ディヴェルティメント  Op94




 街の中心から少し外れた場所……。
 其処は酒場や賭場が建ち並ぶ。
 酒を求め、女を求め、金を求め……快楽を求め人が集まる。



 「今日は此処で打つか」
 三蔵は小さく呟くと一件の雀荘の扉をくぐる。
 その雀荘を選んだのはただの偶然だった。
 ただ偶然目に入っただけだ…。

 「いらっしゃい。兄さん初顔だね」
 「席は空いてるか?」
 三蔵がそう言うと一人の男が立ち上がる。
 「丁度ココ空いたぜ。入れよ」
 紅く長い髪をした、いかにも遊び人風の男だった。
 「レートはどうする?」
 「任せる…」
 三蔵はそう言い空いた席につく。
 「じゃあ普通ぐらいにしとくか。
 アケミちゃんとのデート代がいるから稼がせてもらうぜ」
 男はそう軽い口調で言う。
 「おい悟浄…ルリコちゃんはどうしたんだよ」
 「あれはもう過去の話〜〜」
 そんなくだらない話をする二人から目をそらした時、その男が目に入った。
 こんな薄汚れた雀荘には合わないような清潔な感じのする男だった。
 麻雀というよりもチェスなどの方が似合うような…。
 「どうかしましたか?」
 その男は三蔵が自分を見ている事に気が付くとそう言い小さく微笑む。
 「いや…」
 三蔵は短くそう言い目を反らす。
 ほんの少し見ただけだと言うのにその瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
 上品な…宝石のような輝きをした瞳。
 それでも派手すぎず、清楚なイメージのする…そんな翠色。
 少し動くたびにサラサラとした柔らかな茶色の髪が揺れる。
 細く長い指が牌に触れる…。
 そんな一つ一つの仕草から目が離せられない。
 こんな事は初めてだった。
 ほんの数分前に会ったばかりで、一言しか言葉も交わしていない。
 それなのに、こんなに気になるのはどうしてなのだろう。
 不思議だった…。
 ただこの世界において珍しい人種だったからだけなのかも知れない。
 なぜこんな雀荘にいるのだろう。
 腕からして玄人とは思えない。
 趣味で…とも見えない…。
 ならば何の為に…。
 
 「デート代稼がせて貰っちゃってワリ〜な〜。
 どうする?もう半荘やる?」
 その回トップの悟浄が掛け金を受け取りながら笑顔でいう。
 この半荘、流れは悟浄にあった。
 そしておそらく悟浄は玄人だろう…。
 そう三蔵は感じ取った。
 でもそれ自体は別にどうでもよかった。
 「ああ」
 三蔵は懐から札束を取り出す。
 そしてその百万はあろうかという札束を卓の上に投げる。
 「ただしお前とサシウマの勝負を申し出たい」
 三蔵は悟浄ではなく翠色の瞳の男に向かってそう言う。
 「僕…ですか?」
 男は困った様に笑う。
 「でも僕こんなにお金持ってませんし…それに見合うだけの物もありませんから」
 「賭けるのはお前自身でいい。
 この金に十分見合うだろう…いやもう少し金の方足さねえと見合わねえか」
 そう言い八戒に触れようとする三蔵の手を悟浄は自分の手で払う。
 「八戒!そんな勝負受けることねえぞ」
 悟浄は三蔵に向かってガンを付けたまま八戒に言う。
 初めてあった、それも男相手にそんな大金を払って自分を賭けろなんて言う男はろくな奴じゃないだろう。
 「お前が決めればいいさ。
 どうするんだ?」
 三蔵の言葉に八戒は俯き、少し考えてから小さく頷く。
 「分かりました…その勝負お受けします」
 「八戒!?」
 驚きに声をあげる悟浄に八戒はゆっくりと笑う。
 「大丈夫ですよ、悟浄」


