世の中、ひとつのことに熱中している人というのは、 同種の他のものを排除する傾向があるような気がする。
楽器についても然り。 ある楽器の演奏家は自分の演奏している楽器を最高のものと思い、 他の楽器では表現し得ないすべての表現が可能だと思っている。
いや、言い過ぎた。 まるでそうであるかのような言動をすることがある、と言い直しておこう。
例えば、オーケストラの楽器の演奏者は、 オケ編成には存在しない楽器を1ランク下の楽器として見ている者 (そうは見ていないかもしれないが、まるでそう思っているかのような言動をする者)が多いし、 「ギター1台でオーケストラに負けない表現が可能」と書いたギターの教則本を見たこともある。 そこまでひどくはないが同種の表現や言動はあちらこちらで目にすることが出来る。
ちょっと待て、 君の演奏しているその楽器はそんなにそれほど完璧で素晴らしいのか。 確かに、その楽器でなければ表現し得ないことというのはたくさんあるが、 その分、その楽器では表現できないこともこれまたたくさんあるのだぞ。
今では、 民族楽器などでもほとんどのものが「ドレミファソラシド」の音階用に改良され、 ほぼすべての楽器でほぼすべての曲が演奏できるといってもいい。 でも、やっぱり、 ある曲を演奏するにはその楽器を演奏するために想定された楽器を用いるのが一番いい。
人の声のために作曲された曲(ようするに歌)を演奏するのは人の声が最も適しているし、 オケのために作曲された曲をギターで演奏してもオケの演奏よりもつまらない。 ギターのために作曲された曲ならば、 オケで演奏するよりもギター1本で演奏したほうが綺麗なのだ。
これはあたりまえ。 これを認識し、自分の楽器の素晴らしさを認めて、他の楽器の素晴らしさをも認めた上で、 さらに他の楽器のために作られた曲を演奏する(しようとする)ことで、 さらに広い表現を求めるのはとても素晴らしいと思う。 しかし、 「この楽器のために作られた曲をこの楽器で演奏するとこんなに素晴らしい。 そして、他の楽器のために作られた曲だって演奏できるんだから、 この楽器って最高。他の楽器なんてカス」 という言動がとても多くあると感じるのである。
こんな表現が受け入れられるのかどうかわからないが、 「耳が狭い」のだろうなと思う。
ひとつの楽器を練習して練習して、 ある程度演奏できるようになって練習に行き詰ってしまったとき、 他の楽器に触ってみるのもいいかもしれない。 その新しい楽器の長所・短所を知ることで、 元の楽器の長所・短所がよりはっきりとわかるようになるかもしれない。 そうすれば、行き詰っているところから抜け出すこともそれほど難しくはないだろう。
ただし、私のようにロクに演奏できない楽器を多数抱え込むようになるのはお勧めできない。