてくれます。
ご主人のおっしゃるには、島の御老人、いつお客人が来ても良いように、縁側にお茶を出す準備をされるのが日課なのだそうです。
そんな「もてなしの心」を感じたのが、今回の伊是名島観光で、一番心に残ったことかもしれません。

伊是名玉御殿を後にして、仲田港へ。
ここで、案内してくれた民宿のご主人と別れ、港のレストランで昼食。
(この昼食にもイロイロとエピソードがあるのですが・・・それはまたいずれ、もしくは「直接」。)
そして、午後1時30分発のフェリーで、伊是名島に別れを告げます。
オレは気がつかなかったのですが、第一便も、この第二便も、三橋貴風先生がお見送りに来てくださっていたとか・・・。

滞在時間は、わずか21時間に過ぎないはずなのに、時間以上のものを残してくれた、伊是名島行きでありました・・・。
(6月29日「後編」に続く・・・)

2008年06月29日「後編」
「中編」から続き。

仲田港を出て1時間弱、船は、運天港に到着。
そこからは、来た道を逆に、那覇市内へ。
車中、皆さん、ひたすら爆睡です。(笑)

2時間強、ホテルに到着、車内で、ホテルのカードキーと翌朝の朝食券を受け取ります。
2日間お世話になったバスの運転手さん、バスガイドさんとはここでお別れ。

部屋に入り、荷物をざっくりと整理。
PCをつないでチェックしつつ、シャワーを浴びたり、準備したり・・・しつつ、朝食券を見ると・・。

    

み、魔堂??

沖縄ポー◎ホテルさーーーんっ!!

まぁお約束といえば、お約束。
そして、美味しい誤植、有り難うございました。(笑)

さてさて。
大慌てで準備を整えまして、沖縄随一のLIVE HOUSE「ナムラホール(旧・ダンスクラブ松下)」へ徒歩で向かいます。
結構、余裕あるつもりで、街並みも見たくて「徒歩」いう交通手段を取ったのですが、折からの夕立もあり(そのときには上がっていましたが)湿度高く、蒸し蒸し、汗だくだく。
結構皆さん、移動にタクシーを使った模様。
オレもそうすれば良かったなりよ・・・。

さてさて。
今回の縁魔堂パックツアー、「琉球・大和 邦楽サミット@伊是名島」と並ぶ、Wメインイベントのもうひとつ・・・・。

「エル・集い・de・デモルク」@那覇・ナムラホール
   

【集ひ・進行概略】
  ・前々説・大槻氏/前説・茂木氏(avex)
  ・閣下&LUKE元参謀御登場(B.G.M.「ビタースイート・サンバ」)
 M1.LOVE ROMANCE
  ・トーク
 M2.世界一の口づけを
  ・トーク・Q&A
  ・閣下一旦御退場→LUKE元参謀のコーナー
 M3.Crying Days
 M4.Everyday
  ・閣下再登場・トーク・Q&A
 M5.春の嵐(閣下コーラス)
  ・元参謀一旦御退場→御魔之手直触の儀&2ショット写真撮影
  ・プレゼント抽選会
  ・元参謀再登場→トーク・Q&A
 M6.ノスタルジア(「コナ・ニシテ・フウ」Ver.)
  ・トーク・Q&A
 M7.夏休み(沖縄Ver.)
  ・閣下&LUKE元参謀御退場
  ・「コナ・ニシテ・フウ」上映

FCイベント=FC会員の「特典」・・・ということで、詳細レポではなく、断片の御報告や、個人的感想に留めさせて頂くこと、ご容赦ください。

閣下のイベントにLUKEさんが…ということで、LUKEさんFAN、CANTA FANには大変申し訳ない気も致しますが。
でも「デモルク」というこの組合わせが、ステキに素晴らしいんですよねv
もちろん、閣下だけ、LUKE元参謀だけでも、それぞれ十二分に魅力的なのですが、「デモルク」になると、それが「∞(無限大)」になったり、「1以下(爆)」のグダグダさ加減になったりするんですよね。
しかしまた、その「1以下」が愛おしいんですよ。(笑)

2ショット写真撮影…その内容もだし(グループ写真撮影くらいはあると思っていましたが)「集ひ」の流れのなかで、あまりにも急な展開で、固まってしまいました。
・・・あとで焼き上がった写真を見たら、やっぱり固まってました。 orz

プレゼントは、4人に1人は当たるというか高確率だったのですが外れ。
質問も残念ながら採用されませんでした。
それでも、皆様方のされた質問とその回答に、「やっぱりそうなんだ。」とか、「へぇ〜〜。そうだったんだ。」などと、感心することしきり。
特に、CANTAの某代表曲、実は…という話には、思わず「どぇぇぇ〜〜〜!?」

