邂逅
しばらく雨が降らないので、道は埃っぽく乾燥していた。
微かな土煙をあげながら歩いているのは、犬夜叉たち一行であった。
ふと、犬夜叉が顔をしかめた。
「血の匂いがする……、それも、かなりの量だ」
それまでのんびりと歩いていた一行に、緊張が走る。
「急ぎましょう」
弥勒が言うと、珊瑚が頷き、雲母が変化した。二人がまたがると、雲母は宙に浮いた。
犬夜叉はかごめを背負い、かごめの肩に七宝がしがみついた。
一行は、血の匂いの元へと、全力で駆け出した。
「こいつぁ、ひでぇ……」
そこは、小さな集落だった。そこら中に引き裂かれた肉体が横たわり、血だまりが池のように
なっている。
「生きてる者は、おらんのか?」
むせ返るような血の匂いに、七宝は口元を抑えながらいった。だが、その問いに答えられるような
村人はいなかった。
「……妖怪の仕業、でしょうね」
弥勒は、遺体に残された爪あとを確認しながら言い、合掌した。
「そうだろうね。だけど、こんな酷いのって……」
顔をしかめながら、珊瑚は弥勒に同意した。妖怪退治屋の彼女でも、このように残虐に村を全滅させた妖怪は、あまり見たことがなかった。
「ねえ、この子生きてるわ! ……けど……」
(けど?)
皆は急いで、かごめの元へ集まった。そして、倒れている娘を覗き込んだ。
「……桔梗?!」
犬夜叉の身体は凍りついた。そこに倒れている娘は、不思議なほど桔梗に似ていた。桔梗に似ているということは、もちろんかごめにも似ている。しかし、彼女の青白い頬、どことなく薄幸そうな雰囲気は、桔梗に酷似していた。
「……違うわ、犬夜叉。桔梗じゃない」
静かに、静かすぎるほど静かに、かごめは言った。
「……そうだね。髪形も違うし」
珊瑚も言った。桔梗が前髪を額で切り下ろしていたのに対し、この娘は前髪を伸ばし、形の良い額をあらわにしていた。
「それに、この身体はまがい物ではない。まぎれもなく生きている人間の肉体です。とりあえず、どこかに運んで手当しましょう」
そう言うと、弥勒は娘を抱き上げた。娘は、微かに目を開いた。
「……鬼……」
掠れた声でそう言うと、娘の目は、再び堅く閉ざされた。
(鬼?)
それでは、この村は鬼に襲われたのだろうか?
弥勒は、比較的荒されていない家の中へ娘を運び入れながら、彼女の言葉の意味を考え続けた。
娘の身体には傷一つなかった。それにもかかわらず、彼女は3日間眠り続けた。
「どーなってんだ、これは」
呟くように、犬夜叉は言った。しかし、それはここにいる全員の疑問だった。
桔梗によく似た彼女の出現で、犬夜叉とかごめの間には、微妙に気まずい空気が漂っていた。
(あの子は桔梗じゃないんだから……)
そうは理解っていても、かごめは、彼女を見る犬夜叉の目つきを意識せずにはいられなかった。
彼女の意識が戻らないことには、旅を続けるわけにも行かないので、一行は3日間彼女の看病と、襲われた村人の埋葬をして過ごした。
かごめに気を遣って、彼女の看病は、主に弥勒と珊瑚がした。特に弥勒は熱心だったが、皆はいつもの女癖の悪さだと思って、呆れただけだった。
「……う………ん………」
娘はうなされていた。額に浮かんだ脂汗を拭おうと、弥勒が手をのばしたとたん、急にはね起きた。
そして、敵意に満ちた瞳を弥勒に向けた。
「気がついたのかい?」
ちょうど水を汲みに行っていた珊瑚が戻ってきた。睨みつけている娘と、弥勒の伸ばしかけた手を見て、しかめ面になった。
「また! 法師さまは、どうしてそうなの」
「誤解ですよ、珊瑚。私は、ただ、彼女の額の汗を拭おうと……」
2人のやり取りを見ているうちに緊張が解けたのか、娘は倒れそうになり、片肘をついた。
「大丈夫ですか?」
