思いつくままに、私の作品に関して   
                      
 20046月個展 吉田敦彦

私は学生時代以来殆ど変わっていないその作画の基本態度を、いささかの自嘲もこめて「イキアタリバッタリズム」と称している。結局画家は理屈で考えても仕方がない(理屈は後からやってくる)。「描きたいものを描きたいように描くしかない」というところに行き着いて、それを方法論として煎じ詰めると、画面に向かってその時なんとなく塗りたいと思う色を選び(筆も選び)その時なんとなく描きたい形を描いていくしかないと言うことになる。画家が満足するまで、ただひたすら一筆ごとにそれを繰り返していくということになると思うことから、そう称している。
ただしこの一見単純にしていい加減で気ままに見える作業も実際は相手のある作業であって、その相手の対応次第でそのつどのこちらの対応も変わるというものであり、まったくの自由勝手とはいえないのである。
その相手とは画面つまりキャンバス上の一定の形と広がりを持つ空間というもの。空間は厳然として存在していてその空間としての完成を要求しており、こちらが一筆加えるたびに変化してその次の私の対応を誘うことになるから、いわばおしゃべりのようなものと思って、そのお互いの対応の繰り返しの過程を「キャンバスとの対話」とも称している。
私は下書きや下絵をしない。ぶっつけ本番で描き始めるが、そのスタートに当たっては、それほどはっきりしたイメージを持ってはいない。ただなんとなくこんな色をこんな形に塗りたいというくらいのものしかない場合が多い。イメージは描くにつれて成長しだんだん姿をはっきりさせてくるのであり「作品の完成がイメージの完成」でもあると思っている。
なおまた対話と言うものをお互いの思考のやり取りと考えると、その繰り返しは思考の展開であり、ときには自己の内面奥深くの未知の部分を掘り起こすことにもなり、継続発展の結果は、思想や詩想といった高度な精神的表現に到達し得るのではないかというのが私の仮定であり、イキアタリバッタリズムの論拠である。
ただし、おしゃべりとか思想などと言うと言語によるもののように見えるが、そうではない。絵画はあくまでも非言語の表現活動である。人間は通常は言語で思考しコミュニケーションを図り判断するものだが、言語表現には限界があり、言葉で表せない領域をカバーするための視覚や聴覚や触角や運動感覚を通じての表現活動として、美術や音楽や演劇舞踊などの芸術表現が存在してきた。
そこで先ほどから「なんとなく」と言うようなあやふやな言葉でしか言いようの無かった部分が、実際は美術の根幹を成しているということになるのである。言葉で表せない部分をしかたなく「なんとなく」と言っているのであり、そうだから軽いとかいい加減であると言うことではなく、だからこそ美術表現活動がそれによって成り立つものなのだと言うことである。この「なんとなく」、つまり言語に拠らない判断を「直感」と呼ぶことが多いが、例えば職人が論理や技法などとかかわりなく、無我夢中で全神経を集中して一個の傑作を作り出すように、「ただなんとなく」の判断にもその人の全ての知識技術経験や全ての思想感覚気分などなどが込められていると言うことである。そこで美術作品を鑑賞するに当たってもあまり難しく考えたりしないで、「ただなんとなく」の印象なり感動なりを大事にしていただきたいと願うのである。せめて「美しい花がそれらしく描いてあるから絵も美しい」とか「何も描いてないから意味がない」などと言う理屈で割り切ったりしないでいただきたいということである。
そこで私のイキアタリバッタリズムの結果の作品は、その制作期間の私のありようの表現と言うことになり、いわば日記のようなものであるということになる。しかしこの日記はただの日常の記録にとどまらず、自己探求の記録でもあり、新たな空間を生み出したいと言う生涯の課題へのその時点での解答でもある。
新たな空間の創造の道筋としては、一つの方向をただ繰り返しつき進めるのも良いのかもしれないが、私は一作ごとに新たな気持ちで始めたいと思う。そこであえて前作とは異なった色彩を選び、異なった技法を試みたりする。結果的には似たようなものになってしまうことも多いが、一点一点を新たなチャレンジとして制作を進めているつもりである。もともと、私の周囲には絶えず変動があり、その影響を受ける私も絶えず変化しているのであるからその表現も揺れ動くのが当然である。