閣下、曲によってはギターを持ってステージ上に立たれていましたが、それを「打楽器」として御使用。(笑)
前回(D.C.7=2005年2月)の「エル・集ひ・de・デモルク」では、LUKE元参謀がリード、閣下がバッキング・・・ということをされていたのですが、さすがに今回はとても練習される時間はなかったとか。

LUKE元参謀で、アコースティックで・・・ということで「春の嵐」演るかなぁと予想していたので、CANTAタオル持って行ったんですが、これがどんぴしゃ大正解でした。
(注:この曲、CANTAのLIVEでは、サビの部分で、タオル(または外した生ブラジャー・笑)をブンブン回すというのが恒例になっています。)
そして、この曲で・・・もしかして、今回の「集ひ」で、一番の見所、聞かせどころだったかもしれない、デーモン小暮閣下の「コーラス」!!
なんでも閣下、縁魔堂パックツアーの皆さんと御顔を合わされるのを避ける・・・・という御配慮をされたため、日に2便しかないフェリーではなく、ななななんと、『漁船』をチャーターされ、本島に戻って来られたとのこと。
で、漁船のなかで、ずーーっと、この「春の嵐」を聴かれていたそうで、曰く「きょう、世の中で一番この曲を聴いたのは吾輩。」(笑)
その割に・・・いや、言いますまい。
ぜひ、閣下の「リベンジ」がありますこと、心から望んでおりますです。

閣下&元参謀退場後、閣下の初監督作品「コナ・ニシテ・フウ」が上映され、イベント終了。
オレで3、4回目くらいの鑑賞なのですが、今回の上映が、初見となる方も多かったようです。
トータルで、4時間超え・・・これ以上望むことは恐らくないと思われるFCイベントでした。

2008年06月30日
デーモン小暮閣下の公式FC「縁魔堂」会員特典パックツアー
“『沖縄をどげんかせんといかん!』ツアー”3日目(最終日)。


前夜、飲みの前後のこと。
御仲魔さま達と、翌日(つまり、30日)の午前中、フリータイム時、せっかくなので、昨年の邦楽維新Collabo.の副題にもなった「守禮門」のある首里城へ行こう…ということになり。
首里城は、朝8時30分からOPEN…ということで、それに合わせて行動開始しよう…ということで。。。

オレ「じゃぁ、明日、ホテルの食堂に、朝7時集合ね。」

そして、翌朝。
目覚めたら、7時30分でした。

 _| ̄|○

こんなときに、“沖縄時間”を発動させなくても・・・。
(その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました。 m(_@_)m )

気を取り直しまして…。

ホテル→首里城へは、タクシーで移動。
したら、タクシーの運ちゃんが、×××のことを、まぁぼろくそにこき下ろすこと、こき下ろすこと!!
こういう「現地ならではの声」はなかなか私達の耳までは届きにくく、いろいろと報道でもれ伝わってくる以上に、沖縄では問題は深刻なのかもしれませんね・・・。

ほどなく、首里城着。
二千円札にも描かれている「守禮門」
   
沖縄では、「二千円札を積極的に使おう!」的な運動もあるらしいですね。
「瑞泉門」をくぐって、いざ城内へ。

    

      

 

駆け足ながら、琉球文化の粋を集めた首里城、城内を堪能。
・・・とはいえ首里城、先の大戦で米軍の砲撃で徹底的に破壊されたため、これらすべて、1986年以降に再建・復元されたものなんですよね・・・。

      
戦禍を逃れた数少ない遺物、「瑞泉門」のそばで湧き水を吐き続ける竜頭。
この傍で、その事実を切々と語られていた現地の方の御姿が、印象的でした・・・。

首里城に別れを告げ、一旦、荷物を預かって頂いたホテルへ。
そして、沖縄県唯一の鉄道交通「ゆいレール」に乗って、那覇空港へ。

      

空港内で食事、お土産の買い物をバタバタとしているうちに、東京組の御仲魔様とも別れを惜しむ間もなく、それぞれの集合時間、出立時間・・・。
ほどなく、オレも機上の人に・・・。
    
雲の下に島影を見下ろしつつ・・・いつの間にか眠り、目覚めれば、関西空港・・・。
関空組の御仲魔様とも別れを告げ、京都行きのリムジンバスへ。
バス車中から見た「大阪の海の色」が、否応なく、沖縄から関西に戻ってきたことを思い知らせてくれます。。。

