Seasonal Sketshes   Op144


◆V Chorale for a Winter Day◆



 冬……。
 街が雪に覆われていく。
「会いたいな……」
 八戒は叶わぬ想いをそっと言葉に表わす。
 でもこの言葉は雪に飲まれて消えていってしまうのだろう。

 あれから、街は直ぐに雪に覆われ……あのまま三蔵とも連絡をとっていない。
 この空を覆う雪雲の様に八戒の心も曇り…雪が降っているようだった。
 でも……どうしようもない。
 今ではもうこうして、彼を求めて届かぬ想いを小さく呟く事しか出来ない。

「八戒?なんか言った?」
 八戒の小さな呟きが耳に入ったのか、悟浄がそう声を掛ける。
 同じ部屋にいる悟浄には届くのに……と八戒はまた溜息がでそうになる。
「なんでもありませんよ。
 毎日毎日雪で困りますね…」
 そう言って八戒は自分の気持ちを笑顔の下に隠す。
 悟浄の前で『三蔵に会いたい』なんて言えない。
 本当は叫んでしまいたかったけれど。
 そんな事を悟浄に言える訳がない……ましてやあんな事があったのに。
 その事に悟浄は気づいていないかもしれない。
 でもきっと悟浄の事だから、気づいていながら黙っているのだろう。
 そんな空気が伝わってくる。
 それはかえって八戒にとって苦しかった。
 かといって、悟浄から離れて自分の部屋にもどり、一人きりになる気にもなれなかった。
 今一人になったら……心が壊れてしまいそうだった。
 どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。
 そんな風に後悔しても、時は戻らない。
 時が過ぎれば過ぎる程、状態は悪くなるだけ。
 そんな事は分かっている……でもこの雪ではどうする事もできない。
 何故冬なんてくるのだろう。
 何故雪なんて降るのだろう。
 休む事なく雪を降らし続ける空を見上げて八戒は心の中でそう唱えた。
 ……早く春が来ればいいのに…、と……。

「ホント嫌な雪だよな。
 こんなんじゃ、出かけられねえしな。
 会いたいヤツにも会えない…し……」
 悟浄はそんな八戒の気持ちを分かってか、少し意地悪そうに小さく笑ってそう言った。
「そんな……」
 八戒はそう言いながら、深い想いに迷っていた。
 悟浄は直ぐに、八戒にそう言った事を後悔する。
 八戒の瞳にうっすらと涙が溜まっているのが見えてしまったからだ。
 八戒は涙を隠すように俯いた。
「八戒……ワリ……」
「なんで謝るんですか?
 何でもありませんよ……」
 そう言う八戒の声は微かに震えていた。
「八戒……あのさ……」
「何でもありませんから!」
 悟浄の言葉を遮るように、八戒は強くそう言い切る。
 その様子はどうみても『何でもない』とは思えなかったが、悟浄はそれっきり口をつぐんだ。


 それから、耳が痛いほどの沈黙が訪れる。
 時計の秒針が時を刻む音だけが、やたら大きく部屋の中に響いた。
 雪の積もる『しんしん』という音まで聞こえそうだ。
 時折その沈黙を破るのは……深い溜息だけ。
「ため込まないで、吐き出しちまえば?」
 その沈黙に耐えられず、悟浄はぼそっとそう言った。
「………………」
 それに八戒は何も答えなかった。
「言いたかったら言えばいいじゃん。
 ため込んだって何にもなんねえよ。
 ……俺で良ければ話聞くしさ」
 さっきとは代わって優しい口調に、八戒は迷いながら口をひらく。
 でも言葉にする事は出来なくて、また口を閉じてしまう。
「三蔵に会いたいんだろ?」
 代わりに悟浄が八戒の気持ちを言葉に直してやる。
 八戒は黙って首を縦に振った。
「でも、この雪じゃ無理だな」
 その言葉に八戒は俯く。
 いくらこの辺りの雪が止んだ所で、長安に抜ける道は……冬は完全に雪に覆われていて通る事はできない。
 それは分かっている。
 でも…………。
「春なんてすぐ来るって。
 そうしたらいくらでも会えるだろ?」
「…駄目……なんです……」
 悟浄の言葉に八戒は消え入りそうな声でそう返す。
「もう、三蔵は僕に会いに来てくれないんです。
 だって……あんな事言ってしまったから……」
 『会いに来なければいい』なんて何で言ってしまったのだろう。
 もう……きっと三蔵は会いに来てくれない。
 自分で言ってしまったのだから。
「なんて言ったんだ?」
 優しく、落ち着けるように悟浄が八戒に問う。
「会いに来ないで、って言ったんです。
 寺には来るなと言われているし……。
 きっと三蔵は僕の事なんて……もう……」
 その先の言葉は小さすぎて、悟浄には聞き取る事ができなかった。
 ただ、八戒が泣きそうになりながら言っているのが分かる。
 