 それから直ぐに勝負はついた。
 八戒の圧勝という形で。
 それまでとは比べ物にならない強さだった。
 「お前の勝ちだな。
 持ってけよ」
 三蔵は小さく笑うと札束を八戒に向けて投げる。
 八戒はそのお金を笑顔のまま返す。
 「これは受け取れません」
 「そうか…」
 三蔵はさして気にする様子もなくその金をしまう。
 「代わりに酒でも奢ろう。
 それぐらいはいいだろ?」
 「ええ」
 直ぐにそう答える八戒に悟浄が慌てて立ち上がる。
 「おい、八戒…」
 「大丈夫ですよ」
 先程と同じように悟浄をやんわりと笑顔で止めると三蔵と共に卓を離れる。
 「余り遅くならないうちに帰りますから」
 「お〜い…八戒さ〜ん……」
 やや小さな声でそう言うが二人の姿はそのまま店から消える。
 悟浄は椅子に腰を掛けるとポケットから煙草を取り出し火をつける。
 「普通あんなアヤシー奴についてくか?」
 そう呟き頭を抱える。
 あんな勝負の後にどうしてそうも簡単について行くのだろう。
 八戒には危機感というものがないのだろうか…。
 「まあ八戒さんも男なんだし、そんなに心配することないって」
 麻雀仲間の男が悟浄にそう慰める。
 「まあ…そうなんだけどさ…」
 悟浄は溜息を吐くとまだ大して短くなっていない煙草を灰皿におしつける。
 「しかし八戒さんがあんなに強いなんて俺知らなかったよ」




 「何が目的なんですか?」
 雀荘から少し離れた酒場で八戒は三蔵にそう問う。
 「目的?」 
 三蔵は煙草に火をつけながら半ば惚けるように答える。
 「そう、目的です。
 普通目的もなく男の僕相手にあんな大金でサシウマ勝負したり、お酒に誘ったりしなくないですか?」
 「じゃあ普通じゃないんだろう」
 さらりとそう返す三蔵に八戒は呆れたように溜息を吐く。
 最初、いきなりサシウマ勝負を申し出られた時は何処かに売られるんではないか、とも考えたが…。
 八戒はそっと三蔵を見る。
 薄暗い店の中だというのに三蔵が輝いて見えるのは金髪のせいだけではないだろう。
 この男自身が輝いているのだ…。
 賭場でも酒場でもサマになる。
 一見冷たそうに見えるが…悪い人ではなさそうだ。
 「名前…聞いてもいいですか?」
 少し様子を伺うようにそう尋ねる。
 「そういえば言ってなかったな『三蔵』だ」
 「僕は…」
 「『八戒』だろ」」
 八戒が自分の名前を言うよりも先に三蔵がそう言う。
 「さっき『悟浄』がそう呼んでいたからな」
 きょとんとする八戒に三蔵はそう言葉を続ける。
 「あ、そうですね」
 そう言って八戒が笑う。
 雀荘で見せた笑顔とは少し違う…もっと自然な笑顔。
 これが八戒の本当の顔なのだろうか…。
 「お前、アイツのオヒキなのか?」
 「え…」
 その言葉に八戒が止まる。
 「気が付いたんですか?」
 確かに八戒は悟浄のオヒキをしてた。
 でも悟浄の巧みな話術と極力抑えた通しで今まで誰にも気がつかれた事は無かった。
 それなのにこの男は一度打っただけで見抜いたのか…。
 コンビで打ったのは最初の半荘だけだったのに。 
 「今まで誰にも気づかれた事なかったのに…。
 どうして分かったんですか?」
 不思議そうに八戒は三蔵の顔をのぞき込む。
 そのために近づいた八戒の手首を掴み自分の方へと引き寄せる。
 「…ちょっと…」
 バランスを崩し、八戒は三蔵の肩口に倒れかかる。
 「ただずっとお前を見てたから気づいた。
 それだけだ…」
 「え……」
 顔を真っ赤にして慌てる八戒の腰を三蔵は言葉を続ける。
 「お前さっき『目的』聞いてたよな」
 「…ええ」
 「お前に興味があったからだ。
 一目見たときからお前に惹かれた…」
 慌てて三蔵から離れようとする八戒を三蔵はそのまま強く抱きしめる。
 「お前が好きだ」
 「待って下さい…ちょっと…離して下さい」
 自分の胸を押して暴れる八戒に渋々三蔵はその手を離す。
 「待って下さい…。
 僕男ですよ」
 そう言い俯く八戒は本気で嫌がっているようには見えない。
 「関係ない。…迷惑だったか?」
 「そ…そう言うわけじゃないですけど。
 そんな事突然言われても…」
 恥ずかしそうにそう言う八戒は三蔵に好意を持っている様にも見える。
 「そうか、悪かったな」
 三蔵は軽く八戒の髪に触れる。
 「僕もう帰りますね。
 ご馳走様でした」
 また顔を赤く染め、八戒そう言い三蔵から離れる。
 「一つ聞いてもいいか?」 
 その言葉に店を出ようとした八戒は三蔵の方を振り返る。
 「なんですか?」
 「お前なんでアイツのオヒキなんかやってるんだ?」
 八戒を酒に誘った理由…。
 一つは八戒に言ったとおり八戒自信に興味があったから。
 そしてもう一つは…。
 「…………」
 実力があるのにそれを抑えて打っていた八戒の麻雀…。
 一局目からずっと気になっていた。
 自分を抑えて打っている…そう思えてならなかったから。
 案の定、サシウマ勝負の時の八戒はそれまでとは比べ物にならない程の強さを見せた。
 なぜ自分を抑える必要があるのだろう。
 オヒキだから…?
 いや、そもそも悟浄なんかのオヒキをする必要はない。
 恐らく悟浄よりも八戒の方が実力は上だろう。
 ではどうして…。
 八戒はゆっくりと笑顔を作る。
 初めて見たときと同じあの笑顔を…。
 「…それは……秘密ですv」