今回の個展の作品の制作期間は過去約一年数ヶ月の間のものであるが、戦争の世紀と言われた前世紀に比べてもなお遜色ない、憎悪の応酬と血の匂いに彩られた期間であった。ただし私自身は平和で恵まれた日常の中に起居しており、情報として受け入れたものに想像力を働かすしかないのであって、そのことから生じる後ろめたさなどの気分も含めての表現しかできないのではあるが、しばしば衝撃的な事件が私の内面を突き動かし作品にも色濃く投影されたりもした。
作品の題名は単なる呼び名であり作品の内容との関わりはごく薄く表面的なもののはずだからあまり意味のはっきりした題名はつけるべきではないのかもしれないが、今回の作品においては、なんらかの衝撃を受けた時期に描いたものにはその衝撃に関連する文言を付してみている。日記的な内容だからまず制作の年月を数字で示し、その後に製作中に頭の中を去来した文字から選んで付している。
イラクで一方的な大義のない戦争が始まった時期に描いていたのが「愚行・戦争」であり、その戦争が泥沼にはまって長引くうちに、当然の帰結としての戦争と軍隊の本来の醜悪な様相をあらわに見せてくる一年後に描く作品は「たじろぐ」である。戦争にきれいな戦争なんてものは無いのであり、もともと公認の暴力機関としてあるのだから、平和的で民主的な軍隊などあるはずも無いのである。
人類の最大の不幸であり愚行である戦争を引き起こした者の、引くに引けなくなってずるずると落ち込んでいく先は地獄の血の池でありゴヤの言う「理性が眠れば云々」の世界であって、いわれの無い大量の人命と人間性の救いようのない損傷である。戦場や災害においては簡単に数で数えられてしまう数多の死の一つ一つの重みについて想像力をちょっと働かせてみても、たちまちたじろがざるをえず、その陰からあらわれてくる憎悪や恐怖に追い詰められた者たちの、非人間的な行動にもたじろがざるを得ない。それ以上にそれらを思う想像力の欠如にもたじろがざるをえない。
それにしてもこの国は幸いまだまだ平和であり、不況とはいえまだ殆どの人が飢えを知らない豊かさの中にある。しかしモラルの低下があり環境の悪化があり、テロや天災や新種の凶悪な病気の蔓延などの脅威が不安を呼び覚ます。世界的な環境の悪化や食糧不足にこの国が負の貢献をしているらしいと言う辺りからくるうしろめたさもある。そのうえジワジワと人類最大の愚行である戦争を「できる体制」に持ってゆこうと言う動きが加速してきているようで、私は本来は鮮やかで明るい絵、平和といのちへの喜びを描きたいと思っているのだが、なかなか描けないでいる。
私も四季の移り変わりの豊かなこの国土や文化遺産や個人の自由と尊厳を謳う憲法を持つものとしての自分の国を愛することにおいては人後には落ちないつもりだが、愛せよと強制されて国を「愛せるか」なと思う。愛国心と言う言葉が独り歩きするようにならせてはいけないと思う。それはその美名の下に、若者を死地に赴かせる口実になりかねない。だいたい、愛情とは対象がはっきりしていて生じるもののはずだが、国の実体とはなになのか、まさか日の丸や君が代ではあるまい。
「15分前」というのは奇妙な題名に見えるかもしれないが、制作中に起こったスペースシャトルの事故の衝撃からのものである。着陸予定の15分前に爆発した機内の、乗員のその瞬間に感じたものへの想像がこのようなイメージに発展した。つまり、突然眼前し直後にその中に自らを呑み込んだ死のイメージとは如何なものだったかと思いながら描いているうちに、このような絵ができたと言うことである。
戦争をはじめとしテロや災害や事故そして殺人や自殺と、数多の死の情報が周囲を飛び交っている現代、私自身もトシとともに周辺に縁者知友などの死に立ち会う機会が増えてきて身近なものになってきて、これについていろいろと考えさせられる機会が増えてきている。遺伝子など生命科学やコンピューター技術の進歩からは、人間を究極の機械(ロボット)と見ざるをえないことになるらしく、死後の生命の存続などは期待できそうに無い。となれば一人の人間にとって死は全ての終わりでありまったくの無への帰趨でしかなくなる。しかしもしそうだとしても「だから生も無意味」となるかどうか。いやむしろその逆にとるべきではないか。だからこそ生を大事にせねばならないのではないか。
私は死を思えば思うほど、ますます自分の生が愛おしく、その生を輝かせてくれる周囲の生の種々相が愛おしく、自らの死を思うといかにも恐ろしく悲しく寂しい。生きていれば悩みや苦しみも多いが、それも含めてこの生、宇宙規模で見るとまったく何億兆分の一かの確率で得られたに違いないかげがえのない人生と言うチャンスは文字通り有り難いものだと思い、この与えられた機会をできるだけ豊かに享受すべきではないかと切に思う。となればまだその生の入り口に立つたばかりで、そのなんなるかもわからぬような若者たちを死地に追いやる軍や戦争をはじめとして、自殺や暴力や犯罪の報道には心が痛む。
若者の自殺の多発が「死ぬな」に表れ、少女が同年輩の少女を殺した自爆テロの悲惨から「殺すな」と言う題名が生まれた。「いのち」は比較的平和な日常の中で、たまには明るい鮮やかな生命賛歌の表現でもできないかくらいの気持ちがあって描き始めたものだったが、11歳が4歳を殺す事件が起きて、たちまち画面に赤が広がり黒も舞った。被害者の断ち切られた短い生への愛惜の念とともに思うのは、まだまるであやふやな判断しかもてず周囲に押し流されながら育ちつつあった同年輩の頃の私自身を思い出してみても、かつて受け持った中学生たちを思ってみても、加害者も被害者であると言う思いである。子供は大人のまねをして育つ。子供の行動は大人の行動大人の社会の反映でしかない。さて私は常に「前方へ」進みたいと思いながら、この混沌とした時代に何を持って前方と見定めるべきかもわからず、ただシャニムニ足を前に出そうと努力を続けてうる。目前に迫る死を思えば何のためにと思いもするが、これが私にとっての生きている証であるなら致し方ないこと。
大作の後の息抜きのつもりで比較的小型のキャンバスに向かっていたときに、テイクリットでの二人の外交官の射殺の報が入り、私としては珍しく黒のタッチで描き始めることになって「銃声」と名付けたが、その後黒いタッチの作品が「たじろぐ」にいたるまで続いている。
以上事件を背景にした題名について書いてきたが、これらは題名についての解説であって作品についての解説としてはごく一面的なものである。それらから私が受けた衝撃がどのような影を落としているかくらいのことで見ていただきたいと思う。
 
