2009/02/08 追加
erudition-0056
ダサイの語源……「下らな」くて「ダサイ」蘊蓄
まず以下の文章で埼玉県民を激怒させかねないことを予めお詫び申し上げたい。

私の蔵書「暴れん坊少納言」は清少納言を主人公とする現代風のコメディー漫画である。
したがって舞台設定は平安時代風であるが、登場人物は現代風に描かれている。
「平安時代」と思って読み進めると「ダセエ/超ダセエ(ダサイの音便)」「最悪にダサイ」などというセリフが書かれてある。
この語に私は相当の違和感を覚える。なぜならば、「ダサイ」は軽々しく使う言葉でないからである。

私の記憶が正しければ、ダサイの語源は下記の文章の省略形である。

カラ(アナタ)サイタマに住んでいるのね〜(笑)。
現代日本東京至上主義者が、郊外(とくに一部地域)に住む者の「泥臭さ」「垢ぬけなさ」をトコトン嘲笑する言葉であることが良く解る。

東京人のみならず埼玉人も、ありとあらゆる日本人に「ダサイ」などという語を使われると、私は思わず
何と「下らない」ことを言っていやがるのだろうかw。
と嘲笑したくなる。

今でこそ東京に向かう鉄道路線を「上り」と称する。しかしながら、江戸時代まで日本において「上り」とは京都近辺の「上方(かみがた)」へ向かうことを示した。
すなわち、「上方」から「江戸」に向かうことは本来「下り」だったのである。当時、産業基盤が充分発達していなかった関東地方では「上方」の文物を「下り物」と呼んで珍重した。一方、地場産業の作ったものは「下り物ではない」という意味で「下らない」と呼んで蔑視したのである。

まことに「ダサイ」などという言葉は「下らない」と言えよう。
ゆえに「ダサっ」「ダセエ」「ダサイ」などと言われれば「ダサイという言葉自体が『下らない』」と言い返してあげよう。こういう蘊蓄も「下らない」と言えようがw。