 光の差さない真っ暗な森の小道を走り抜ける。
 ドキドキと胸が高鳴るのは走っているから?
 それとも……。
 あんな人は初めてだった。
 まるで全身から光を放っているようで…。
 闇にいなくてはならない自分を…照らす…。
 意志を持った強い瞳はまるで宝石の様に美しくて、見ていると引き込まれてしまいそうで…。
 あの瞳で問いかけられると何もかも答えてしまいそうだった。
 だからあの人の近くにはいられない。
 まだ誰にも知られてはいけないのだから…。
 あの人は危険だ…。
 「あれ…電気がついている…」
 家に明かりが灯されている。
 八戒は悟浄と暮らしているが、こんな早い時間に悟浄が家にいるなんて…。
 「ただいま帰りました。
 悟浄、いるんですか?」
 そっと扉をあけると直ぐに悟浄の姿が目に入る。
 「おかえり〜」
 ソファーの上に寝っ転がったまま悟浄がそう言う。
 ずっとそこにいたのか、ソファーの周りには雑誌やらなんやらが散らばっている。
 「こんな時間に帰ってるなんて珍しいですね。
 今日はアケミちゃん、いいんですか?」
 散らばった雑誌を拾い集めている時にテーブルに置かれた灰皿が目に入る。
 朝は何も入ってなかった灰皿が今はもう一杯になっている。
 溢れそうな吸い殻はどれもまだある程度の長さが残されている。
 悟浄はそんなに煙草を早く消す人でもないのに…。
 もしかして…。
 「もしかして心配かけちゃいましたか?」
 「別に心配したワケじゃねえよ…。
 今日はアケミちゃん忙しそうだったし、それに…ごにょごにょ…」
 悟浄は雑誌で顔を隠す。
 「ありがとうございます」
 小さな声でそう言い、そっと悟浄の背中にもたれ掛かる。
 悟浄は優しい。
 見ず知らずの人間を拾って、家においてくれて…。
 そしてこう心配までしてくれる。
 その悟浄の優しさについつい甘えてしまう。
 本当は心配して貰えるような人間では無いのに。
 悟浄に黙っている事は沢山ある。
 本当の事はほとんど隠しているような状態だ…。
 でも悟浄は何も聞かないでいてくれている。
 …本当の事を知ったら悟浄はどうするのだろう。
 「…悟浄…」
 自分のしている事は彼の優しさを裏切る事になる。
 それでも自分は……。





 その数日後、三蔵は再び八戒を雀荘で見かけた。
 と言ってもこの間の雀荘ではない。
 あの雀荘からはかなり離れた場所にある雀荘だ。
 それも余り良い所とは言えない…いわゆるゴロツキたちの溜まり場的な場所…。
 おまけにそこに悟浄の姿は無く、八戒一人であった。
 「兄さん場所空いたぜ、入るか?」
 「いや、今はいい…」
 三蔵は空いた席にはつかず、店の端に立ったまま八戒を見る。
 八戒が今打っている半荘が終わったら声をかけるつもりだった。
 しかし途中で様子がおかしい事に気が付く。
 八戒がわざと負けるように打っている様に見える。
 八戒が決して弱くない事はあの一度の勝負で分かっている。
 だが今の八戒の打ち方はどうだ…。
 悟浄のオヒキとして打っていた時よりもかなり酷い。
 見え見えの所に振り込んだりしている。
 当たり前の様に、八戒がハコテンになり勝負が終わる。
 その後怒鳴るような男の声が店内に響く。
 そして男は八戒の腕を掴むと店の外へ出る。
 「…何やってんだ…アイツ…」
 三蔵はそっと二人の後を追って店を出た。


