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我門 隆星 書評 (NA-R2D44D-0001) : 女の子が死ぬ話
[書籍データ]
書籍コード: NA-R2D44D-0001
著者名:柳本,光晴(B)
書籍名: 女の子が死ぬ話
(VOL:0, DUP:0, C)
表紙買い厳禁。

 身も蓋もなく、タイトルそのままの重厚ストーリー漫画。
 読む人を選ぶうえに評価は分かれる。おまけに、人物の絵柄は、今一つキュービズムの度合いが強い。
 けっして悪い本ではない(悪ければ、枕頭に置いて繰り返し再読しない)。
 というのも、さまざまな視点を持って読むと、かなり深い味わいが出るからである。
 第3話・「海に願いを」の、効果音のない浜辺のワンカットは、映画の1シーンのように味わい深い。
 が、病床にあった身としては、むしろ第3話の抜け毛を見て「あ……ひっぱっちゃった」にリアリティを感じるであろう。
 第4話・「瀬戸遥」における「行ったらきっとびっくりすると思うだろうけれど/豪邸だから」の後の高校生二人の会話「菓子折りとか持っていったほうが」という会話に、リアリティを感じる向きもあるだろう。
 圧巻は第5話「思い出に変わるまで」の、ヒロイン瀬戸遥の母親に対するセリフであろう。すなわち、フェネックキツネのぬいぐるみを見たままの遥の言うセリフ「何でもいいから2、3ヶ月分(の本を買ってきてくれ)」は覚悟(自らの死期・2〜3ヶ月)を決めたほうはともかく親にはたまらないボディーブローが来るであろう。むしろ、そのあとの「私が死んだらこの貝がら/私といっしょに棺に入れてね」という微笑のほうが「来る」かもしれない(直後、母親は病室の外でうずくまる)。
 もっとも私は第7話の手を握るシーンのほうがたまらない。「和哉また手/握ってもいい?」と遥が言う直後のシーンである。和哉は痩せこけた遥の手を握り「何の力も感じない」「遥/本当に……」と想いを寄せた「女の子」に迫る死を実感する。「何の力も感じない」どころか「まさに命が流れ尽きようとしている」事を実感した者として、このシーンはたまらない。
 お話を作るうえで、作者はどれだけ登場人物に残酷になれるかが、作品の良し悪しを決めると考える向きがある。ならば、本作は紛れもなく残酷であり、最高の作品と言える(個人的には、最後の蛇足の「8年前」が一番残酷だと思う)。
 恋愛三角関係に悩んだ身にも、同学年生徒の死に遭った身にも、肉親をなくした身にも、なかなか「来る」良い作品ではある。だが、「誰に対してもオススメできる作品」とは、言い難い。
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