私の蔵書「暴れん坊少納言」は清少納言を主人公とする現代風のコメディー漫画である。
したがって舞台設定は平安時代風であるが、登場人物は現代風に描かれている。
「平安時代」と思って読み進めると「ダセエ/超ダセエ(ダサイの音便)」「最悪にダサイ」などというセリフが書かれてある。
この語に私は相当の違和感を覚える。なぜならば、「ダサイ」は軽々しく使う言葉でないからである。
私の記憶が正しければ、ダサイの語源は下記の文章の省略形である。
ダカラ(アナタ)サイタマに住んでいるのね〜(笑)。
現代日本東京至上主義者が、郊外(とくに一部地域)に住む者の「泥臭さ」「垢ぬけなさ」をトコトン嘲笑する言葉であることが良く解る。
東京人のみならず埼玉人も、ありとあらゆる日本人に「ダサイ」などという語を使われると、私は思わず
何と「下らない」ことを言っていやがるのだろうかw。
と嘲笑したくなる。
今でこそ東京に向かう鉄道路線を「上り」と称する。しかしながら、江戸時代まで日本において「上り」とは京都近辺の「上方(かみがた)」へ向かうことを示した。
すなわち、「上方」から「江戸」に向かうことは本来「下り」だったのである。当時、産業基盤が充分発達していなかった関東地方では「上方」の文物を「下り物」と呼んで珍重した。一方、地場産業の作ったものは「下り物ではない」という意味で
「下らない」と呼んで蔑視したのである。
まことに「ダサイ」などという言葉は「下らない」と言えよう。
ゆえに「ダサっ」「ダセエ」「ダサイ」などと言われれば
「ダサイという言葉自体が『下らない』」と言い返してあげよう。
こういう蘊蓄も「下らない」と言えようがw。