 店の裏は丁度複数の店にふさがれ死角になっていた。
 男には仲間が居たらしく、八戒は数人の男達に囲まれる状態になる。
 「金も持たずに賭場に来るってどういうコトだ?」
 「ダメだよ、お兄さん。ちゃんとお金持って来ないと」
 男達がそう言い寄る中、八戒は身動き一つ取らない。
 逃げる事も抵抗する事さえも、しようとすらしていないのだ。
 「すいません、払えないんで僕の事殴ってください」
 八戒は相手を真っ直ぐに見たままはっきりとそう言う。
 …まるでそれを望んでいるかのように。
 「道理ってのをわきまえてんじゃん。
 でもせっかくの美人さんを殴るってのも勿体ねえし、ここは俺たちのお相手してくれればチャラにしてやるけど?」
 「どちらでもいいですよ」
 八戒は男の言葉に表情を変える事もなくさらりとそう言う。
 「へえ、いい度胸だな、覚悟しろよ」
 すかした八戒の態度が気に入らなかったのか男は力任せに八戒を地面に押し倒すと上着に手をかける。
 「まあ、お前も楽しませてやるからよ」
 そう言い男の手が八戒の上着の中に入り込む。
 そこまでされても八戒は全く抵抗しない。
 人形のようにただ為すがままにされている。
 どうして…。
 「おい、やめろ!」
 三蔵の声に男達が振り返る。
 「さ…三蔵さん…」
 それまで何をされても全く変わらなかった八戒の表情が初めて変わる。
 バツが悪そうに目を反らす。
 「兄さん何の用だ?
 てめぇには関係ねぇ事だろ?口だすなよ」
 「ソイツの負け分は俺が払う。
 だからソイツを離せ」
 そう言い三蔵は多めの札を男に向かって投げつける。
 しかし男はその金を取ろうとしない。
 「わりーけど、ここまできたら金なんか関係ねえんだよ!」
 そう言い男は八戒の上着を引き裂く。
 「……ッ!」
 その瞬間、弾丸が男の頬ギリギリの所を掠めていく。
 「もう一度言う。
 ソイツを離せ」
 銃口を向け、そう言う三蔵にさすがにヤバいと思ったのか、男は八戒から手を離す。
 「その金持ってとっとと失せろ!」
 「……行くぞ!」
 三蔵の様子に男達は金を拾うと逃げるように去っていった。
 
 「大丈夫か?」
 三蔵は自分の着ている上着を脱ぐと、まだぼんやりとしている八戒にそっと掛ける。
 「何であんな事をしたんだ?」
 「貴方には関係ありません」
 八戒は三蔵を見ないままそう答える。
 三蔵は両手で八戒を囲うようにする。
 そして正面から八戒を見る。
 それでも八戒は三蔵から視線をそらし続ける。
 「どうしてなんだ…」
 三蔵は苦しそうにそう言う。
 自分の事ではないのに。
 他人の事なのにどうしてこの人はこんなにも辛そうなのだろう。
 「三蔵さん……」
 八戒はまだ迷いながらも、ゆっくりと口を開いた。




 ……昔、一人の女性と暮らしていた。
 互いだけを見て…。
 その人は自分の姉であったが自分は心の底から彼女を愛していた。
 両親も居なくてロクに仕事も見つけられなくて…それでも二人で暮らして往かなくてはならなくて…。
 多少麻雀が出来たので、とある雀荘で雀ボーイとして働いた。
 それなりに仕事も順調でなんとか二人で、ささやかではあるけれど幸せな生活をする事が出来た。
 ……あの日までは……。

 ある日店にマフィアのグループがやってきた。
 ソイツらは雀荘荒らしで有名だった。
 でも店で打つことを禁止すれば店は潰される。
 だから皆、誰がカモにされようと見て見ぬ振りをするしかない。
 自分の番が来ないようにと祈りながら。

