ケンジの物語 思い出
ボクの名前は、ケンジ。ポケモンウォッチャーだ。
今ボクは、サトシ、カスミたちと一緒にオレンジ諸島を旅している。
「ケンジ、今日はこの辺で野宿しようぜ」
「そうね。おなかも空いちゃった」
「そうだな。次の街まではまだだいぶあるし」
旅ばかりの毎日なので、みんな野宿には慣れている。テントを張ったり、食事やポケモンフードの準備をする。
「ボク、その辺で薪を拾ってくるよ」
「おう、頼んだぜ、ケンジ」
ボクは、少し離れた森の中へ入っていった。
少し薄暗い森の中は、ポケモンたちの気配でいっぱいだった。
ちょっと注意をこらせば、木の上にはオニスズメ。根本にはパラセクト。そして、向こうの草むらにはニドランをたやすく見つけることができる。
そのニドランの向こう側には……。
「うわー、観察させてもらいます!」
そこには、赤い色のマダツボミがいた。餌を食べているようだ。
ボクは薪を放り出し、肌身はなさず持ち歩いているスケッチブックと双眼鏡を取り出した。
少しずつマダツボミに近づきながら、風向きを確認する。幸いこちらが風下だ。「高さは……約0.8メートル。平均よりも少し大きいな」
草むらでスケッチブックにペンを走らせながら、ボクは以前にもこんなことがあったような気がした。
薄暗い森の中、真っ赤なマダツボミ……。
「いいか、ケンジ。私たちは彼らの生活を勝手に覗いているんだ。観察させてもらっているということを忘れるんじゃないぞ」
口癖のようにいつもそう言っていたのは、ボクの父さんだった。
父さんもポケモンウォッチャーで、ボクは幼い頃からいつも父さんと一緒に旅をしていた。
母さんは、物心ついた頃にはもういなかった。でも寂しくなんかなかった。いつでも父さんと一緒だったから。
旅に暮らす毎日は、とても楽しかった。父さんは器用な人で、食事の支度も、幼かったボクの世話も難なくこなしていた。そして、ポケモンたちをとても愛していた。
ボクのポケモンウォッチャーとしての基本や心構えは、すべて父さんに教えてもらった。
ボクにとって父さんは、オーキド博士と同じくらい、いや、それ以上に尊敬する人なんだ。
真っ赤なマダツボミは、餌を食べ終えてどこかへ行ってしまった。
でも、ボクはまだそこに座り込んで考えていた。
(いつ、あの真っ赤なマダツボミを見たんだっけ……)
そのとき、後ろから突然ウツボットが現れた。おなかが空いているようで、明らかにボクをねらっている。ボクはモンスターボールに手をかけた。
「頼むぞ、コンパン」
「コン、パン」
両者はしばらくにらみ合う。だが、草タイプのウツボットには、虫タイプのコンパンは強いはずだ。
ウツボットが溶解液を出した。コンパンは素早くよけると、眠り粉を出してウツボットの動きを封じた。
「いいぞ、戻れコンパン」
ボクはコンパンをモンスターボールに戻すと、その場から逃げ出した。バトルじゃないし、ゲットするつもりもない。必要以上にウツボットを傷つけるつもりはなかった。
息を切らして森の出口まできたとき、ボクは思いだした。以前真っ赤なマダツボミを見たときのことを。
あのときは、オレンジ諸島ではなかったけれど、南の地方で父さんとポケモンウォッチングをしていたんだった。
父さんがポケモンセンターに行かなければならない用事があって、ボクはひとりでラフレシアを観察していた。
そのときに見たんだ、森の奥に動く赤いマダツボミを。
父さんを呼びに行ってるひまはなかった。ボクは、そのままマダツボミを追って森に入った。
やはり森の中は薄暗かったが、ボクはマダツボミに夢中でまわりに気を配る余裕がなかった。
少しでもマダツボミに接近して観察しようとして、ボクは足下にいたアーボを気づかずに踏んでしまった。
「シャーッ!」
おこったアーボは、ボクに襲いかかってきた。
ボクは、そのときまだポケモンを持っていなかった。必死で毒バリをよけたが、アーボの蛇にらみで動けなくなってしまった。
勝ち誇ったようにアーボは大きく口を開けた。
(溶解液だ!)
やられる、と思ったボクは目をつぶった。
「コンパン、体当たりだ!」
その瞬間、父さんの声がして、コンパンは激しくアーボにぶつかっていった。 バランスを崩してアーボが倒れたので、蛇にらみが解けてボクは動けるようになった。
「コンパン、眠り粉だ!」
「コン、パン」
コンパンの眠り粉が効いて、アーボはその場で眠り込んでしまった。
「さあ、アーボが目を覚まさないうちに逃げるぞ」
父さんは、座り込んでいるボクの手を引いて歩き出した。
ボクは振り返ってみたけど、もう真っ赤なマダツボミはいなかった。
ボクは、てっきり父さんに叱られるとばかり思っていた。だけど、ボクの話を聞いた父さんは一言も叱らなかった。
そして、ボクにモンスターボールをくれた。それは、さっきのコンパンのモンスターボールだった。
「おまえも、そろそろ自分のポケモンを持つ年頃だな」
レーダーアイを使うコンパンは、父さんのお気に入りのポケモンだった。
「いいの、ホントに?」
「大切にするんだぞ」
「ハイッ!」
父さんは、ボクを見てにっこり笑った。ボクは、初めてポケモンを手に入れて、うれしさと誇らしさで胸がいっぱいになった。
あのときもらったコンパンは、モルフォンに進化して繁殖のために旅立って行った。今ボクの持っているコンパンは、自分でゲットした2代目だ。
真っ赤なマダツボミは、あの日に見たんだった。
そういえば、父さんにしばらく電話もしていない。
父さんは、今はモエギシティに落ち着いて、大学に勤めながら今までの研究をまとめて本にする仕事をしている。
明日、街に着いたら父さんに電話してみよう。また真っ赤なマダツボミを見たこと。コンパンをもらった日、ボクたちのいた場所はどこだったのか。それがわかれば真っ赤なマダツボミの生息場所と発生原因を調べる手がかりになるかもしれない。
「おーい、ケンジ。薪拾いにどれだけ時間かかってるんだよ」
サトシとカスミがやってきた。そういえば、さっき拾った薪がひとつもない。 カスミがボクの手にあるスケッチブックを見て、にやりとした。
「どーせまたポケモンみっけて、『観察させてもらいまーす』ってやってたんでしょ」
「悪い、悪い。つい……」
「さっさと拾って、メシにしようぜ。オレ、もう腹減っちゃって」
「ピカチュー」
サトシとピカチュウが、恨めしそうにボクを見る。
「よし、お詫びに今日はボクが特製の晩御飯を作るよ」
「やったー。オレ、ハンバーグ」
「あたし、オムライスね」
「OK」
薪を拾いながら、ボクはマダツボミのいた森の奥を見た。もう暗くなっていて何も見えないが、そこには生きているものの気配が濃密に漂っていた。
(いつかまた、観察してみせるさ。なあ、コンパン)
ボクは、そっとコンパンのモンスターボールをなでた。そして、おなかを空かせた2人のために、食事の支度に取りかかった。
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