幻想交響曲 Op23

◇3楽章◇





 結局俺は、八戒が帰ってくるより前に家を出た。
 そして、八戒が帰った後、朝帰りのようなフリをして家に帰った。
 八戒は、そのことに気付いていないようだった。
 俺は昨夜のことを聞かなかった。
 …イヤ、聞けなかったのだ。
 事実を知るのが怖かったのだ。
 あの唇から、知りたくないような真実が告げられたら…。
 だから、俺は朝帰りのフリまでして…八戒が朝まで帰らなかったことを知らないフリをした。

 それでも……。
 知らないフリをしようとしているのに、そのことが気になって気になって…。
 気を抜けば問いただす言葉が唇から漏れそうになる。
 それを抑えているのがツラくて。
 …俺は散歩に行くと言って家を出た。
 ようするに逃げたのだ。
 ……八戒から…

 ………三蔵から……



 ………………現実から……


 俺は家の裏の小高い丘に来ていた。
 ここからは森を越えた街までが一望できる。
 俺はこの場所が気に入っていた。
 何かあるとここへ来ていた。
 それがクセになっていたのか、自然にここに来ていた。
 一本の大きな木の根元に座ると、タバコに火を付ける。
 タバコを肺に入れると、少し気分が落ち着いた。
「そういえば、むかしアイツとここへ来たな……」
 アイツが俺のトコへ来て間もない頃、元気のないアイツを連れてここへ来た…。

『…すごい。街の端まで見えるんですね』

 そういって笑ったアイツの顔がとても綺麗だった。
 作った笑顔ではなく、純粋に笑ったアイツの顔を見るのはあれが初めてだった。
 そんなアイツの笑顔を見て、俺も嬉しかった。
 ……思えば、あの時すでに俺はアイツに惚れてたのかもな。

 あの日から八戒は少しずつ俺に本当の笑顔を見せてくれた。

 ……それで俺は自惚れていた。
 八戒は俺に好意を抱いているって…。
 でも昨日、八戒が三蔵に向けた笑顔は…そんなのと比べものにならなかった。
 それを見たとき、俺は思った。
 あのまま…八戒が戻ってこなくなるかと…。
 夜中考えた。
 アイツがいなくなることを…。
 アイツのいない生活を考えた。
 ……そんなこと考えられなかった…。
 アイツを失いたくない……。


「悟浄、やっぱりここにいたんですね」
 八戒の声が聞こえ、俺は閉じていた目を開けた。
 目の前には本物の八戒が……。
「…何でここにいると思ったワケ」
「悟浄って、悩みがあるときとかいつもここにいるじゃないですか」
「……………」
「…朝、様子がおかしかったから……悩み、あるんじゃないですか?」

 ……八戒の心が嬉しかった
 気付いたら俺は八戒を抱きしめていた。
「ちょ…悟浄……」
「八戒…俺……」
 俺は八戒に自分の気持ちを伝えようとした。
 でも、言葉が喉を通る寸前で止まった…。

 ……今、俺の気持ちを伝えて……拒絶されたら…。
 そうしたら…どうなる……。

 もう今まで通りの関係は築けないだろう…。
 ……そうしたら………。
 八戒は家を出ていくのだろうか…。

 ……八戒がいなくなる…
 ……そうなったら…

 言えない…。

 この気持ちを伝えてしまったら…もう、後には引けない。
 もう、元に戻ることは出来ない。

 この気持ちを伝えてはいけない…。

 ………でも……。

「…悟浄?どうしたんですか?」
 自然と八戒を抱く手に力がこもる。
「…悟浄………」
 …でも、このままの状態で良いワケじゃない。
 今の状態をいつまでも保つことは出来ない。
 それはわかっている

 どうすればいい。
 どうすれば八戒を失わずにいられる?

 どうすれば…八戒が手に入る……?


 いつまでも、この手の中に……。


「…悟……浄………」

 あぁ、こうすればよかったんだ。

 俺が手にしたナイフが八戒の背中から心臓に向けて深々と刺さる。
 八戒の瞳が一度大きく見開かれ、うっすらと涙が浮かぶ。
 その瞳が俺に訴える。

 ─── どうして?

 どうしてって…決まってるじゃないか……。
 お前を愛しているからだよ…。
 こうすれば…お前はもう、俺の元からいなくならないだろ。

 俺は八戒に口付けた。
 口の中に血の味が広がる。

 ナイフの柄を伝って、八戒の血が俺の手を紅く染める。
 この生暖かい血の感触が所有の証のように……。

 この時、もう俺は狂っていたのかもしれない。
 八戒の息が少しずつ弱くなり、やがて力無く崩れ落ちた。
「……やっと、手に入れた…」
 俺はずっと八戒の体を抱きしめていた。

 再び深く口付ける。
 やがて、八戒の体が冷たく固くなっていく。
 それでも俺は抱きしめ続けた。
 もう血の味もしない……。
 二度と離さない。
 お前は俺の物だ…。



 初めての本当の愛は、俺には重すぎて…その重みに負けたのかもしれない。
 この時、俺は八戒を手に入れることしか考えられなかったんだ……。
 手の中に収まる八戒の体の重みが愛おしかった。


 このままずっと永遠に………

4楽章へ