 「メンツが足りないな。
 …君、雀ボーイなんだろ?入れよ」
 
 ある日遂に自分の番が来てしまったのだ。
 払えるはずもない暴利な掛け金。
 それでも拒否をする事の出来ない勝負…。
 誰もどうする事もできない…してくれない…。
 


 「それでどうしたんだ…」
 途中で黙ってしまった八戒に三蔵がそっと聞く。
 「勿論負けましたよ…。
 そして…払えないお金の代わりに…奴らは彼女を連れて行きました…」
 少しずつ話す八戒の声が震える。
 そして瞳から溢れだした涙が頬を伝って落ちる。
 「彼女は数日後自殺しました…」
 「八戒…」
 三蔵はそっと八戒の体を抱きしめる。
 「何故彼女が死ななくてはならないのですか?
 僕が…僕が死ねば良かったんだ!」
 「だからあんな事をしているのか?」
 「そうですよ…だから邪魔をしないで下さい…」
 ああやって自分の体を傷つけて…。
 そうしなければ生きていけない。
 彼女がされたように多くの男達に力尽くで抱かれて…。
 それで罪が償える訳ではないけれど…それでも…。
 そうする事しか出来ないから…。
 「分かった…俺が抱いてやるよ…」


 「八戒……」
 ホテルの一室のベッドに横になり、八戒はぎゅっと目を瞑る。
 三蔵がベッドに上がりスプリングが軋んだ音をたてる。
 その音に八戒は身を固くする。
 今まで何度か男に抱かれた事はある。
 罪滅ぼしだと思って…。
 それでも何時になってもこの行為に慣れることはない。
 力尽くで抱かれる事にはやはり恐怖を感じる。
 「八戒…力を抜け…」
 三蔵の手が優しく八戒に触れる。
 安心させるようにそっと腰のラインをなぞる。
 そして唇をうなじに寄せ軽く吸い上げる。
 「ん…やっ……」
 三蔵の唇が触れた瞬間、首筋に電流のような刺激が走る。
 こんな感覚は知らない…。
 違う…自分の求めているのは…こんな事じゃない。
 「や…やめて下さい」
 八戒は三蔵を強く押し返す。
 「八戒…?」
 「やめて…優しくしないで下さい」
 優しく抱かれたいんじゃない。
 力尽くで押さえつけられて、それで……。
 そうでなければ…意味がない。
 「八戒…」
 三蔵は八戒を優しく抱きしめ唇にそっと口づける。
 「もう自分を傷つけるのはやめろ…。
 そんな事をしても何の意味もない」
 「…………」
 こんな事をしても無意味だって分かっている。
 でも…幸せになる事なんて出来ない。
 彼女があんなに酷い死に方をしたのに、自分だけ幸せになる事なんて出来ない。
 「八戒…俺はお前を愛している」
 誰も愛してはいけない…。
 誰の事を好きになってもいけない。
 そう自分に言い聞かせてきた。
 「三蔵…」
 八戒はそっと自分の腕を三蔵の背中に回す。
 これが彼女を裏切る様な事だと分かっていても、それでも…自分は…。
 「僕も三蔵の事…愛しています」


 三蔵はベッドの端に腰をかけ煙草に火をつける。
 そしてまだ横になっている八戒の前髪にそっと触れる。
 「……三蔵?」
 前髪の揺れる感触に八戒はゆっくりと目を開ける。
 「気が付いたのか?」
 三蔵と目が合うと八戒は恥ずかしそうに目を背ける。
 そしてゆっくりともう一度三蔵の方を見る。
 「三蔵…僕、こんなに幸せでいいんでしょうかね…」
 少し考え込むように小さく呟く。
 「人が幸せになるのを止めれるヤツなんていないさ」
 そう言い八戒にそっと口づける。
 八戒は恥ずかしそうに小さく笑い三蔵の手を掴む。
 そこに居るのを確認するように…。
 「彼女の亡骸をきちんと供養してあげる事が出来なかったからなのかもしれませんね…こんなに後ろめたいのは…」
 自殺した彼女の死体を返してくれと何度頼んでも取り合っては貰えなかった。
 だから、彼女はまだ彼処にひとりぼっちで…自分の助けを待っているんではないか…そう思えてしまう。
 「ソイツが本当にお前の事愛していたんならお前の幸せを望んでいるさ。
 お前は生きて幸せになれ……ってな」
 そう言う三蔵に八戒は安心するかのように微笑む。
 三蔵が言うと本当の事に思えて安心できる。
 そんな不思議な力を秘めていた。
 ……本当に幸せになっていいですか?