初冬の一日、アトリエの床に転がった白菜が窓からの斜めの「冬日差し」を受けて光り輝いていた。食欲も含まれているかもしれないその色彩と光の変幻への感動を描き止められないかと思って描写してみた。
 私は近頃ますます描写を人の内面を肥やすための重要な行動と感じ、これが無ければ内面は空虚になり表現すべきものもなくなるのではないかとの思いを強めてきている。
 描写写生デッサンスケッチは、ただ見たりシャッターを押したりするよりも、はるかに多くの情報をわが体内にもたらしてくれる。例えば10枚の写真よりも一枚のスケッチの方が多くの記憶を呼び覚ましてくれる。デッサンでは、周囲の空間も含めて描写すれば空間の構造も追及できる。そして自然は美しく豊かで、情報の宝庫である。私は幸い毎週一回人体のデッサンをするグループに加わっており、デッサンや絵画を教える機会もあり、しばしば風景のスケッチにも出かける。おかげで物や空間を見る視覚の老化や減退くらいは防げていると思い、常に美に敏感な目を保持している自信につながっている。
 ある日花瓶に生けられた花の青を美しいと思った。しばらくして私は130号のキャンバスに鮮やかな青い色を塗り広げた。奥多摩の渓谷でのスケッチ会のあと青は変化して深みを増した。しかし日々の血なまぐさい情報はそれらの青を美しいままにしておいてはくれなかった。相変わらずイラクやパレスチナで自爆テロは起き続け、憎悪の応酬はますます燃え盛るばかり。花の青は紅葉を映していた渓谷のふちの深みの色を加えながらも苛立ちと不安の交差の中に変化し、一応「淵で」と名付けてみたがもうそれはただ美しく透明なだけのものではなくなっていた。次いで描き始めた作品も渦巻くニュアンスの淡い青から始まったが、ちょうど季節とて、吹きすさぶ空っ風の音が情報の嵐とあいまって「風に吹かれて」いる自分のイメージになって行ったようである。
 この二つの作品には、制作の途中から私自身と思われる形が登場してきたように思えるのだがいかがなものか。どちらも傾いて何かを耐えているように見えるかたちである。
 私は描写と抽象表現との相反する二つの領域で仕事をしてきた。このことの意味についてまた、今回はあまり並べられなかった描写作品については、最近やっと立ち上げたホームページを見ていただければと思う。「吉田敦彦」または「二刀流の画家」で検索していただけばよい。
 血液型のせいだろうなどとも言われるが、もともと私にはつねに相反するものの両方を対等に見る傾向があるようだ。生と死についての考察などもその一つだが、日常の問題においてもその傾向があって一種のバランス感覚として役立っているようで、その感覚から見ると宗教やイデオロギーのように一つの真理あるいは信念に凝り固まっていく傾向は、不自然なものに思え、なにごとにつけ一方の極に偏っていくものには反発し、全てを相対の中で捉え、バランスをとりたがる。
 セザンヌやゴッホに始まりピカソやポロックで順次加速した現代美術の流れを当然と受け止め、より現代的な試みに絶えず触角を伸ばしながら、印象主義的な描写やルネッサンス以来の古典主義的なものの見方を、もう時代遅れとか古いとかで片付ける気にもなれない。それはそれで現代においても価値のある見方であると思う。空間の秩序をしっかりと表現できもしないでは、新たな空間の創造などできっこないとも思う。今多くの現代美術に欠けているものを補いより豊かな表現を生み出すには、デッサンの復権が一番近道ではないかなどと考えたりしている。
 ああまた悲惨な事件がおきた。年金の問題などもあって、出口なしの閉塞感がひしひしと身に迫る。
 こんな時代に我々は何を描くべきなのか。

愚行・戦争 (F200) 

愛せるか(F100)

死ぬな(F50)

殺すな(F50)

15分前(F100)

いのち(F150)

前方へ(F100)

銃声(F20)

冬日差し(F6)

淵で(F130)

風に吹かれて(F130)

吉田敦彦展04出品作品解説

たじろぐ (F200 キャンバスにアクリル)

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