あうちすむ - 私はそんなに非生産的な存在か

答えはイエス。しかし、わずかな生産性を指摘する人もいる。

生産性の高い工場やアプリケーション・ソフトウェアなどは、それ自体に大きな価値があるとみなされています。
たとえば自分が運転しなくても、車を購入するにはお金が必要だし、
まったく商業に利用しなくても、Photoshopを使うためにはお金が必要です。

では、生産性のないものはどうなりますか?

私には生産性があるのでしょうか? 「ある」と思っている人もいました。
ですが、それは錯覚のようなもので、本当の生産性とは異なっていました。
錯覚は、いつまでも続くことはありません。
何らかの形で錯覚であることに気づいたなら、それはもう事実ではないとハッキリとわかるでしょう。

私は「非生産的」である以前に、「生産的である」という誤解を与えることが多い存在のようです。
この「誤解」が機能しているうちは、生産的とみなされていることになっています。
ところが、その誤解はいずれ解消され、「非生産的」であることが知られると、もはや以前の関係を保つことは不可能となります。

私は一方的な消費者か。

生態系において、真なる消費者というものは存在しません。
必ず、何らかの形で食物連鎖やエネルギー収支に関与しています。
これは私が人間であるからではなく、あくまで地球上の生物であることが理由です。
私が生きていることで利益を得る人もいれば、損害を被る人もいます。

ただ、損害が圧倒的に大きいというだけなのです。

消費者に認められるものがなければ、生産していることにはならない。

私が絵を描くことは、一見、生産的な活動であるかのように思われるかもしれません。
しかし、それに価値を見出す人がいなければ、私の活動は消費と変わらないのです。
どんなに主張しても意味はなく、声を上げれば上げるほど、消費者として活発になっているだけになります。

では、もっと高度な技術を身につけたらどうなのか。

もっともらしい意見であるかのように思われるかもしれません。
しかし、それが非常に困難であるということは、次の機会に説明したいと思います。


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