 「で、何時の間にそんな関係になってるワケ?」
 雀荘で全てを聞いた悟浄はやや不機嫌そうにそう言う。
 「八戒が過去を俺に教えてくれなかったのはさ、それはそれでショックだけど仕方がねえ…。
 俺だけはばちょにされてたのは悲しい…。でも…」
 そこまで言い悟浄は横目で三蔵を見る。
 「八戒がコイツとつき合ってるってのは許せねえ」
 そう言い八戒の体をぎゅっと抱きしめる。
 「俺が大切に育てた(?)可愛い八戒がこんな無愛想でアヤシイ奴の手に渡るなんて…」
 「…ご…悟浄…」
 八戒は悟浄の腕の中で困ったように笑う。
 「あ〜あ、世の中からフリーの美人さんがまた一人減ったのか〜」
 頭をぐりぐりとしながらそうぼやく。
 「悟浄…貴方の手牌丸見えですよ」
 「いーのいーの、八戒には何でも見せちゃう。
 はい、ロン!
 ダブ東・ホンイツ・一通、ハネ満ね」
 三蔵の切った牌に悟浄はそう言い自分の手牌を倒す。
 三蔵は短く舌打ちすると点棒を悟浄に投げる。
 「ちっ、覚えてろよ…」
 「ま、幸せさんからこんくらい取ったってバチは当たらないっしょ」
 そう言い悟浄は笑う。
 そんな様子を八戒は幸せそうに笑って見つめる。
 こんな平和な日がまた来るなんて、ちょっと前までは考えられなかった。
 こんなに心の底から笑うことが出来るのも久しぶりだ。
 「なんかあったら何でも俺に言えよ。
 八戒の為なら何でもしてやるぜ」
 コイツが浮気したら殴り殺してらるからさ、と悟浄は拳をみせてそう笑う。
 「有り難うございます、悟浄」
 …でもこんな幸せなのに…何か胸騒ぎがした。
 あの時の様な……。


 店の扉が開いた瞬間、店内にざわめきが生まれる。
 何事かと扉の方を見た時、それはすぐに目に入った。
 そう…あの時と同じ……。
 店内に入ってきた男は八戒の姿を見るとにっこりと笑い近づく。
 「お久しぶりですね、猪悟能。
 アナタがまだ麻雀を打っていたなんて知りませんでしたよ」
 八戒の事を猪悟能と呼ぶ男…この男はあの時の…。
 あの雀荘荒らしをしていたマフィアのボスの息子。
 まさかこんな所で会うなんて…。
 「…………」
 八戒は震える手で三蔵の服の端を掴む。
 その様子が普通でないと気が付いた三蔵はそっと八戒を引き寄せる。
 男はそんな八戒を見て小さく笑う。
 「せっかくだから打ちましょう。
 勿論サシウマでね」
 男はそう言って八戒のいる卓に座る。
 「賭けるものは何ですか?」
 勝負を断る事は出来ないだろう。
 断ればどうなるか分からない。
 三蔵や悟浄まで危険に晒すことになる。
 「賭けるのはアナタ自信ですよ」
 男から当たり前のようにそう言葉が返される。
 「僕ですか…」
 三蔵に言われた時と違って、その言葉は八戒の胸に重くのし掛かる。
 負ければ…どうなるのだろう。
 「その代わり、アナタが勝てばアナタのお姉さんの亡骸を返してあげますよ」
 その言葉に八戒は男の顔を見る。
 「どうしますか?」
 「……お受けします」


 勝負を受けた八戒を心配し、三蔵と悟浄も入る。
 「初めに言っておきますけど、イカサマをした場合は即負けですから気をつけてくださいね」
 だが、男にそう言われてしまっては八戒に手助けする事は出来ない。
 ただ見守る事しか出来ないのだ。
 「私は清一色と言います。
 この名前の通り、私は毎回清一色で和了りますから」
 そう言った男の言葉を初め誰も信じてはいなかった。
 清一色なんてそう毎回和了れるものではない。
 ハッタリ…そう思っていた。
 「ツモ。清一色です」
 しかしまだ始まって数巡目でそう声があがる。
 和了ったのは勿論清一色と名乗るその男だった。
 「タテチン?そんな…」
 悟浄は驚きに声を上げる。
 こんな早いウチに…それも鳴きもせずに和了るなんて。
 毎回清一色を和了る、それは本当だったのか…?
 「さあ、次の勝負にいきましょうか」


