抽象への道・学生時代の作品から
東北大学文学部を5年かけて卒業して、中学校の美術科教諭として上京したとき、私は自分の作品の写真を撮って一冊のアルバムにまとめて持参しました。上京後間もなく出会った郷里出身の画家にこのアルバムを見せたところ「これはこのまま教科書に使えるね、印象主義から抽象絵画までの移行がそのまま表れている」と言われました。
と言うことで、ここにその写真の大部分を紹介しておきます。1960年のことですからモノクロですが、このうち数点の作品はその後めぐり巡ってきて手元にあります。兄や姉が保管しているものもあります。
私は当時のメモによると、高校2年の一年間に4切(B3)以上の水彩画を50点以上描いていました。これに加えて、油絵も描きはじめていましたし、授業では毎度風景画を描かされクラブ活動でデッサンもしましたから、作品点数は相当多数に上り、休日はほとんど毎日絵を描いて過ごしていた勘定になります。二宮不二麿と言う優れた美術教師とクラブ仲間との出会いがあったからでしょうが、テレビなどの無い時代、仙台市の郊外にいて家は貧しく、ほかにすることが無かったからとも言えます。
上野の美大に憧れたけれども、家計の制約で地元の大学の文学部美学美術史専攻コースを辿ります。大学の5年間も二宮先生の小さな美術研究所でデッサンを学びます。大学においては授業にはまじめに出席していましたが、ほかの時間のほとんどを納屋のような美術部室で過ごしていました。この二つの場所に良い先輩たちがいて仲間がいて、私の青春がありました。
学生生活前半は戦後の暗さを引きずった表現的な作風のもてはやされた時代でしたが、美術研究所で加藤正衛先生の清澄な抽象作品に出会ったことで抽象表現の可能性に目覚めました。後半にはアンフォルメルやアクションペインティングが紹介され、ネオダダなどの動きにも影響を受けます。卒論はムーアを中心に据えた現代彫刻についてのものでした。(吉田敦彦)
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