弥勒は、彼女に手を貸してきちんと座らせてやった。今度は、彼女も抵抗しなかった。
「……ここは?」
「村の家だよ。……気の毒だったね、村の人たち、みんな……」
珊瑚は、優しく言った。彼女の里も妖怪に全滅させられており、1人残された娘に対してかなり同情していた。
「……死んじゃったのね、みんな……」
そう呟く娘の表情には悲しみの色はなく、濃い絶望感だけが漂っていた。
「おまえの名前は?」
「……」
弥勒の問いに、は小声で答えた。
「村人たちは、私たちの手で埋葬しておきました。……しかし、はこの村の者ではありませんね?」
の表情に気づいていた弥勒が言った。は、無言のまま頷いた。
「え? そうなのかい? それじゃ、どうしてこの村に?」
珊瑚は驚いて言った。の服装は旅装束ではなく、どう見ても普通の生活をしている村娘のものである。
珊瑚の問いには答えようとせず、はよろけながら立ち上がった。
「どうしたんだい?」
「厠へ……」
「大丈夫? ついていこうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
は初めて笑みを浮かべると、そっと小屋の外へ出た。
「……法師さま、どう思う?」
「たまたまこの村の親戚のもとへ遊びに来ていた、という訳ではないようですね。あまり話をしたがらないようでしたが」
弥勒は、の表情が気になっていた。嘆くでもなく、悲しむでもなく、そこにあったのは深い絶望――やはり、村人たちの死に、あの娘は関係しているのだろうか。不思議に桔梗やかごめに似た、あの娘が?
「……ねえ、遅くない? もしかしたら、どこかで倒れているのかも」
小屋の外を窺いながら、珊瑚が言った。彼女は、まだ充分に回復していなかった。やはりついていくべきだったのかもしれない。
珊瑚の言葉に弥勒は、ハッと顔をあげた。
どうして気づかなかったんだろう。あの娘は、自分の生に絶望しているのかもしれないということに。
もしもそうだとすると……。
「珊瑚、彼女を探そう!」
そう言うと、弥勒は小屋を駆け出していた。珊瑚と雲母が後に続いた。
は、無我夢中で歩いていた。自分がどこに行きたいのか、何をしようとしているのかはわからない。
ただ、ここにいて、あいつに見つかるわけにはいかなかった。
まだ充分に回復していない身体は、幾足か歩くごとによろめいた。そのたびには舌打ちをし、心の中でこの忌まわしい身体を呪った。
やがて目の前に沼が見えた。は足を止めて、鈍く光る水面を見つめた。
―――やっと、自分のなすべきことがわかった。は、石を拾いはじめた。
「弥勒、そんなに慌ててどうしたんだよ」
懐に手を入れたまま、のんびりとした調子で犬夜叉は言った。かごめは七宝と一緒にどこかにいるらしい。
犬夜叉は1人だった。
「犬夜叉、ちょうどいい! あの娘の匂いを追ってくれ!」
弥勒の真剣な表情に気圧され、犬夜叉は黙って鼻を動かした。
「こっちだ」
ひらり、と飛ぶように走る犬夜叉の後を、弥勒と珊瑚は変化した雲母に乗って追った。
(どうか、間に合ってくれ!)
祈るような気持ちで、弥勒は犬夜叉の後姿を見つめていた。
まだ出会って間もない、ろくに話もしていない娘だが、彼女には何かただならないものがあると、弥勒の直感は告げていた。
「ここで匂いは途切れてるぜ」
犬夜叉が案内したのは、沼のほとりだった。弥勒は水面を見つめた。沼の真ん中あたりに水の泡が浮かんでは消え、そこから水の輪が広がっている。
(間に合わなかったのか?!)
考えるよりも先に、弥勒は水の中に入っていた。沼は深く、弥勒は大きく息を吸うと水の中に潜った。
絡みつく藻の中に、弥勒は彼女の着物の桜色を見つけた。
手を伸ばし、彼女をしっかりと抱きかかえると、弥勒は水面に浮上した。