 八戒は自分の手牌を見る。
 自分の牌は決して悪くない。
 それなりに流れは来ている。
 しかし、先程の事もあり多少警戒してしまう。
 清一色の捨て牌から言って今回待ちは筒子だろう。
 それに対して自分は五筒を切ってリーチ…。
 和了れれば満貫だ。
 「リーチです」
 八戒がそう言い五筒を切った瞬間清一色が笑う。
 「ロン!…通りませんよ」
 「……………」
 勝てない…。
 自分はこの男に勝てないだろう。
 全身がそれを感じ取っている。
 自分の負けだと…。

 
 「どうしたんですか?
 顔色が悪いですよ」
 清一色は八戒に向かってそう言い笑う。
 気配で分かる…清一色はテンパイだと。
 待ちは…索子。
 自分の手牌に八索が浮いている。
 この牌を抱えたままでは和了れないだろう。
 でもこれを切ったら…きっと当たる。
 「………」
 八戒は浮いた八索ではなく対子になっている中を切る。
 「ふ…逃げたのですか?
 でも逃げてばかりでは勝てませんよ。
 ……ツモです」
 …逃げてもどうしようもない。
 当たらなくても清一色が和了れば結局自分の負けなのだから。
 そう…もう自分にもう勝ち目はない。
 このまま腹をくくった方がいいのだろうか。
 打ちながらぼんやりと考える。
 もう…疲れてしまった。
 「八戒mあきらめんな!」
 その時、悟浄が八戒に向かってそう叫ぶ。
 悟浄の切った牌は清一色の本命…。
 「どうだ、通しか?」
 「……通しです」
 清一色は自分の手牌をチラッと見て悔しそうにそう言う。
 「じゃあコレはどうだ?」
 続いて三蔵も清一色の本命を捨てる。
 「悟浄…三蔵…」
 八戒は小さく呟く。
 …諦めてはいけない。
 まだ諦めてはいけないんだ。
 二人に勇気づけられる。
 大丈夫、まだ自分は戦える。
 「…これも通し…ですよね」
 八戒はにっこりと笑い牌を切る。
 もう逃げない…。
 自分を見守ってくれている人がいるから…。
 自分を愛してくれる人がいるのだから。
 「ロン!字一色・四暗刻。
 W役満です」


 
 「まさか八戒があそこで清一色のヤローからW役満和了とはな」
 清一色の去った雀荘で悟浄がそう言う。
 あのW役満で逆転する事が出来た。
 諦めなくてよかった…そう思う。
 「二人のおかげですよ」
 八戒は二人に向かって微笑む。
 一人だったらきっと負けていた。
 こんな勇気は出なかっただろう。
 「本当にありがとうございます。
 …僕、もう玄人やめますね」
 八戒はゆっくりとそう言う。
 これで彼女の骸を供養してあげる事も出来る。
 もう雀荘にいる理由もない。
 もうこの世界にいる理由もない。
 いや、いてはいけない。
 もう二度と同じ過ちをしないように……。





 「で、どうしてこうなるんだ?」
 麗らかな日曜の午後、三蔵が八戒と悟浄の家に招かれそこで見た物は……雀卓。
 「お前麻雀やめるんじゃなかったのか?」
 「え?やめるって言ったのは玄人ですよ。
 麻雀は別ですよ。
 家族麻雀ぐらいだったらいいでしょう?」
 八戒はにっこりと微笑みながらそう言う。
 一体いつから『家族』になったのだろうと思うが、楽しそうに準備をする八戒を見ると何も言えなくなってしまう。
 「面子足りないんで近所の子に来て貰いました。
 悟空っていうんです。こう見えてなかなか強いんですよ」
 三蔵が呆れて見ている中、麻雀の準備と話だけがどんどんと進んでいく。
 まあでも、八戒が幸せならそれでいいのかもしれない。
 三蔵は小さく笑い席に座る。

 「さあ始めましょう。
 負けた人は晩ご飯の買い物とお風呂掃除ですからねv」


意味の無い解説コーナー


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