幻想交響曲 Op23

◇4楽章◇




「なんで八戒を殺したんだよ!」
 悟空が俺に食いかかってくる。
 大きな目から多くの涙が零れ…鼓膜が破れそうな大きな声で叫ぶ。

 ─── なんで殺した?

 決まってるだろう。

 愛してるからだよ……。

「…な…んで……」
 喚くように泣き叫ぶ悟空の声も、だんだん遠くに聞こえるようだった。

 他人がどう思おうとどうでもよかった。


 ……ただ、これの元から八戒を引き離されたことだけが悲しかった。








 俺は薄暗い牢獄にいた。
 あのあとすぐ、警察の手により、俺は刑務所へと連れてこられた。
 別にそのことはどーでもよかったんだ。
 俺の手から八戒を奪いさえしなければ。
 ……それなのに、アイツらは奪っていった。
 俺の手の中から八戒を…。
 俺は必死で抵抗した。
 でも、奪われてしまった。
 手の中にあった重みが消えたとき、何とも言えない虚無感に押しつぶされそうになった。

 俺は、こんなにアイツを必要としているのに……。





 その日は雨だった……。

 冷たい鉄格子越しに空を見上げる。
 今日はアイツの告別式が行われている。
 当然の事ながら、俺には許可が下りなかった。

 ……あたりまえか……。

 気になることはひとつ。

 ……三蔵がアイツを弔ってんのかなぁ。

 そのことを考えると大きな怒りが生まれた。
 ……嫉妬だ…。

 俺だけのものにするために殺したのに……。
 三蔵が弔うことによって、アイツが三蔵の物になってしまうかのように思えた。

 それ以外のことは気にならなかった。
 他の人々の悲しみも……。

 大勢の人々の涙を集めたような雨も、人々の叫びのような雨音も、何も感じない。
 ただ、八戒を三蔵の物なんかにしない、という怒りだけがそこにある。

 ……それだけが…



 俺は八戒を殺したことを全く後悔していない。
 それで正しかったと思っている。



 あれから数日が経った。
 何人もの人が俺に面会に来た。
 だが、そのうちのほとんどが俺に対して怒りをぶつけに……。
 男も女も、大人も子供も……。
 みんな涙を浮かべ、俺に怒りをぶつける。

 俺は知らなかった。
 八戒がこんな大勢の人に好かれていたなんて。

 …殺してよかった。

 三蔵だけでなく、こんなにも敵がいたのだ。
 八戒がコイツらに笑顔を見せるのも許さない。
 誰の目にも触れさせない。
 八戒は俺だけのものなのだ。
 もう二度と、お前らの前には現れない。
 だって、八戒は俺だけのものだから。

 俺にはお前だけでいいんだ。
 他には何もいらない。
 世界中の全ての人を敵に回しても構わない。
 俺はお前だけのために存在する。
 だから、お前も俺のためだけに存在しろ。
 他の者のことなど考えるな。
 俺のことだけを考えろ。
 他の者を見るな。
 俺だけを見ろ。
 …永遠に……
 死んでもなお……
 ……永久に……




 俺に死刑が宣告された。
 俺はその言葉に笑った。
 嬉しかったのだ。
 これで俺もお前の所へ逝ける。
 また、一緒に……











 ─── 悟浄。僕はたくさんの罪を犯しました。
 ─── この手は血に溢れているんです。
 ─── …だから、僕は地獄へ堕ちるでしょう。

 俺の手もお前の血で溢れた。
 だから地獄へ堕ちるだろう。
 …一緒だな。


 共に堕ちよう、地獄へと。

 これでお前も寂しくないだろう。


 共に堕ちよう…全ての底へと……

 …ずっと一緒だ……
 ……永久にな……







 俺の処刑の日……。
 嘲笑うかのような晴天……。

 俺の処刑は公開で行われることになった。
 広場までの道のり、俺は多くの人に罵声を浴びせられた。
 でも、そんなもの、俺の耳に届かなかった。
 物をぶつけられ、俺の体から血が流れ落ちる。
 不思議と全く痛みを感じなかった。
 額から…腕から…足から流れる血。
 その紅い液体は、俺と八戒を繋ぐ媒体。

 口の端から笑いが漏れる。
 血を流しながら笑う俺を見てどう思っただろう。
 気が狂っているとでも思っただろうか…。
 確かに狂っているのかもしれない。
 俺にとっては、世界観も倫理観も道徳観も…。
 何もかもがどうでもよかったんだ。



「…三蔵…悟空……」
 処刑会場である広場に着く。
 そして広場の端に三蔵と悟空の姿が…。
 俯いたまま、けして俺と視線を合わせようとしない悟空。
 …そして、真っ直ぐにこっちを見ている…三蔵……。
 …悪いな、三蔵。
 八戒は俺のものだ、お前には渡さない。



 処刑の時間が訪れた。
 俺は、断頭台の階段を一段ずつゆっくりと登った。
 首を固定され、刑の執行を待つ。
 ほんの僅かな時間だったが、長い時間のように思えた。

 俺の頭の中を思い出が流れる。
 これが走馬燈ってやつか……。
 でも、思い出されるのは八戒の笑顔。
 二十年以上生きてきたのに…俺の生涯の中で重要なのは……アイツと過ごした数年………。

 不意に思い出の中の八戒の顔が悲しそうに歪んだ。

 その瞬間、血の気が引いた。


 …何でこんな事になったのだろう。



 …失いたくなかった。
 …奪われたくなかった。
 だから奪った…。
 無理矢理手折って手に入れた。
 ……でも…
 …本当にそれでよかったのだろうか。



 満足した群衆の歓声の中、刑は執行され、俺の首が胴から離れ飛ぶ。

 落ちた俺の首……。

 その瞳から流れ落ちた涙……。

 その理由はなんだったのだろう…。



 ……八戒……………



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