「あのさ、街で聞いた噂なんだけどさ。
 一時あの寺の非公開情報が多量に外に漏れてたって事件があったらしいぜ」
 悟浄が突然そんな話を始めた意味が八戒には分からなかった。
 それでも悟浄は話を続ける。
「そんで、その犯人に俺やお前が疑われてたんだって。
 そんな事しても何の得にもなんねえのにな。
 寺の情報だぜ?いらねえってなあ」
「……………」
「まあでも三蔵様サマは、俺たちの無実を証明するのにかなり必死だったらしいぜ。
 まあ、俺たちってより『八戒』のなんじゃねえの?
 俺一人だったらきっとそのまま突き出されたってなー。
 ……だからさ、お前はそんなけ愛されてるんだから心配すんなよ。
 ちょっとそんな事言われたぐらいで、真に受けて捨てるヤツじゃねえよ」
 その話は、この場の雰囲気を変えるため、そして八戒を元気づけるために話した。
 でもその話で、八戒は更に絶望した。

 今の話はきっと秋あたりに起きた事件についてだろう。
 ……三蔵が寺に来てはいけないといったのも、なかなか会いに来てくれないのも、自分と会うときに周りを気にしていたのも……すべては自分のためだったのだ。
 自分の無実の為に……。
 三蔵が八戒と接触すれば、その分また疑われる事になるだろう。
 あの時、三蔵が八戒の言葉に反応していたのは『新しい恋人』ではなく『寺の僧』……。
 それも身分違いを咎められるなんてものではなく、情報を盗み出していると疑われないため。
 明らかな勘違いだった。
 変な嫉妬心に我を忘れて、三蔵の優しさを踏みにじってしまった……。
 馬鹿な事だ、少し考えれば分かったのに。
 何故分かろうとしなかったのだろう。
 何故三蔵を信じきれなかったのだろう……。
 激しい後悔が八戒の心を績める。
 
「八戒?」
 話を聞いているうちに泣き出してしまった八戒に悟浄は慌てる。
「悟浄……僕…出かけて来ます……」
 三蔵に会って誤解を解きたい。
 早く謝りたかった。
「出かけるって……まさか三蔵のトコ?」
 慌てて身支度を始める八戒に悟浄も慌て、立上がった。
「無理だって、春になんなきゃ。
 それに……まだ寺には入れねえよ、三蔵がせっかくお前の為にがんばってるのにそれを無駄にするのか?」
 その言葉に八戒は身支度する手をとめた。
「……じゃあ…どうすればいいのですか?」
 必死の想いでそう言う八戒に、悟浄は静かに口を開く。
「信じようぜ、三蔵を。
 春になったら絶対お前に会いにくるって」
「信じる……?」
 春まで、まだまだ遠いその日まで信じ続けなければならないのだろうか。
 三蔵は必ず八戒に会いに来てくれると……。
 直ぐに八戒の心に不安が押し寄せる。
 あんな事をいってしまったのに、本当に三蔵は来てくれるのだろうか。
 春になっても三蔵が来なかったら……。
 嫌な考えだけは、どんどんと広がっていく。
「信じろよ、お前の愛してる三蔵はそんなに心狭いやつじゃねえだろ?」
 その後に小さく『お前にだけは』と付け足し悟浄は笑う。
 その笑顔に勇気づけられるように、八戒は涙を拭って笑った。
「信じます」

 春まで信じていよう。
 きっと三蔵は会いに来てくれると……。
 そうしたら、三蔵に謝って本当の気持ちを伝えよう。
 
 何度も何度も呪文のようにそう心の中で呟いた。
 三蔵を信じ続けて……。


 ……まだ春は遠い……


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