「家に帰るまでが遠足です。」


夕刻、無事、京都の自宅に帰還。

たかだか2泊3日という、限られた時間のなかではありましたが、とても深い、そして濃い3日間でありました。

でも、まだまだ物足りないよーー。
美ら海水族館だって行ってないし、那覇市内も全然観てないし、ひめゆりの塔だって参りたかったし、夜の国際通り(新宿歌舞伎町みたいなところ)だって徘徊してないし・・・。
そうそうお気楽に行けるところではないけれど、そう遠くない機会に、もっと時間と気持ちの余裕をもって訪れたいと思います。

3日間お世話になりましたあらゆるすべての方々に、心より御礼申し上げます。
また、再会せんことを祈りつつ・・・。

2008年07月01日
えっと。
この文章実際に書いているの「7月21日」なんだけど…。

時差、どんだけぇーーー!?

というわけで、いつまで引っ張る、日記@沖縄編。
その最終回は、「グルメ編」・・・題して『美ら海グルメ旅』

6月28日・昼
          
空港内の御店で食べました「海ぶどう丼&沖縄おつまみセット」。
ビールはもちろん、「オリオンビール」♪
沖縄では、さんぴん茶(茉莉花茶)か、オリオンビールばっかり飲んでましたね。

          
新鮮な、生の海ぶどうがたっぷり♪

6月28日・夜
          
民宿で食べました、お夕飯の沖縄料理。
ゴーヤーチャンプルーに、ラフティー、もずく(お汁の具ももずくでした)etc.
沖縄の「家庭料理」って、こんな感じなのかしらん?

2食ほど飛びまして…。

6月29日・夜
「エル・集い・de・デモルク」の後、総勢8名の御仲魔で、居酒屋さんに繰り出しました。

 
「ゴーヤーチャンプルー(左)」に、「ソーメンチャンプルー(右)」。
「チャンプルー」とは、沖縄の言葉で「混ぜ混ぜにしたもの」という意味だそうで、「炒め物」と考えれば、間違いないかと。

続きまして、揚げ物4連発。
次から次から揚げ物を頼めるのも、大人数で繰り出せばこそw

 
まずは「山編」
「てびち(豚足)のから揚げ(左)」&「島らっきょうの天ぷら(右)」。

 
そして「海編」
「もずくのかき揚げ(左)」&「グルグンのから揚げ(右)」。

てびちも、島らっきょうも、もずくも、定番沖縄名物ですが、揚げて、塩で頂くと、またひと味違いますね♪
そして、「初めまして」なお魚「グルグン」
グルクンとはタカサゴの沖縄での別名、「県の魚」にも指定されているそうです。
味はあっさりめかな

          
変わりダネを一発ということで「ダチョウの刺身」
ほんとは、「ヤギのお刺身」が食べたかったのですが、売り切れということで代わりに。
沖縄で、普通にダチョウのお刺身が食べられているかどうかは知りませんが、北部に「ダチョウ牧場」なんて施設(?)があるそうで。
ただ、こちらのダチョウは、宮崎産。(笑)
味は、馬刺しに似てるかなぁ。

6月30日・昼
沖縄での最後のお食事は、御仲魔様に連れて行って頂いた空港内の“穴場”的御店・空港食堂。
ガイドや空港案内に載っていない、いわゆる「職員食堂」的な御店です。

    

最後に食べましたのは「ソーキそば」
ソーキは、豚のあばら骨の部分をとろとろ煮込んだもの。
それが沖縄そばに乗っかってます。
お出汁はかつおで、あっさりしつつも旨みがあり、それがまたソーキのコクとマッチして、ウマウマでした♪
こうして、沖縄そばを堪能した1時間ほど後、機上のひととなり、沖縄を後にしたのでありました・・・。

おまけ…
    
左は、帰宅してすぐの晩の食卓に上った沖縄土産な皆さん。
ミミガー(ゆず風味)に、もずくに、生海ぶどう♪
トマトは、名古屋の実家産ですが、かかっているお塩は、沖縄のミネラル豊富なお塩です♪
そして右は、伊是名島土産の泡盛「伊是名島」5年熟成、そして空港で買ったハブ酒・ミニボトル。
ハブ酒、ちっちゃいハブが入っていたらおかしかったんですけどねw

現地で食べました沖縄料理ですが、汗をかいてからだから塩っ気が抜けていたのを差し引いても、本土の沖縄料理店で食べるそれらよりも、はるかに味は“薄い”ように感じました。
、これが本来の沖縄料理の味なんでしょうね。
ご当地の料理は、やはりそのご当地で食べるのが一番・・・まぁ、オチにも何にもなりませんが、そういう結論、ということで。